斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

学級崩壊の思い出~子ども視点~

この前、先生視点での学級崩壊の記事が興味深くてブックマークしたら、

あれよあれよと2000ブックマークを超えていました。

そうしたら時々ブログを読んでいる北沢かえるさんが、この記事を受けて、

親視点で学級崩壊の記事を書かれていました。

先生視点、親視点とある中で、やはり次は子ども視点が揃うと並びがいいので、せっかくですから、自分が経験した子ども時代の学級崩壊の話を書いてみます。既に人の親になった身として、数十年前のことを思い出して書いているものです。多少脳内で脚色されたり、補完されているはずです。 

 

 

本題に入る前に北沢かえるさんの文章への誤解を勝手に訂正

北沢かえるさんの記事では、

娘の学年には相当大変な子たちが集まっていて、小学校1年生で壮絶な学級崩壊を引き起こし、その後も、何度もトラブルを起こした。そのクラスのトラブルの中心に娘はいたので、学級崩壊とは、どういう状況になり、どうやって立ち直っていくのか。わかっているつもりだったんだが。

と書いてあり、ここを読んで、娘さんが学級崩壊を起こした中心人物であるにも関わらず、ご自身の子どもへの教育方針を棚上げにしていると誤解された方が多数いらっしゃったようです。

ただ、他の記事も読むと分かる通り、学級崩壊下において北沢かえるさんの娘さんはいじめられたそうで、また担任の教師からも辛い扱いをされていたそうです。学級崩壊を起こした当の本人ということではありません。

Pick me up! Pick me up! - 北沢かえるの働けば自由になる日記

唯一無二の王 - 北沢かえるの働けば自由になる日記

そもそも学級崩壊とは

学級崩壊という言葉が使われ始めたのは、校内暴力や不登校と比べると比較的最近です。

学級崩壊 - Wikipedia

学級崩壊(がっきゅうほうかい)とは、学級が集団教育の機能を果たせない状況が継続し、通常の手法では問題解決が図れない状態に陥った状況を指す。日本の初中等教育(特に小学校)に関して1990年代後半に新聞[1][2]やテレビ[3]などのマスコミが使うようになって広まった表現とされている[4]。

ただ、言葉がなかったからといって昔なかったかと言えばそうではありません。自分の小学校時代の時もありました。校内暴力に含まれていたかもしれませんが。

どれくらい学級崩壊が起きているかと言うと、ある地域では、全学級に対して0.5%程度で発生しているようです。

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※グラフは、須藤康介『学級崩壊の社会学』(2015)より。

全国的な統計は取られていないようです。件数自体が取るに足らないか、地域での個別撃破がある程度機能しているからでしょうか。

なお、上記に紹介した『学級崩壊の社会学』では小学校の学年が上がれば上がるほど学級崩壊が起きているという統計の紹介や、学級崩壊が起きる要因の分析が(限られたデータを使って)統計的に検証がされています。学級崩壊について、誰かのせいに一方的にするのが単純化されすぎているというのが垣間見れます。

学級崩壊体験記

ということで、ここからが本題です。

自分は学級崩壊での悪い影響をもろに被った方でした。以前も書きましたけど、いじめに遭ったというのは、ちょうど学級崩壊の時期でしたから。

いじめた側がいじめられる『聲の形』 - 斗比主閲子の姑日記

自分のいじめられた経験は、具体的には、クラスメイトの大半から数ヶ月単位で無視される(友達は逃げる)、新しい靴を買えば下校時に学校の池に放り込まれている、机に「死ね」などいたずら書きをされる、黒板に同じくいじめられている異性との相合傘が書かれる、高いところの掲示物を交換する際に脚立代わりにされる、担任の先生に相談すると「いじめられる方にも原因がある」と言われるなどなど、よくあるいじめのテンプレートです。本当によく聞くいじめの内容ですね。

「えー、意外!マンガなんて読むんですか!?」 - 斗比主閲子の姑日記

元々、自分は模写がメインで、自分自身で物語を作ることができるとは思っていなかったので、その後の東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件以降のバッシングの中での軽いいじめを経験してから、アニメの絵も封印し、絵を描くのも止めました。自分程度の軽いアニメ好きが、アニメを好きであることを隠したほうがいいと思うぐらい、それはそれは1990年前後のオタクバッシングは強いものだったように記憶しています。タイミングが悪かった。

一般に学級崩壊というのは、一部の生徒に限らず大半の生徒が先生の言うことを聞かない学級の無秩序状態です。

自分が通っていた学校の学級崩壊具合はかなり悪く、特定の生徒を中心にしつつも、学年全クラスが崩壊していたように記憶しています。選りすぐりの生徒が各クラスから集まり10名ぐらいになって、授業中にクラスを抜け出すのが恒常的になっていたぐらいです。

子ども同士による暴力沙汰というのも教師が実態を把握できていないことから頻繁に発生しており、自分のいじめもそのうちの一つだったと考えられます。酷いケースだと、鼻を折られた子もいました。その後の情報と照らし合わせると、学級崩壊時に酷い暴力沙汰(今なら事件)に巻き込まれた子どもたちの多くは、異なる学区の学校に進学していったようです。

学級崩壊の要因というのは色々考えられていますが、学級というのが教師と生徒の二者間で成立している以上、発生原因はどちらかか両方によるところと考えられます。そして、背景に、学校運営、家庭運営、地域の教育運営の問題があることがある。

自分のクラスの担任は、授業の教え方が上手いとも思いませんでしたし、何より生徒からはバカにされていました。子どもたちからは親しみをこめられて下品なあだ名がつけられていましたね。自分がいじめられていることを伝えても、「いじめられるほうが悪い」と言っていましたから、以降は何も相談しようとは思いませんでした。

学級崩壊を起こしていた子どもたちが、どんな状況だったかと言えば、総じて学校の成績は悪く、教師からの評価も悪い傾向がありました(なお、学級崩壊が起きる前から彼ら、彼女らの評判は悪かった)。

自分はその後、児童会長になるなど、いじめられっ子の立場から完全に脱出するわけですが、いわゆる模範生として、そういった荒れた子どもの親と接する機会がそれなりにありました。

父親不在の家庭、自営業で子どもに時間は割けないが大量のお小遣いを渡している親、子ども(自分)相手に夫のことを愚痴る母親など、子どもの生育環境はあまり良さそうではないという印象を受けました。

この辺の話は昔書きました。学級崩壊+いじめのコンボというのはストレスフルでしょうから、ある種ここから生残る道を探るために、(きっかけの一つとして)熱心に他人を観察するようになったのかなと思います。

家庭内トラブルは人を知る手段 - 斗比主閲子の姑日記

topisyuは子供の頃からずっと周りを観察し続けてきたのですが、特に小学校六年生の頃に同級生や先生の家庭内トラブルを知る努力をし始めたと思います。

観察自体は物心ついた小学校二年生ぐらいからの習慣でした。友達の自分への接し方が友達の友達への接し方とどう違うか、何が要因なのかを知ろうとしていました。

それが小学校五年生ぐらいで少し発展して、周りの同級生がこんな時にどう動くかを見るようになりました。

また、地域的に元々治安が良くなかったという影響もあったかもしれません。何しろ、両親が非合法な手段で金銭を授受していたり、きょうだいが珍走行為をしている友達が結構いましたから。小学校の運動会に卒業生がバイクで殴り込みに来ていて、先生が追い払っていました。(どうやって追い払ったんだろう?)

自分にとってはいじめられている期間とほぼ同じであった、学級崩壊が止んだのは、学級担任にベテランの先生がついてからでした。

かなり厳しい指導をするタイプだったと思います。生徒に基本的な習慣を身に付けさせようと、挨拶を徹底させる、昼休み時間は季節に関係なく必ず外で遊ばせるといった施策を打っていたように記憶しています。結果として、2年ぐらいで多少は落ち着いたはずです。少なくとも自分はいじめられなくなりました。あの先生であれば、恐らく学級崩壊の中心となった生徒の親にもアプローチしていただろうという確信があります。

以上、あっちこっちに行きましたが、これが自分の学級崩壊体験記です。

余談 

個人として異なる文化的背景を持つ人間と一つの箱庭の中で過ごすしたことは十分メリットがあったと思っています。ただ、自分の子どもが学級崩壊やいじめのレベルまでのものを体験して欲しいかと言えば、まず勘弁ですね。

親視点では、学級崩壊が起きないよう、モンスター気味な親がいないか、先生・校長に指導力があるか(適宜専門家が起用されているか)、授業からドロップアウトしている子どもがいないかというのは気になるところです。

なお、 余談も余談ですが、学級崩壊の中心にいた生徒である、彼ら、彼女らは、在学中の教師からの評価は低くとも、卒業後はよく学校に出入りし、持ち前のバイタリティがあったようで、今となってはそれなりに仕事で成功しているようです。この前本人たちから聞きました。

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