紙屋さんの、この記事を読んで、
スポーツ(勝敗決定)ではなくA保育園のような個人・クラスごとの課題設定をした方がやりやすいと思うし、そのプロセスを保護者と共有した方がいい。「教師は忙しくてそれどころじゃない」というのであれば、別に多忙化を加速させる気はない。イベントそのものをリストラすべきである。
そういえば、私は、運動会はリストラしていいと思っていておかしくない人間だなと思い、本日からリストラ派に転じる?ことにしました。
子どもの頃から、マスゲームを強制的に覚えさせる不愉快なイベントで、なくなって欲しいと考えていたものの、学習指導要領とかでどうせ決まっていると考えて諦めていました。自分自身は運動はできたけど、やりたくない友達が運動を強制させられているのを眺めているのも、不愉快だった。
実際は、運動会の開催は誰かが強制しているわけでもなく(何か規定されているわけでもなく)、学校が自主的に行っているものだそうです。だとすれば、保護者や先生の声によって開催しなくていいという判断もありえるわけで、選挙で一票を投じるのと同じ感覚で、私はこれから運動会不要論を唱えていくことにします。もちろん、運動会が必要だという人もいるだろうから、その考えは尊重します。
※米俵15kgを背負ってリレーする、北野高校の『米騒動』という種目
自分が子どものときに運動会が不愉快だったというだけではなく、親として運動会に参加してもイマイチだと思うことは多々あります。
まず、親や子どもの休日の一日を拘束し、さらには振替休日によって子どもを親が平日に相手しないといけなくさせるのがナンセンス。
次に、一日親子を拘束して、我が子が何かをするのを親が見る機会があるのは、せいぜい30分程度と短い。それ以外の時間は、赤の他人の子どものどうでもいい競技を見させられる。そして、子どもたちは基本的に日差しの下で座って他の子どもたちを応援することを強いられる。熱中症のリスクに曝され、日焼けしながら。
肝心の競技も、紙屋さんが書いている通り、真剣勝負さに欠ける。時間どおりにイベントを回さないといけないから、レギュレーション違反があっても途中で止めることはほとんどないし、雑に勝敗を決める(大玉ころがしや綱引きではありがち)。もちろん、子どもたちは十分にバランスを考慮したチーム分けが行われた上で練習をする機会があるかといえば、そんなことはない。雑然とクラスや色を分けて勝敗を競わせるだけだから、勝敗を決めるのは運でしかない。努力が可視化されにくい。紅白歌合戦で紅組と白組を分けて勝敗を決めることぐらい無意味。
最後に、最近は、親も先生もとても忙しいですよね。先生の職場がブラックになっているというのは周知の通り。だったら、職場のブラックな要素を排除すればいい。運動会は休日出勤であるし、事前の準備のため普段の授業の進度にも影響を与えるし、子どもたちの体調管理も必要になる。運動会をなくすか、軽いものにすれば、先生の負担の一部は減ることでしょう。
なお、地域や遠方の祖父母のためのイベントごととして運動会が必要だという考えもあります。この点については、地域の行事という趣は、みんな大好きな"安全"のために、多くの学校の運動会は生徒の関係者しか事実上参加できなくなってきていますよね。また、児童の熱中症対策のため子どもは別に食事を取る学校が増えたことで、昼に食事を子どもたちと祖父母・両親が食べる機会も減っていっています。
以上、運動会不要な理由としては、こんなところでしょうか。
いきなりなくすとすると凄く反対されるだろうけど、徐々に種目を減らすぐらいのことは今の環境化ならば理由付けは何とでもなるし、子どもの学校で少し頑張ってみることにします。
ちなみに、我が家の子どもたちは、「運動会はあってもなくてもどうでもいい派」ということでした。