斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

私は民主主義を愛してるので都構想支持者もトランプ支持者も許容する

他者を排除するスタンスを示さない限りは、ですが。他人の権利を制限するようであれば、そもそも民主主義的にどうなのかって話なので。

※下の方に追記があります。お暇な人だけどうぞ。

以下、余談です。

日本では大阪市の住民投票が話題になり、今月はアメリカ大統領選挙で持ち切りでした。インターネット上では自らの立場を示して議論する様があちこちで見られる一方で、私の日々の生活では話題にはなるけれど、政治的なスタンスを明らかにする人はほとんどいませんでした。

私が仕事の雑談で在大阪の取引先の人に「都構想の投票がああいう結果になりましたね」とあまり深い意図なく言ったら、その人は「私は前回の投票でも都構想賛成で、今回も賛成投票したので残念でした」と非常に悔しい顔をしていました。私が都構想の住民投票への思いを聞くことがあったのはこの人一人だけです。

アメリカ大統領選挙は私の周囲ではどのような政策になるか、株式市場にどのような影響を与えるかは議論になるものの、トランプの人格は誰も触れないし、カマラ・ハリスの演説が印象的だったとも言いません。このプレゼンは勉強になるというのは話題に出ました。

我が家では政治と宗教の話をしばしばしますが、やはり家庭外で政治と宗教の話をするのは非常に気を使います。というか、宗教の話はまずできないし、政治も自分のスタンスを明示的にはしていません。

仕事で付き合いのある人は、私を日本なら自民党支持者でアメリカなら民主党支持者ぐらいに何となく思っていると思います。日本で、マーケットと付き合っている人の中で、自民党支持者でない人はまずいないだろうと何となく思われている空気がある。何なら共和党支持者とも。

政治的スタンスはその人の根幹のところに絡まっていて、議論をしているつもりがお互いが人格否定に繋がることを感じ取ってしまうことはあるし、日本ではそもそも政治の議論が日常でされることが少ないところがあります。あまり人格攻撃にならなそうな、外国人研修生制度や不妊治療助成金であっても話題に上らない。日本人には政治に関心が少ない人が多いのかもしれない。

リアルでここまで政治的な話が出ないのに、インターネットではほぼどこかで政治的な議論、バトルが繰り広げられています。そして、政策そのものの議論ではなく、その政策の支持者の人格否定をするような言葉も。「トランプ支持者は差別主義者で、とてもその存在は認められない」というのはよく見かけました。

日本のトランプ支持者はよく分からないけど、少なくともアメリカでは、トランプもオバマが大統領になったときよりも得票しています。それだけ支持されていると言える。

バイデン、トランプ両氏とも7000万票超え (写真=AP) :日本経済新聞

大阪都構想ではそもそも投票率が低く、結局公明党(創価学会)の票がまとまっていなかったということで片付いているっぽいけど、街頭インタビューでは都構想を熱く支持する人はいました。

トランプもそうだし、維新の会の地方議員・国会議員も差別的な主張をしばしば言います。だから、そんなトランプや維新の会を支持する人間は差別的な人間であるという理路が成り立ち、支持者の人格を否定するような発言にも繋がると考えています。

確かに、他者の権利を制限するような政治家そのものは好ましくありません。だけど、その政治家を選んでいる民衆が存在してはいけないとまですると、私は民主主義的にどうなのかと思うわけです。差別主義的なところだけに惹かれているのではなく、「この人に投票しないと私が考えることが実現しない」という思いはあるので。都構想が無理でも大阪維新の会は未だに大阪では絶大な支持を得ています。

選挙が終わっても支持政治家・政策が負けた支持者は消えてなくなるわけではなく、引き続き思いを強く持っているかもしれない、というか、たぶん、そう。

欠陥が多い民主主義だけれど、私はマシな制度として民主主義を愛しています。そして、民主主義では(選挙に破れた)少数派でも意見は言えるし、許容されるし、その多様性こそが民主主義的な国を強くするものです。

民主主義の原則 – 多数決の原理と少数派の権利|About THE USA|アメリカンセンターJAPAN

  • 民族的背景、宗教上の信念、地理的要因、所得水準といった要因で少数派である人でも、単に選挙や政治論争に敗れて少数派である人でも、基本的人権は保障され享受できる。いかなる政府も、また公選・非公選を問わずいかなる多数派も、それを取り上げてはならない。
  • 少数派は、政府が自分たちの権利と独自性を擁護してくれることを確信する必要がある。それが達成された時、その少数派集団は、自国の民主主義制度に参加し、貢献することができる。

(中略)

  • 多数派の目に異様とはまでは映らなくても、奇妙に見える民族や文化集団を受容することは、どんな民主主義政府も直面しうる難しい課題のひとつである。しかし、民主主義国は、多様性が極めて大きな資産となり得ることを認識している。民主主義国は、こうした独自性や文化、価値観の違いを脅威と見なすのではなく、国を強くし豊かにするための試練と見なしている。
  • 少数派集団の意見や価値観の相違をどのように解決するかという課題に、ひとつの決まった答などあり得ない。自由な社会は、寛容、討論、譲歩という民主的過程を通じてのみ、多数決の原理と少数派の権利という一対の柱に基づく合意に達することができる。そういう確信があるのみである。

※一部抜粋して引用

世界では民主主義が少数派になっている中で、日本でもアメリカでも、少数派の民主主義国家として、民主主義の大切な部分というのはできるだけ大切にしていきたいと一市民としては考えています。

(パクスなき世界)民主主義 少数派に 自由のパラドックス(1) 描けぬ豊かさ、危機増幅 :日本経済新聞

追記

なぜか分からないんですが、次の人のように冒頭に書いてあることをすっ飛ばす人がいるので、太字で強調しました。

関連して、私が共感した文章を紹介します。まずはバイデンの勝利演説。

「いま、米国は癒やす時です」 バイデン氏勝利演説全文 - アメリカ大統領選挙2020 [アメリカ大統領選2020]:朝日新聞デジタル

 私は分断ではなく、統合を求める大統領になることを誓います。赤い州と青い州ではなく、アメリカ合衆国を見る大統領です。また、あなた方全員の信頼を勝ち取るために、全力で働きます。それこそが、私の信じる米国の姿なのです。人々のための米国です。我々の政権はそれが全てになります。

分断を癒やすのが重要だと認識している。

そして、江川紹子さんが安倍政権を振り返って書いた文章。

安倍政権が残したもの:私たちが大事「彼ら」は攻撃 オウム真理教報じた江川紹子さんが読む「カルト化社会」 - 毎日新聞

政治の場合、最終的には多数決でも、よく話し合い、より多くの人が納得することを目指すのが民主主義のプロセスです。しかし、手間や柔軟性が必要とされる、そういうプロセスを厭(いと)い、違う考えは受け入れないという非寛容な雰囲気が広がっています。これは安倍政権側だけではなく、それに反対する人たちにも言えることです。

私も江川紹子さんと同様に、保守的な思想の人からもリベラルな思想の人からも非寛容に接せられることがしばしばあります。

自身がリベラルだと考える私のスタンスとしては(以前も書いたけど私は安倍政権下7年8ヶ月の選挙で野党にしか投票していません。これをあえて書かないといけないのが残念)、差別的な発言をする人たちに引っ張られて自分たちも差別的になることはないと考えています。また、差別的な主張する候補者を支持する人々全員が差別的な人だとも考えていません。

人間にはグラデーションがあり、そのグラデーションこそが多様性であり、その価値を信じることが民主主義の根幹であり、そして、試練だと私は考えています。

更なる余談

id:Harnoncourtさんへ。

私は民主主義を愛してるので都構想支持者もトランプ支持者も許容する - 斗比主閲子の姑日記

自分は「私は民主主義を愛してる」なんて破廉恥なことを公言するメンタリティはどうにも許容できませんが、その一方でこんな恥ずかしいことを堂々と公言するトピシュさんは好きですw

2020/11/10 12:59

b.hatena.ne.jp

次の記事みたいなことを公言するメンタリティはいかがでしょうか!?

我が家ではセックス後にホワイトボードを使って感想戦をします - 斗比主閲子の姑日記