斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

年300人程度の殺人、年3000人程度の交通事故死が問題視されるのだから、国民の1%が死ぬなんてことは耐えられないだろう

今日は最近思っていることの雑感です。私のロジックが好きな人だけどうぞ。

「お前のロジックってなんだよ?」「この人だれ?」と思う人は読むのを止めてください。何度も書いているし、一般人向けじゃないようにナマハゲのロゴもつけているのに、未だに「読んで不快になったぞ! どうしてくれるんだ!!」という人がいるので、念のため。

私は過剰に親切な人間です。

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※モネ『日傘をさす女』。そろそろ紫外線が気になるので外出時には日焼け止めは欠かせない。

私のブログの以前からの読者であれば、私がゼロリスク信仰を好んでいないということはご存知のとおりです。

例えば、

  • どこかでn=1の児童の殺人事件があれば、全国のPTAが見回りを強化する
  • どこかでn=1の高齢者による交通事故があれば、全国の高齢者の免許取得を厳しくする

というのは、被害の大きさからすれば対応のためにかかるコストやデメリットが大きすぎると考えています。全国でやることならば、n=1で判断するのではなく、統計で判断したり、費用対効果のエビデンスがあるかを確認したほうがいい。

物の考え方は人それぞれですから、n=1でもって意思決定を行う人を私は否定するつもりはありませんし、私が否定したところで何の意味もありませんが、私個人は、社会的リソースを使うことには効率・効果を最大限に意識してもらいたい派です。人間の時間でも、物資であっても資源は無限ではありません。

全国のPTAが見回りを強化すれば親の負担が増えますし、高齢者の免許取得を厳しくすれば地方の高齢者の世話を誰がするかという問題が出る。コストを考慮した上で、施策は実行したほうがいい。その施策で苦しむ人はいますし、死ぬ人もいます。

なので、以前から申し上げている通り、日本での殺人事件や交通事故死には一切興味を持たないようにしています。興味を持って私が対策することはないし、どうせ興味を持つなら専門家による報告書や統計を見たほうが有意義だと考えています。

日本での殺人事件や交通事故死は年々急激に減少していき、年間300人程度しか殺されていませんし、交通事故死も3000人程度です。世界でも類を見ない少なさで、あの独裁統制国家である人口500万人程度のシンガポールと人口10万人あたりで争うレベル。自由に車が持てないシンガポールと同程度。

これだけ低い水準でも問題視する人がいるのは別におかしなことではないですが、繰り返しですが、私は問題視する必要がない派で、対策へのこれ以上のリソースをかけることには反対派です。同時に、世の中、多様性はあってしかるべしだと思っていますので、私みたいな人間もいれば、そうは思わない人間がいるというのもまったく問題なく許容しています。

ひるがえって。

仮に国民の1%が富裕層や貧困層など関係なく平等に死ぬが、1%死ぬのを回避するための対策をすると日本のGDP(約600兆円)が一定程度恒久的に減るみたいな事態があったらどうかという、突拍子もない、ありえないシミュレーションをしてみたくなったので、これからします。

普通はなにかの対策のためにお金が出ていくことはあってもGDPが減るなんてことには繋がらないので、かなり特殊なシミュレーションですよね。あと、所得に関係なく人が死ぬというのもかなり特殊。

1%が死ぬとすれば100万人ですから、殺人や交通事故と比べると圧倒的な人数であり、対策をするべきというのは私も否定しません。ただ、対策のための費用が適切かというのは例のごとく考えたい派なのは変わりません。

仮に対策として日本のGDPが50%減るみたいなことであれば私はその対策には反対です。1%のためにGDPが半分になれば、恐らく経済的に困窮して死亡する人が1%どころではない数字になるでしょう。富裕層や貧困層など関係なく平等に死ぬことを避けるために、貧困層を中心として経済的に困窮する人が莫大に生じるというのはおかしい。

財政的に一時的にカバーするのは考えられますが、GDP半減の補償となると一人あたり100万円ぐらいは欲しいから、100兆円の新規国債発行ですか。うーん、それなら、考えられない数字ではないかもしれない。今の日本の債務残高は900兆円で、税収は年60兆円。

では、どれくらいのGDPの減少ならいいかといえば、理想的にはその死亡する人と同程度のGDP1%減ぐらいでしょうか。6兆円ぐらい? 恒久的に減るとすればどっこいどっこいの数字と言えそう。

ただ、死亡しないまでもなく苦しむ人もその10倍ぐらいいるとすればGDP10%減ぐらいはバッファは取っておいたほうがいいところ。そうすると60兆円ぐらいですかね。

GDP10%ぐらいの減少であれば日々の生活への影響は大きいけれど、GDP50%と比べれば圧倒的に軽微。ただのシミュレーションだけど何となく耐えられそうな気がする。一切の経済活動を1ヶ月間しないぐらいなら何とかなる気がする。

あとは恒久的か一時的かというのも重要。前提としては恒久的としているけれど、一年で済むのであれば補償の金額との対比でGDP50%減でも社会は耐えられそうな気がする。

とりあえず、こんな感じ。かなりざっくり。

あくまでシミュレーションですけどね。ただ、私はこういうことを考えるのは嫌いじゃありません。自分やパートナーや子どもが死んだときのことや実・義両親が死んだ時の話も時々します。

参考

ある医師がエンジニアに寄せた“コロナにまつわる現場の本音” (1/10) - EE Times Japan

自分が死ぬ前提だからこそ、経済停止には反対だ - id:deztec