斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

「『三体』の意味や雰囲気は、一般大衆にはじゅうぶんに楽しめませんからね」(劉慈欣『三体』p.249より)

劉慈欣『三体』を読みました。中国人作者による主に中国を舞台にしたSFです。シリーズ三部作の一作目。

中国ではシリーズ三部作で累計2100万部、英訳版は100万部、日本でも『三体』が10万部以上の売上を記録し、昨年とても話題になったので知っている人も多いはず。

私は話題になっているエンタメは媒体が何であろうとも消費するようにしているので、今更ながら読んでいました。私自身は幼少期にジュール・ヴェルヌや小松左京を読み、大人になってからはヒューゴー賞や星雲賞受賞作を時々読むぐらいで、SFというジャンルにそれほど親しみはありません。

読んだ結論からいうと総じて面白かったです。話の展開がまったく想像つかない半分ぐらいまでは一気に読みました。ただ、私のブログの読者であっても全員にお勧めできるかというとそうではありません。私自身もこの作品の魅力の80%ぐらいしか楽しめていないはず。

以下、ほぼネタバレになっていないレビューとなります。『三体』大好きな人向けではなく、私のブログの読者むけのレビューなので、その点ご理解の上お読みください。

『三体』を"じゅうぶん楽しめる"のは"知識階級"

次の文章は『三体』からの引用です。

「みなさん、想像していたとおりの方々ですね。『三体』はみなさんのようなハイクラスなユーザーのためのゲームです。『三体』の意味や雰囲気は、一般大衆にはじゅうぶんに楽しめませんからね。ちゃんとプレイするには、一般人が持っていない知識と理解力が必要です」

(p.249) 

このゲームをプレイするには相当なレベルの背景知識と、深い思考力が必要だったからだ。若いプレイヤーのほとんどは、一見ふつうのゲームに見える表層の下にあるショッキングな真実を発見するほどの忍耐力も技術も持ち合わせていなかった。『三体』に惹かれたプレイヤーの大部分は、やはり知識階級だった。

(p.351) 

『三体』という小説の中に登場する、小説内ゲームである『三体』がユーザーを選ぶものと紹介されている部分ですが、小説の『三体』自体も読み手を選ぶというのが率直な私の印象です。言葉を選ばずに言うと、『三体』はインテリ向けの小説です。

小説『三体』では、いくつかの時代、地域に話が飛びます。その一つに文化大革命の頃の中国(1966~1976)があります。文化大革命時には知識階級が糾弾されたとか、学生中心の紅衛兵が組織されたとか、現代日本に住む人でどれだけ知っている人がいるでしょうか。もちろん小説を読んでいるだけでも何となく雰囲気は理解できます。

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※人民服といえば『らんま1/2』

小説内ゲーム『三体』の中に登場するキャラクター、周の文王、殷の紂王、秦の始皇帝、墨子を知っている人はどれくらいいるでしょうか。コペルニクスやニュートンやアインシュタイン、ジョン・フォン・ノイマンなら常識に近いでしょう。もちろん小説を読んでいるだけでも何となく雰囲気は理解できます。

作品のコアになる天文学や物理学の理論についても、知ってはいなくても何となく雰囲気は理解できるはず。

それでは、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』、ピーター・シンガーの『動物の解放』はどうか。もちろん、これらを知らなくても何となく雰囲気は理解できます。

ただ、ここに挙げたようなものがすべて何となく雰囲気でしか理解できないときに、この『三体』を"じゅうぶんに楽しめるか"というとかなり厳しいのではないかと私は思ったわけです。

中国で2100万部というのは凄いけれど、英訳版が100万部で、日本でも10万部以上というのは、それだけこの作品を楽しめる知識階級が育っているのだなというのが読み終わったときの私の感想の一つです。

ジェンダーギャップがないのはリアルと同様

小説を読んだ他の感想としては、男女差がほぼないのがとても興味深かった。

以前から仕事の付き合いで中国人経営者や弁護士や会計士とは接点もあったし、大学時代には中国人留学生の友人もいたから、中国が男女平等だというのはよく分かっていまいた。中国では管理職の半数は女性です。

ただ、科学の世界でもそうだとは思っていませんでした。小説『三体』の中では、多くの研究者が登場するのですが、そのうちの女性比率がほぼ半数。

そして、名前だけでは男性か女性かが分からない! 作中に名前が登場する、中国のキュリー夫人とされた呉健雄は名前の雰囲気からすると男性に見えますが、女性です。

これは何も外国人である私だからそう思うというわけではなく、

「なんですって? 楊冬(ヤン・ドン)が……女性?」

(p.64)

と、作中の中国人の登場人物もこう反応しているので、中国では名前だけでは性別が分からないんだなと。

これは面白い感覚でした。普通の小説で名前だけでは男女か分からないなんてことがあると叙述トリックを狙っているとしか思えないんだけど、中国の物語なら普通のことになりうる。

当然のことだけれど、フィクションの世界であっても社会的背景が反映されているものだなと思いました。今後、中国の現代小説を読むのが楽しみです。

締め

以上、『三体』のレビューになっていないレビューでした。

ハードルが高そうなことをあえて書いたので、このレビューを読んで『三体』を読もうと思う人はかなり少ないでしょうが、「この辺の話って常識でしょ?」と思える人ならば何の違和感もなく、きっと楽しめるはずなので、是非読んでみてください。

しかし、翻訳は大変だっただろうな……。英語ならまだしも、中国語のこの内容を適切に翻訳するのはそれこそ深い文化的知識と科学の素養が必要で、翻訳者の皆様には感服します。

三体

三体

  • 作者:劉 慈欣
  • 発売日: 2019/07/04
  • メディア: Kindle版
 

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