斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

仕事で大切にしていること → ポジションを取って発言すること

今日は一風変わって、私が仕事で大切にしていることを書きます。

人によって大切にしていることは違うでしょうが、もう若手ではなく、中堅というよりマネージャー層になっている現在の私の状況だと、ポジションを取って発言することはかなり意識しています。

ポジションを取るというのは、自分の立場(ポジション)を持つ=自分の意見を持つとなります。自分の意見を持つと言えばいいところを、なんでポジションを取ると表現しているかというと、この表現が直感的だからです。ある事象について、賛成を10、反対を1としたときに、自分は2の立場っていうと分かりやすいですよね。

で、「誰だって自分の立場で物を言っているのでは?」と思うかもですが、仕事で何かを相談されたときに自分の立場で意見を言う人は私が見る限りはそんなに多くはありません。玉虫色の回答・判断になりがち。

プライベートなら、「今日のご飯は何にする?」に「アジの南蛮漬けが食べたい!」と、自分の好みを言えばいいわけですが、仕事となると、何か自分の意見を言うことは、説得力を上げるための根拠を持っている必要もあるし、さらには発言の影響も自分自身の夜ご飯がどうなるかのレベルでは済みません。

結果として、説得できるほどの材料を持って語るのは大変、発言の影響で誰かに迷惑をかける・責任を負わされるのが怖いという意識が蓄積されて、私と同年代ぐらいになるとポジションを取らない人がかなり増えてきます。

そんな中、私がどうしてポジションを取るようにしているかというと、それはひとえに、

  1. ポジションを取っていると目立つ
  2. ポジションを取って他人を説得しようとすると、自然と頭を使う

というのがあります。

1つ目は簡単で、繰り返しになりますが、中年になるとポジションを取らずに曖昧な発言をする人が増えてくるから、ポジションを取って自分の意見を言っているだけで、相当目立つんですよね。

「目立っていいことないのでは?」というメンタリティの人からすると正気の沙汰ではないかもしれませんが、自分のやりたいようにキャリアを作っていく上では、目立つのは結構大事です。何かチャンスがあるときに、声を掛けられる頻度が明確に違いが出ます。

2つ目は副次的な効果なんですけど、ポジションをただ取るのはよくないんですよね。中年の人間がなんか言ってたら、それを周囲は聞かざるを得ない状況は発生しますし、結果として変なコメントが素通りしちゃったら良くない意思決定に繋がっちゃう。

あと、ポジショントークって言葉があるように、自分の利益に誘導する形でのポジションの取り方だと、そんな人の話は誰も聞きたくありません。

私も別にやたらめたら目立って、なんかヤバくて痛い人になりたいなんて思っていないので、ポジションを取って発言するために、それなりに理論武装をしたり、話し方のシミュレーションをしたりします。話はできるだけ分かりやすく、簡潔に、されど根拠があり、人に伝わるようにする。

周囲が納得し、かつ、自分の発言による影響が良い結果を生むことを目指して、ポジションを取って発言することをずっと続けていると、なんというか、かなり地力(じりき)がつきます。偉い人やたくさんの人がいる場でも、自分の『真っ当な』意見を言うのに抵抗が減る。

私は若いころに「大勢の人がいる前で発言・質問できる人は正気でないのではないか?」と思っていましたが、今となっては、私がそういう人になっていました。「誰か意見ありますか?」に最初に手を挙げて発言する人。

で、こういうことを続けていると、目立つと同時に、毀誉褒貶、色んな風に言われることも多くなります。そこはもう、中年の鈍感力みたいなもので、他人がどう思うかはその人自身の判断として尊重して割り切っています。

私が無根拠に、かつ、他人を切って捨てるように、自分の利益になるように発言しているならまだしも、かなり意識的に発言しているのを悪く捉えるとすれば、自分にはどうすることもできないですからね。

以上、今日はこんなところです。

途中でちらっと書いたように、私は子どもの時からずっと周囲に臆さず発言をし続けてきたというわけではなく、後天的に意識するようになって、結果として今では自分の意見を言うことが怖くなくなっています。

素養はあるにせよ、ある程度は再現性があると思うので、何か自分で実現したいことがある人は、意識してポジションを取って発言をするといいんじゃないでしょうか。