斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

荒れた地域の公立小学校でいじめに遭遇した私は多様な価値観に触れることができたか。荒れていない公立小学校の我が子たちは触れられてないか

割とよくある議論として、「私立の学校は同質性が高く、公立に比べると多様な価値観に触れることができない」というのがあります。

これが暴論であるというのは説明するまでもないでしょうが(このブログは"一般向けではない"ので)、簡単に言えば、私立でも色々だし、公立でも色々だからです。

ご存知の通り、日本の首都圏や大阪(の一部)では私立の学校がたくさんある一方で、それ以外の地域では私立がそれほど多くありません。だから、その都道府県の一番の進学校が兵庫県であれば私立の灘高校かもしれないけれど、熊本県なら公立の熊本高校なんてことは普通です。たぶん、47都道府県で一番の進学校を一つずつピックアップすれば半分以上の都道府県が公立高校となるでしょう。

また、私立だから男女別々で、公立だから共学というわけではありません。群馬県では有名な高崎高校も前橋高校も男子校です。私立だから男子校・女子校というわけでもない。

そして多くの人がご存じないかもしれませんが、親世代の頃と比べ男女別学は急激に減少していっており、女子の高校はもはや絶滅危惧種です。女子校を止め共学にしたことで収入が安定した学校が多くあるため、恐らくごく一部を除き、多くの女子校では男女共学化を模索しているはずです。追記:絶滅危惧種は男子校でした!

以下は、高校の男子校・女子校・共学の割合です。

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※画像は男子校・女子校の 魅力に迫る! ~海外で注目!男女別学で伸びる個性と力~(2019)|帰国に備えて|海外教育情報サイトSPRING(シンガポール)から。数値の出所は文科省の学校基本調査から

ということで、地域性もあるし、時代によっても変わるので、「私立は○○で、公立は○○だ」などということは簡単には言えません。公立は偏差値が高いから、私立の学校を滑り止めで受けるという地域は普通に存在します。

以上、ここまでは日本の全体論で、ここからは我が家のn=1の話です。

私は以前からも書いているとおり荒れた地域の公立小学校で学級崩壊といじめに遭遇しています。

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私の通っていた小学校ではいじめは日常茶飯事でしたし、暴力も一般的でした。荒れた子どもは、大体親がヤクザか、離婚して水商売していて子どもの世話はしていないか、そんな傾向がありました。きょうだい全員暴走族だから、同級生も暴走族になるのが規定コースだったり。授業は成立しないこともしばしば。別の中学に進学した子は同級生をレイプしたとかで少年院に入ったと聞いたりしましたし、成人して久々に友達に会ったら覚醒剤の売人になっていたり、男のせいで覚醒剤にハマってガリガリになっていたり、そういう感じです。高校中退もざら。

で、「公立であれば多様性を学べる」という論者の人からすれば、そういう学校でも多様性は学べると言いたいのでしょうが、私はそうは思いません。

何しろ、私の荒れた小学校では、異分子は排除されるのが原則でしたから、名前だけで「お前、在日だろ」といじめられることは当たり前でしたし、転校生も総じていじりの対象になっていました。

男女が告白するなんてすれば注目を浴びてすぐに離れ離れになるし、LGBTQを受け入れるなんてことは欠片もありません。「お前、ホモだろ」となよなよしている男性生徒を男子生徒も女子生徒もいじっているのはしばしば見かけました。

私自身はその後たまたま勉強ができたので、親から一切手をかけられることもなく(親が「あなたは子どもの頃から頭が良くて何もしなくてよかった」と言っている)、旧帝大に入り、現在は比較的ハイソサエティに属しているため、たとえ当時いじめられ、自殺を考えようとも、当時の経験は自身の幅広さに繋がったとは思うものの(サバイバーであるためここも割り引く必要がある)、多様な価値観を尊重することは小学校ではまったくと言っていいほど学ぶ機会はありませんでした。

先生も放置でしたしね。せいぜい人権週間のときに同和教育や在日教育の時間があるぐらいです。これが上手く行っていたらチマチョゴリを着る朝鮮学校の生徒を、私の通う小学校の生徒が馬鹿にする光景が当たり前にはなっていなかったでしょう。

私の大学の友人には、地域の団地の子どもだけが通う公立小学校の閉鎖性に対してずっと恨みを持っている人がいました。事あるごとに恨み節を聞きました。懐かしい。

一方で、私の子どもたちです。

公立と私立と一概に言えないというのは、同じ都道府県にある公立であってもそうで、たとえば福岡県北九州市内、神奈川県川崎市内の公立小学校にグラデーションがあるというのは皆さん大体想像がつくのではないでしょうか。

私は私の住んでいる自治体の中でも比較的荒れた学区の小学校で学んだわけですが、私が現在住んでいる地域が非常に落ち着いているために私の子どもたちは落ち着いた学区の公立小学校に通いました。

この公立小学校では、いじめに対してはオープンに対処が行われ、悩んでいる子どもにはスクールカウンセラーがしっかり話を聞いてくれます。以前から外国籍の生徒も所属していますが、彼女ら彼らに対するいじめは私が知る限りでは聞いていません。少なくとも私の子どもが所属している期間では学級運営は比較的上手く回っており、発達障害など事情がある子どもが一つのクラスに集中しないようにしたり、先生の指導力に合わせ生徒が上手く配分がされていたと理解しています。

私の子どもたちは、親の教育もあるでしょうが、外国人やLGBTQへの差別意識は見る限り発露していませんし、特別定額給付金10万円を自ら海外の発展途上国支援に使いたいと言い出すなど、多様性を尊重する意識は芽生えているような印象を受けます。

ここまで、n=1の話です。ここからはまた全体論です。

多様性を尊重するには、多様性のある環境も重要である一方で(ハード)、その多様性を周囲の人間が尊重すること(ソフト)もセットである必要があります。マトリックスにするとこんな感じでしょうか。

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多様性を尊重する環境があり、人の多様性があるというのが最も多様な価値観に触れる点で好ましい(◎)のは異論はなく、また、逆で、多様性を尊重する環境がなく、人の多様性がないというのが好ましくない(✕)のも異論はないでしょう。教育としてありやなしやではなく、多様性に触れられるかどうかです。

で、異論が出るというかグラデーションがあるのは、どちらか一方しか満たしていないときです。

私は人に多様性があってもそれを尊重しない環境は、下手をすると、両方ともない環境よりも危険だと思っていますが、おまけして△ぐらいにしました。一方で、一見すると人の多様性がなくても、多様性を尊重する環境があるところは、まだマシと考えています。

そもそも、日本全体で人種の多様性があるのは、東京都港区や埼玉県川口市や愛知県の一部の自治体などで、全体としてはまだまだ日本人ばかりですしね。本当に多様性を考えれば、インターナショナルスクールに通う、海外の学校に通うっていうのも選択肢としてあります。しかし莫大にお金がかかる……!

マトリックスでの◎~✕をどう分けるかは人それぞれでしょうから、私のマトリックスの整理が正解だとは言いません。ただ言いたいことは、繰り返しになりますが、「一概に公立だから○○、私立だから○○というのは言えない」ということです。

一見すると同質性が高そうな私立の女子中高一貫校で、それまでの男女共学小学校の中での男子生徒優位な環境で育った女子生徒が伸び伸びと過ごすなんてこともありえます。一方で、「男子は大学で一人暮らしして、女の子にシチューを作って待ってもらったら早く結婚するようになる」などとアホなことを言っている人間が校長だった学校もあります。

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色々書きましたが、結局のところ、進学は子どもの個性と子どもの意思を尊重するものだと私は考えています。

ああ、「子どもの意思などなく、親がどうせコントロールしているんだ」という人もいるでしょうが、これもグラデーションがある話なので、一概には言い切れません。あなたがそうだったとしても、みんながそうであるわけではありません。

※"子どもの意思"で、人種が多様なカトリック系小学校から、人種が多様でない"元・底辺中"に通う実話。面白いよ!