斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

去年一年間も良い年だったし、今年一年間も良い年になると思う

新年あけましておめでとうございます。

突然ですが、「去年は振り返ってどんな年だった?」と質問されたら、皆さんはどう答えますか? 私は「良い年だった」と答えると思います。

社会全般では、新型コロナウイルスの終息が未だ見えず、そんな中でロシアがウクライナに侵攻し、急激に供給が先細り物価高が加速し、多くの人の生活が苦しくなった……という状態ですから、直近10年の中でもっとも波乱に満ちた年でした。

私にもその影響はあり、2月には新型コロナウイルスで一家全滅しましたし、仕事でもロシア情勢・物価高の影響はありました。家庭も万事が順調だったというわけでもありません。

そんな状況でも、「良い年だった」と思えるのは信じがたいところもあるかもしれません。でも、素直に良い年だったと思います。

というのも、社会がどうあろうが、私生活がどうあろうが、今の自分の状況を受け入れて、それで満足できるメンタリティが構築できちゃっているのがあるからです。

なので、去年も、一昨年も、「去年はどんな一年だった?」とリアルに質問される機会がありましたが、私の答えは、「良い年だった」でした。

現状を受け入れて満足するというのは、龍安寺のつくばいに『吾唯足知』と書いてある、あの概念です。『われただたるをもってしる』ということで、欲しい欲しいという飽くなき欲求を持たずに、今でも足りていることを認識するってやつです。

Know enough

※龍安寺の石庭に向かう途中にあった気がする

現状で満足するようになったのは、働き始めたころに苦しい苦しいと思い日々を過ごしている中で、どうせなら受け入れちゃった方が楽ではないかと発想を転換したのがきっかけだったと思います。

確か、お金を嫌っていたのを、お金を積極的に知った方が楽になるのではないかとか、人付き合いも無駄だと切り捨てていたのも、ある程度ゆるーく関係持っていいじゃんとか、自分が俗的だと思っていたものも受け入れるようになったはず。

思い返すと、高校生の頃によく議論をしていた友人と、「どうしたら幸せになれるか?」というのを何度か話したことがあります。友人は、「幸せは相対的なものだから、他人を相対的に低く置いたら、自分は常に幸せを感じられるんじゃないか」ということを言っていて、私も当時は確かにそうかもなと受け入れた記憶があります。

ただ、当時から何十年も経った今では、「幸せは自分が幸せだと感じる状態だから、自分が幸せだと受け入れていれば、他人は関係なく幸せでいられる」というのが、「どうしたら幸せになれるか?」の答えになります。

というわけで、私のメンタリティ的には、「今年はどんな年になると思う?」と問われれば、「今年一年間も良い年になると思う」と答えるはずです。

以上、今日書きたかったことです。皆さんの一年も良い年になりますように。