斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

なぜ私は『老い』を恐れないのか?

荻上チキSessionで、上野千鶴子さんをゲストに、「なぜ私たちは『老い』を恐れるのか?」をテーマにした特集がありました。

特集「なぜ私たちは『老い』を恐れるのか?」 | TBSラジオ

タイトルの答えは前半で話されていて、老いの反対にある若さに価値を見出す社会や、それを内面化させた自分自身の老いへの差別心があるからということでした。自分が老いを差別するからこそ、差別した対象になるのを恐れるって理屈ですね。自己差別というらしい。

ラジオの後半は、老いの受け入れ方や、介護保険があることの価値に展開していくのですが、私には前半部分の、老いを恐れる機序が頭に残りました。というのも、私の周囲でも老いを恐れる人が多い中、自分が老いを恐れていない理由の一つを発見できたからです。

私も世間的にはミドルエイジで、人生も平均寿命で言えば後半に差し掛かっています。白髪は顕著に増え、精神的にも肉体的にも老いを実感することは多い。

最近怒りやすくなった気がする - 斗比主閲子の姑日記

ただ、老いていって若い頃に出来たことが出来なくなったり、見映えも年寄りのそれになっていたりすることに自分の中に抵抗感があるかといえば、「まあ、そういうものだろう」とあまり気になっていませんでした。

こう書くと、私のブログの長年の読者の人からすれば、「え、年の割には若く見えるって言われるのを定期報告しているような人が、老いを気にしていないなんて噓でしょ?」と思われるかもしれません。

確かに、私は年の割には若く見えるというのをしばしばブログでも報告していますし、リアルでも家族に「この前、年の割には若く見えますねってまた言われちゃったよ」と伝えていますが、これは実際に言われているだけです。別に私は年の割には若く見られたいと思っているわけではありません。ただ、言われた事実を共有しているだけに過ぎない。

冗談はこのぐらいにして、真面目な話に戻すと、Sessionを聞いていて、私が老いを恐れていない一因に、私自身に老いている人に対して差別意識のなさがあるということを発見できたわけです。

正確には、私は老いに限らず、何かに対する差別意識が非常に低いです。差別学習の成果もあるんでしょうが、個人的には、私が高校時代の長い通学時間の果てに確信した、「自分を含めて、世の中に存在するものは総じて価値はなく、価値を見出す存在がいるから価値が生まれる」という発想があると思います。要は、老人を低く見るんじゃなく、老人に限らず全ての人類が価値がないという発想ですね。

文字に書くと何か怖そうに見えますが、考えるきっかけは、「自分は何のために存在しているのか?」という問いから来ているので、この当たり前の事実に到達した後は、私自身は生きるのが気が楽になりました。更には、「何をやっても意味などないけど、どうせなら自分も辛くなく、他人も辛くない方がいいや」という若干刹那的な発想で、他人にも優しくなったと思います。それまでは触れるもの皆傷付けるみたいな感じでしたから、大きな転換です。

そういう発想が根底にあるので、自分に老いが来て、それによって他人に直接的に危害を与えるようなこと、例えば思わずカッとなって怒ってしまうみたいなことは極力減らしたいと思うものの、老いそのものは、そういうもんだよねと受け入れています。年齢や出来ること出来ないことは、所詮は人類の中でのドングリの背比べに過ぎない。

Sessionでは、心理的なもの以外に、経済的事情での老いの怖さというのが後半にちらっと出てきて、それが介護保険の充実の必要性に繋がり、上野千鶴子さんが熱弁して終わりました。言わずもがなですが、私は富裕層で、十分な資産がありますから、経済的にも老後の生活は怖くはありません。

老いを受け入れられるかは認識の問題として、老後のお金の話も認識の問題なところがあって、統計的には日本人はそこまで蓄財をしなくてもいいんですが、これは紙の本に書いたことだし、私があれこれ言っても説得力はないでしょうから、これ以上は触れません。

いずれにしても、自分が老いに恐れを抱いていない理由が分かって(周囲との差が分かって)、良い発見でした。

以上、今日はこんなところです。ではでは!

 

※Geminiで生成した画像。要素しかなく、何が何だか分からない