斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

「パパはほんとに子煩悩でいらして。ねえ」は自分が攻撃されたと思って反撃している説

いつも読んでいる槙野さやかさんのブログで、こんな記事が投稿されていました。

主人は子煩悩じゃありませんから - 傘をひらいて、空を

内容を簡単に紹介すると、

  • 筆者は小1の娘を持っていて、小学校で筆者の夫が読み聞かせをしてそれが子どもたちにウケていたのだけれど、それを見ていた他の子の母親がわざわざ筆者に対し「あなたのパパは子煩悩ですね。うちは主人とも話していて、方針が違います」と言ってきた。
  • 何となくモヤモヤして小2の子どもを持つ友人に相談したところ、「子育てをしない父親を男らしいと思っているから、そうでない親を見ると一言言いたくなるのだろう」と言われて納得するところがあった。
  • そういう家庭があるのは知っていたが、まさか自分たち夫婦が侮蔑を込めて言われるとは思いもしなかった。

というものです。

この他の子の母親の発言だけ引用しますが、

レイカちゃんパパみたいな方、最近はいらっしゃるのよね。うちはそういうんじゃないから。主人ともよくそういう話してるんですよ。ほんとうにね、レイカちゃんパパは、子煩悩でいらっしゃって。

私が大好きな類の会話で、思わず自分が言われたらどうやって返事をするかシミュレーションをしてしまったので、今、この記事を書いている次第です。

瞬時に頭に思い浮かんだ選択肢としては、

  1. 適当に受け流す → 「はー、そうなんですかー」
  2. 生真面目 → 「お宅では主にお母さんが本を読み聞かせされているんですね。参考までに、最近どんな本を読み聞かせされましたか教えてもらえると嬉しいです」
  3. マウンティング返し → 「お宅ではお母さんだけが本を読み聞かせされているんですね。一人でやっていると大変じゃないですか。頑張ってらっしゃるんですね。すごーい!」
  4. 察することを促す → 「うちは両親もこんな感じでした。各家庭で方針が違いますよね」

こんな感じだと思います。

私だったら2を選びがちだけど、私のパートナーは人の悪意に無自覚なので1で返すはず。私が疲れていて誰かをはけ口にしたいと思っていたら、3をやります。めちゃくちゃべた褒めして、「うちは毎日30分しか読み聞かせしてないんですよ。図書館も週一で20~30冊ぐらいしか借りてなくて。それでも子どもは全部読み切っちゃってて困ってます。お宅はどれくらいやられているんですか? やっぱり一時間ぐらいはされてますよね!?」とかやります。4は、話が通じそうな目をしていたら、やるかも。

色々選択肢をシミュレートしてみましたけど、同じ状況に自分がいたわけじゃないし、そもそも他人のことですから、この発言をした母親の真意は分かりませんが、私がその場にいたとしたら、侮蔑というより、本人は攻撃されたと思って私に反撃しているんだろうなと受け取ります。

多くの人はわざわざ言わないですからね、他人の教育方針を否定するようなこと。リアクションが大きいのは本人の中でのダメージの大きさと比例していると考えるわけです。男性が読み聞かせをしてそれが子どもに評価されているのを見て、自分たちの子育てスタイルを否定されたと受け取った=攻撃されたと思ったという仮設。

最近は、専業主婦世帯より共働き世帯が多く、男性の育児時間も増えてきていますから、そうではない、女性が孤軍奮闘している家庭で、他人の家庭が羨ましいと思う人がいるのは理解できる。

そういう意味では、その母親の心境を思えば、自分は攻撃をする意図はないことを態度で示しつつ、相手に対して適度に寄り添うような言葉を投げかけるのがいいかもしれない。4から派生する感じで。色々探りつつ。

実際、悪意の言葉を吐く人は寄り添ったほうがいい人であることは多いんですよね。客観的には。ただ、私はその人の親友でもなく、わざわざ時間をかける義理もない。だから、1にしちゃうかな。面倒だもの。全員に寄り添うなんてできないから。

以上、私が考えたことです。

たった数行の、背景も何も正確には分からないブログ記事に、ここまでリアクションできるんだから、私はつくづくこういう会話が好きなんだなと改めて思いました。 

東大生を育てる親は家の中で何をしているのか?

東大生を育てる親は家の中で何をしているのか?

  • 作者: 富永雄輔
  • 出版社/メーカー: 文響社
  • 発売日: 2017/07/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

※"読み聞かせ 父親"でAmazonの検索結果に出てきたから、Kindle Unlimitedで読んでみたら、「父親が子育てをすると部下を育てるように管理教育バリバリになりがちで子どもの自主性は損なわれる。東大行く子どもは母親が主体的に子育てをしている。子どもの教育はカカア天下が正解」と書いてあった。ほっこりしますね!

姑「他のお姑さんから同居のコツをよく聞かれるんだよね」私「完全同居じゃないのとお金を介在させているからですよね」

このブログは、二世帯住宅で一緒に暮らす姑絡みの揉め事とかモヤモヤを私が吐き出すために書き始めたブログで、もう7年になります。

最近は姑ネタをほとんど書いていませんが、同居を解消したとか、姑がお空のお星様になったとかではなく、モヤモヤすることが減ったというのが大きいです。

この前、姑から「近所で娘息子世帯と同居をしていたのを解消したり、私の同級生でも同居が上手く行っていなかったり、どこの家庭も苦労しているみたいなんだよね。我が家は同居して長いから、同居のコツを最近よく聞かれる」と言われました。

実際のところ、我が家の近所で二世帯住宅が建ったと思ったら、姑さんだけがぽつねんと残っているケースはたまに見かけます。みなさんお金持ちなので、経済に貢献して素晴らしいことだと思いながらも、数千万円のお金をドブに捨てるのは私だったら耐えられないなと眺めています。

我が家の同居が上手く行っているというか、少なくとも悪い方向に向かっていないのにはいくつかの要因がありますが、一言で言えば、距離感が取れているということになります。距離感というのは、物理的なものと精神的なもの、両方です。

人間、たとえ友達や恋人として接している分には楽しくても、いざ一緒に暮らしてみると揉め事は耐えません。共有スペースのゴミを誰が掃除するのか、冷蔵庫の消費期限切れの食べ物を誰が廃棄するのか、流しにある食器はいつまで放置がOKなのか、玄関に靴が大量に置いてあるのとか、誰かとのLINEの会話がうるさいとか、帰ってくる時間を共有するかとか、仕事の愚痴をどれくらい聞くかとか、距離感が近くなると相手と自分の考え方や生き方の差異というのは気になるものです。

それが、姑や舅のような、単に配偶者の接点があるだけで他に接点がない、世代が大きく異る層の人間と、様々な調整やすり合わせの機会なしに上手く生活できるわけがありません。ストレスは必ずある。

そういうわけで、我が家は、相手の価値観を意識しないですむように距離を取ってお互いに生活しているわけです。

物理的には、玄関以外はすべて別です。今思えば玄関も別で良かったかなと思うときがありますが、宅配荷物を不在時にお互いに受け取られるメリットはあります。あとは税制とかかな(ここは実はよく調べていない)。

親子で進める二世帯住宅節税(経営者新書) (経営者新書 142)

※今更だけど、後で読む。親子の絆など深まらない

精神的には、お互いの手伝いにお金を介在させています。姑世帯で高いところの電球の交換があったとしても、PCの調子が上手く行かなくても、我が家の世帯で子どもを両親が見られないときも、学校のイベントに姑に代わりに参加してもらうときも、相手が善意でやってくれることは期待していません。善意の期待は大抵は期待値の差が生まれて、負担をする方に不満が生まれがちです。何かあれば、家族であってもお金で解決するようにしています。子どもを預かったら時給1500円とかですね。

というわけで、久々の姑ネタでした。姑と旅行に出かけると大量のモヤモヤが生まれるのですが、もう私が耐えられないので旅行に行くことはないはずです。悪しからず。

我が家が事なきを得ているがために、共有できるモヤモヤネタが乏しく、読者の皆様には大変申し訳ありません。

デビルマン研究家のコメントとの答え合わせがしたくて実写版デビルマンを見た

ねとらぼというWeb媒体の次の記事を見て、

「アーーーーー」は監督のアドリブだった!? (たぶん)世界に1人だけの実写版デビルマン研究家にインタビュー (1/2) - ねとらぼ

――実写版デビルマンは深い、ということですか?

 一見して分からない事が多過ぎるだけで、深くはないです。

この部分が面白かったので、Amazonプライムビデオで無料で配信されていたこともあり、実写版のデビルマンを見てみました。デビルマン研究家の人のコメントが何を指しているかの答え合わせもしたいかなって。

デビルマン

デビルマン

  • 発売日: 2015/08/01
  • メディア: Prime Video
 

感想はこんな感じです。

  • ほとんどの役者の演技が見るに耐えず、特に主役の二人が酷い
  • 意味が汲み取れないシーンが多い。展開の繋がりがおかしい
  • 話の流れは原作漫画には忠実
  • CGは悪くないが、あてられている俳優の声が酷いので見ていて辛い

役者の演技がとにかく酷いので、見ていて頭が痛くなり、Amazonプライムビデオの10秒飛ばし機能を多用しました。だから、2時間の映画だけど30分ちょっとで見終わりました。

以下、ねとらぼの記事で書いている内容を、映画を見た上で私がどう感じたかを紹介します。

――これまでの研究で実写版デビルマンを語る上での大発見はありましたか?

 田んぼで「アーーーーー」と叫ぶシーンは、脚本には無い(というか脚本の指示と真逆)おそらく監督のアドリブであること。

この叫ぶシーンは変なシーンでしたね。稲の収穫中か何かで、主人公の不動明がデーモンだって知人にバレるシーンで、ここは叫ぶよりも無言のほうが苦悩が伝わると思いました。叫ぶのが間が抜けているから、横で見ている知人役の宇崎竜童さんが演技の下手さに呆れているように見えました。

デーモンの集団が建物の出入口からワラワラ出てきて一方的に射殺されるシーンにはちゃんと理由があったこと。

このシーンも変でしたね。最初はゾンビ映画だと思った。なんでデーモンがわざわざ建物の中からワラワラと出てきたんだろうって。理由は中でスモークを炊かれていたからということらしいので、削れるシーンは他にもたくさんあるように見えるから、ちゃんと説明のカットを入れておけばいいのにと思いました。 

――一番好き・嫌いなシーンはどこでしょうか?

 好きなシーンは……、アポカリプスデブのシーンですかね。

このシーンも意味が分かりませんでした。なぜ、白いタンクトップを着た、太った人間の三人組を登場させて、他の人間を襲わせる必要があったんでしょうか。人間が誰がデーモンか分からず疑心暗鬼に陥っているという流れでのシーンなので、もう少し普通に見えるキャラでいいのになと思いました。

嫌いというか残念に思っているシーンは、明が美樹を守る為にデビルマンに変身してから連行されるまでのシークエンスですね。脚本ではスピード感・緊迫感のあるシーンなんですが映像だと変に間延びした感じになってしまっているので……。

このシーンは確かに冗長でしたね。それまでで人間側は結構簡単にデーモンを町中で射殺しているので、明がデーモンと分かったらその場で射殺してもいいのになって思いました。

――那須監督は実写版デビルマン公開後亡くなってしまいましたが、監督に話が聞けるとしたら何を聞きますか?

 明が牛久を探すときに顔を海面に「バチャーン」とつけるシーンの意図を聞きたいですね。あのシーンだけは本当に意味が分からないので。あとは大量にあるという本編未使用のお蔵入り映像を見せて頂きたいです。

一方で、このシーンは意味が分からないとは思いませんでした。

どこから牛久の助けを呼ぶ声が聴こえてきているか分からなかったので、海の中かもと顔を海面につけて探しているように、私には見えました。ただ、探す時間が一瞬だから顔を海面につけただけみたいに見えるのは確かです。あと、実際は森の中で牛久は助けを呼んでいたので、そもそも海に行くシーンが不要なんじゃないかと思いました。海を背景に探しているのが格好良く見えると考えたんでしょうけど、デビルイヤーは地獄耳っていう割には感度悪いという印象を抱かせて失敗だと思いました。

――ではネット上の実写版デビルマンの感想を見て思うことはありますか?

 どの感想も楽しく眺めていますが「CGもPS2以下の低レベル」という意見だけはムッときますね。独特の手法で作られたCGだから好みに合わないということはあるだろうけど、2004年当時のクオリティーで考えれば邦画トップクラスですから。

これはその通りだと思います。独特な表現は悪くなかった。

以上です。

見るべきかと言えば、「実写版デビルマンと比較すると○○だ」みたいなことを言っている人の気持ちを理解したい人は見たらいいのかなと思います。後は、私みたいに、ねとらぼの記事の答え合わせをしたいとか、加えて、私のコメントも確かめたいとかですかね。

記事にも書かれていますけど、際限なくツッコミどころがあるから、複数人で色々言いながら見るのも人によっては楽しいとは思います。

私の結論としては、心のどこかで、『カメラを止めるな!』の映画内映画っぽさが感じられて、あんまり何度も引き合いに出して悪く語るのはキツいなという感じです。たぶん、きっとこの映画でも、関係者には色々な気苦労が数限りなくあったでしょうしね。

失敗するとか、上手く行かないとか、つまらないとか途中どころか最初から分かっていても、止められない、やらなければいけない状態というのはあるものですから。

「種村有菜さんと絵柄が酷似」として白泉社が謝罪した、花とゆめの読切作品『ロマンスとバトル』は面白かった

先日の『天気の子』に続いてエンタメ特集ということで、今日は、「種村有菜さんと絵が酷似」として白泉社が謝罪した、花とゆめの読切作品『ロマンスとバトル』のレビューです。

経緯をざっくり書くと、今年6/20に発売された花とゆめ14号について、読切作品が他の漫画家さんの絵柄に似ているとして話題になり、結果的に7/5に出版社である白泉社が謝罪をしたというものです。

トピックス|花とゆめ

お詫び

花とゆめ14号の読みきり作品に関して、多くの読者の皆様から、主人公の女性キャラクターが既存の先生の絵柄に非常に似ているとのご指摘を頂戴しました。

該当作品の絵柄は、編集部が率先して先生の絵柄に近しい方向へと誘導した結果のものであり、本来なら掲載を中止しなければならない程、酷似していたにも関わらず、雑誌に掲載するという過ちをおかしてしまいました。 

それほど話題になるというのだから読んでみようと思ったところ、電子版はその読切だけ掲載していないという状況でしたが、ヨドバシカメラではネットで普通に販売していたので7月中旬に購入しました。

ちなみに、今ではヨドバシカメラでも紙版は入手できませんが、メルカリであれば売り買いされています。

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※雑誌本体が400円なのに切り抜きだけで400円を超える値段で売り買いされるようになっている

それで、肝心の作品自体ですが、面白かったですよ。

少女漫画の主人公が少年漫画の世界に異世界転生してしまったという設定を活かして、キャラだけではなく背景も当然ながら描き分けているし、ギャグもメタメタで良い。

例えば、不良っぽいキャラが捨て猫を拾う姿にキュンとしてしまうやつとか。

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画面にめちゃくちゃ花生えちゃう…!で笑ってしまいました。「とても面白い」ということを、ネットで、大草原とか、草不可避と表現することは一般的になりつつあるけれど、花生えるという単語は初めて見たかもしれない。

異世界転生のきっかけになった遅刻遅刻~でトラックに轢かれるのは、『ゾンビランドサガ』でもやられたことですね。

あとは、絵柄が酷似しているとされている少女漫画キャラですけど、

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この辺の凛々しい顔つきなんかはとても良い。

作者の宇和野宙(うわのそら)さんはこれがデビュー作ということもあり、連載に繋がる感じはしませんでしたけど、絵柄もギャグも私はとても好きでした。

同じく良い評判は検索するとかなりあって、花とゆめ 男子会!?らじお | インターネットラジオステーション<音泉> でも、声優の下野紘さん、島崎信長さんともに、「めっちゃ好きです」「ほんと面白かった」と絶賛していました。私も主人公の男キャラが細谷佳正さんが喋っているように聴こえた派。

作品のレビューは以上です。宇和野宙さんの今後の作品も楽しみにしています。このペンネームも実にいいですね。山止たつひことかみたいに適当につけたっぽいから今後は変わりそうだけど。

絵柄が酷似してたらダメとは思わない

作品のことはこれぐらいにして、本作について出版社が謝罪をし、作品を取り下げるようなことをしたのは理解できませんでした。何しろ、絵をトレースしたわけでもないし、絵柄を真似たパロティなんていうのは、少年少女漫画ではセオリーですから。絵柄に著作権はない。

真似されたとされる種村有菜さんは、

こういう反応をしていますけど、パロディをする上で元の作者本人に知らしめるなんてのは私はまったくしなくていいと考えています。

二次創作を商業化するということならまだしも、本作はまったくそんな作品ではないわけだし。美内すずえさんから一体どれだけの漫画家が事前に許しを得ているのか。川原泉さんは一体どれだけ謝罪をしているのか。

そういうわけで、出版社が作品を取り下げるのは会社の自由だし、絵柄が酷似しているから問題だと批判するのも自由だと思いますが、私は、この程度の絵柄で問題だとは思いませんし、取り下げる必要もないというスタンスです。

ちなみに、せっかくなので、『花とゆめ』の雑誌に掲載されていた作品を一通り読みました。私の趣向に合いそうな作品は1~2作ぐらいでした。大人がしっかり描かれていないんですよね、『ロマンスとバトル』もそうだけど。

格差恋愛とか禁断の恋という作品が多いものの、その格差によって生じる人生観・価値観の違いをどうやって擦り合わせしていくのか、作中で議論がまったくなされない。そして、キャラクターの思考が一様に浅い。深いキャラと浅いキャラがいるのではなく、底の浅いキャラがわちゃわちゃやって物語を作ってる。

例えば、同じ号にも掲載されていて、最新刊では表紙になっていることからも人気作と思われる作品は、自殺未遂をしていた生徒に、

墜落JKと廃人教師|花とゆめ

女子高生の扇言(みこと)は、失恋を苦に自殺しようとしていたところを物理教師の灰葉 仁(はいば じん)(通称・灰仁)に邪魔される。「死ぬ前に俺と恋愛しない?」と先生に告白され!?キケンなつり橋効果LOVE!

教師が付き合おうとするもの。卑怯卑劣。この教師がやるべきことはスクールカウンセラーに繋ぐことで、個人的な恋愛関係を構築することではない。なにが、つり橋効果LOVEだ。

この辺は好みとテーマの問題ですね。私に合わないだけのこと。現実であれば問題があることでもフィクションとしては許されることはありますから、この作品を発売停止にするべきだとは私は主張しません。

もう一つの読切作品である『オトメゲームフォーユー』では母親が不倫をして離婚をしたので恋に臆病になっている女の子が主人公なんですけど、私からすると、今の目の前の男の子との恋愛をどうのこうのする前に、母親のことをどう整理するかがテーマになってほしい。

ただ、そんな作品は『花とゆめ』の読者が求めるものではないでしょうから、私は大人しく、他の漫画を読むことにします。 

教師漫画としては雨瀬シオリさんの『ここは今から倫理です。』をお勧めします。教師が安易に生徒に手を出すのではなく、家庭に問題がある(ときにはまったくない)生徒に学校の一教科の教師としてどこまで関わるかを悩みながら対話を続ける。

ここは今から倫理です。 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

ここは今から倫理です。 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

  • 作者: 雨瀬シオリ
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2017/11/22
  • メディア: Kindle版
 

※作者の雨瀬シオリさんは高校ラグビー漫画の『ALL OUT!!』も描いている

艶のある絵柄もいいんですよね。お勧めです。同じ先生物としては『鈴木先生』ほどは重たくありません。

親も先生も忙しいし、子どもは日中に太陽の下に晒され続けるし、運動会はリストラしていい行事

紙屋さんの、この記事を読んで、

小学校の運動会は要らないなと思った理由 - 紙屋研究所

スポーツ(勝敗決定)ではなくA保育園のような個人・クラスごとの課題設定をした方がやりやすいと思うし、そのプロセスを保護者と共有した方がいい。「教師は忙しくてそれどころじゃない」というのであれば、別に多忙化を加速させる気はない。イベントそのものをリストラすべきである。

そういえば、私は、運動会はリストラしていいと思っていておかしくない人間だなと思い、本日からリストラ派に転じる?ことにしました。

子どもの頃から、マスゲームを強制的に覚えさせる不愉快なイベントで、なくなって欲しいと考えていたものの、学習指導要領とかでどうせ決まっていると考えて諦めていました。自分自身は運動はできたけど、やりたくない友達が運動を強制させられているのを眺めているのも、不愉快だった。

実際は、運動会の開催は誰かが強制しているわけでもなく(何か規定されているわけでもなく)、学校が自主的に行っているものだそうです。だとすれば、保護者や先生の声によって開催しなくていいという判断もありえるわけで、選挙で一票を投じるのと同じ感覚で、私はこれから運動会不要論を唱えていくことにします。もちろん、運動会が必要だという人もいるだろうから、その考えは尊重します。

Sports Festival

※米俵15kgを背負ってリレーする、北野高校の『米騒動』という種目

自分が子どものときに運動会が不愉快だったというだけではなく、親として運動会に参加してもイマイチだと思うことは多々あります。

まず、親や子どもの休日の一日を拘束し、さらには振替休日によって子どもを親が平日に相手しないといけなくさせるのがナンセンス。

次に、一日親子を拘束して、我が子が何かをするのを親が見る機会があるのは、せいぜい30分程度と短い。それ以外の時間は、赤の他人の子どものどうでもいい競技を見させられる。そして、子どもたちは基本的に日差しの下で座って他の子どもたちを応援することを強いられる。熱中症のリスクに曝され、日焼けしながら。

肝心の競技も、紙屋さんが書いている通り、真剣勝負さに欠ける。時間どおりにイベントを回さないといけないから、レギュレーション違反があっても途中で止めることはほとんどないし、雑に勝敗を決める(大玉ころがしや綱引きではありがち)。もちろん、子どもたちは十分にバランスを考慮したチーム分けが行われた上で練習をする機会があるかといえば、そんなことはない。雑然とクラスや色を分けて勝敗を競わせるだけだから、勝敗を決めるのは運でしかない。努力が可視化されにくい。紅白歌合戦で紅組と白組を分けて勝敗を決めることぐらい無意味。

最後に、最近は、親も先生もとても忙しいですよね。先生の職場がブラックになっているというのは周知の通り。だったら、職場のブラックな要素を排除すればいい。運動会は休日出勤であるし、事前の準備のため普段の授業の進度にも影響を与えるし、子どもたちの体調管理も必要になる。運動会をなくすか、軽いものにすれば、先生の負担の一部は減ることでしょう。

なお、地域や遠方の祖父母のためのイベントごととして運動会が必要だという考えもあります。この点については、地域の行事という趣は、みんな大好きな"安全"のために、多くの学校の運動会は生徒の関係者しか事実上参加できなくなってきていますよね。また、児童の熱中症対策のため子どもは別に食事を取る学校が増えたことで、昼に食事を子どもたちと祖父母・両親が食べる機会も減っていっています。 

以上、運動会不要な理由としては、こんなところでしょうか。

いきなりなくすとすると凄く反対されるだろうけど、徐々に種目を減らすぐらいのことは今の環境化ならば理由付けは何とでもなるし、子どもの学校で少し頑張ってみることにします。

ちなみに、我が家の子どもたちは、「運動会はあってもなくてもどうでもいい派」ということでした。

ドラマ版『きのう何食べた?』でシロさんの家の家具購入の合意形成プロセスと、『逃げ恥』のヒラマサさんの家の大塚家具の購入プロセスが気になる

『きのう何食べた?』のドラマ版が話題になっていたのは分かっていたのですが、うちの世帯ではテレビが見られないので諦めていたら(姑は見てます)、ニコニコ動画で7話が公開されているのに気付いてようやく見ることができました。

きのう何食べた? 第7話 2019/5/17放送分 エンターテイメント/動画 - ニコニコ動画

登場人物たち(シロさんとケンジとジルベールと小日向さん)は、ほとんど想像通りで、キャスティングが素晴らしいなと感心しました。

ただ、気になったのは、シロさんとケンジが住んでいるマンションのインテリアです。

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※ドラマの一場面。コメント付きで見るのは本当に楽しい

キッチンに、小洒落た小物がたくさん置いてあって(掃除しにくそう)、ダイニングテーブルとキッチンの間に作業台がある。書斎部屋やダイニングの家具も結構しっかりしていて、調べてみたら、どれも5万円~10万円ぐらいのものでした。たぶん、家の家具全部で150~200万円ぐらいじゃないだろうか。

『きのう何食べた?』の家具インテリアをリグナで美術協力させていただきました。 | おしゃれな家具通販・インテリアショップ リグナ

シロさんは、倹約思考があって、食費も二人で月2.5万円で済ますようにしています。食費で倹約するシロさんが家具にこれだけお金を使うとは考えにくい。だとしたら、ケンジの趣味なんだけど、ケンジはどうやってシロさんを説得したのだろうか。合意形成プロセスが超気になる。私だったら、パートナーにこのぐらいの家具をバンバン買ってこられたら、自分のお金ではなくても、共用で使うものであるため、かなり気になります。

そんなことをTwitterで呟いたら、

家具を買ったのはシロさんの前の男説というリプライをもらいました。ベッド含めて趣味が統一されているから、倹約家のシロさんがこれを全部買うのか(前の男が買ったんじゃないか)と、勘が良いケンジであれば疑ってもおかしくない気がしますが、二人で合意形成をしたというより、この説のほうがまだ理解できる。

他にも、

過去の家具はIKEAの一番安いものだったという情報もありました。とすると、二人暮らしをする上で、二人で自分たち色にしようと奮発した可能性もある?

意図は何もなくて、たまたま外注したらこういう結果になっただけかもしれませんが、私がイメージしていた、シロさんとケンジの家のインテリアとはちょっと違っていたので、少し気になったのでした。私のイメージでは、カラーボックスが多用され、キッチン周りはダイソーのワイヤーネットが使われている感じだった。

ちなみに、これで気になったのが、『逃げるは恥だが役に立つ』のドラマ版のみくりと平匡さんの家の家具です。調べてみたら大塚家具が提供していたらしい。

ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」|メディア掲載情報|家具・インテリアの大塚家具

二人のマンションは、もともと平匡さんが住んでいたところですから、平匡さんがこの家具を大塚家具で自分で購入していたということになります。

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(株)大塚家具【8186】:株式/株価 - Yahoo!ファイナンスより。チャートを貼ると何だか市況かぶ全力2階建っぽい感じになる。ドラマ放映時はまさに色々あった時期

平匡さんが自主的に大塚家具に家具を買いに行くのは想像し辛いから(それこそ同僚とIKEAに行くとか、ネットで注文してそう)、間違って大塚家具に入っちゃって、店舗スタッフに捕まって、「このぐらいの家具は必要ですね」と営業トークに乗っかっちゃって言われるがままにすべて揃えてしまったというのなら可能性はある。

……などなど、インテリアだけで少し色々考えていました。

私は日本のドラマをあまり見ないから、家具周りの考証(登場人物の年収や価値観であれば、このぐらいの家具を買っているという考証)がどの程度されているかはよく分かりません。このように設置された家具の意図を探るのは粗探しの領域かもしれない。

私がドラマ版『きのう何食べた?』の家具が気になったのは、ドラマをあまり見ていないのと、たぶん、『きのう何食べた?』の場合は配役や衣装が完璧だから、「では、この部分はどうだろう?」と他のところが気になってしまったというのもあると思います。

着る服を悩まなくなったのは、見せたい・ありたい自分に悩まなくなったからだと気付いた

最近、着る服を悩む時間が減りました。季節が変わるとき、子どもの保護者会・面談に行くとき、仕事で人と会うとき、長年の友人と会うときなど、TPOによって服装は変わるもので、いざ行ってみたら「この服じゃなかったかも」と失敗したと思うことがあります。その、TPOに合わせてどの服を着るのかを悩む時間が減り、着ていった服が失敗だったと思うことも随分減りました。

私はこの状態がとても快適で、「長年生活してPDCAを回していった結果、自分の中で服装に関するセンスが磨かれたのだろう」と思っていました。

ただ、私のファッションセンスが良いと褒められることはそんなにないし、体型は落ち着いているしブランドもそんなに変わっていないから、センスがどうのというちょっと違う。

それで少し考えていて、「あー、そうか。服を選ぶ力も上がったかもだけど、見せたいand/orありたい自分に悩まなくなったから、服装でも悩まなくなったんだ」と気付きました。

Fashion Illustration

※Flickrって写真だけじゃなく絵も公開されているのか。fashionでの検索結果より

服装は、外の寒暖差から身体を防御するものという効果と同時に、当たり前ですが、自分をどう見せたいか、どうありたいかをアピールするための材料でもあります。子どもが小さいうちは自分がどう見られるかが分かっていないから親が選んだ服をそのまま着るけど、どう見えるか意識し始めると親の選んだ服を着るのは嫌がって、自分で着る服を選ぶようになる。

私の場合、自分をどう見せたいか、どうありたいかというのは、単にシチュエーションでcasual/formalを切り替えるだけではなく、その場にいる人が誰かでそのときそのときで変えるものだと思っていたから(場面ごとにペルソナが変わるのは当然だと思っていたから)、それに合わせて服装を変えるというのは、毎回一苦労でした。

それが、ここ最近は特に服装で悩む時間が減って、「ま、こんなものだろう」と考えて服を着ることが増えて、しかも、それで自分のイメージとのギャップに苦しむことも減ったので、随分気が楽になっていたのでした。

自分のイメージが固まっているから、どこに行っても、誰と会っても、決まったイメージを見せるというのが今限定の私の中での流行りかもしれないけれど、自分のイメージ自体が固まっているというのは悪いことじゃないと思うので、しばらくはこの服装との気軽な付き合い方を楽しみたいと思います。

 

私が、藤本タツキ『妹の姉』をそこそこ楽しめたのは少年ジャンプ+で『ファイアパンチ』を読んでいたのはありそう

現在、雑誌の少年ジャンプで『チェーンソーマン』を連載している藤本タツキさんが、少年ジャンプ+というジャンプのネット媒体で読切作品を掲載していました。

妹の姉 - 藤本タツキ | 少年ジャンプ+

内容は、美術高校に通う姉妹の話です。アフタヌーン四季賞作品っぽいところがありつつ、藤本タツキさんらしい気持ち悪いところもあったので、私もそこそこは楽しんだものの万人にウケるとは思いませんでしたが、かなりネットで話題になっていました。

この作品について、「女児の体を晒している児童ポルノではないか」「男女逆には描けなかった作品」という批判がありました。

藤本タツキ『妹の姉』の問題点 - ろくの日記

この漫画の作者・これを全年齢向けで注釈なく掲載した出版社・手放しで絶賛してる方々、全員この深刻さを理解していないのだ。

(中略)

『弟の兄』を描けなかったこと、
これを男ではなく女で描いたこと、の意味を今一度考えてもらいたい。

こういう批判があるのは理解できるところがあります。まあ、問題作ですよね。そもそも、どんな作品でもどんな風に批判はしていいものですし(また、その批判への批判をしてもいい)、本作は特にツッコミどころが多いですし。

この批判についてはここまでで、そういう問題作を"私もそこそこは楽しんだ"というか、そこそこは楽しめたのは何かなというのを考えてみました。ここまでの拒絶反応を示される作品をどうして自分は楽しめたのか。

注:ここから先は自分の感覚の言語化です。それ以上でもそれ以下でもありません。

たぶん、それは、少年ジャンプ+という媒体と、藤本タツキさんの作風と、リアルタイムで『ファイアパンチ』を読んでいたというのが大きいと思います。

少年ジャンプ+という媒体

まず、少年ジャンプ+という媒体は、インターネットというか、スマホで読むのに特化しており、編集部としては購読者層は雑誌と必ずしも被っていない、年齢は20代以降も、性別も女性も対象にしているようで、作品はかなり多岐に渡っています。

マンガ大賞2019を受賞したSF作品の『彼方のアストラ』(全5巻)や、

彼方のアストラ 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

彼方のアストラ 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

私が大大大好きな『青のフラッグ』(既刊5巻)も連載作品です。 

青のフラッグ 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

青のフラッグ 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

  • 作者: KAITO
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2017/04/04
  • メディア: Kindle版
 

どちらも少年ジャンプ本誌であれば掲載されていたか怪しい作品です。『彼方のアストラ』はちゃんとしたSFで、短すぎる。『青のフラッグ』はLGBTを扱いつつ、繊細な人々の感情の変化を丁寧に扱っているため、メジャーっぽくはない。読者を限定している。

だから、『妹の姉』も、紙媒体のジャンプ系列誌ではなく、あえてネットの少年ジャンプ+で掲載された作品ということで読み始めました。現役のジャンプ連載作家の作品が少年ジャンプ+で掲載されているのだから、少年ジャンプ+でしか掲載できない内容なんだろうな、メジャー作品ではないんだろうなと考えました。

藤本タツキの作風と『ファイアパンチ』

そして、私が藤本タツキさんの作風を知っていて、『ファイアパンチ』をリアルタイムで読んでいたことについて。

まず、現在少年ジャンプで連載されている、藤本タツキさんの『チェーンソーマン』はこんな導入から始まります。

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[第1話]チェンソーマン - 藤本タツキ | 少年ジャンプ+

いきなり臓器売買からスタートです。こんな感じですから、この後もこの少年は悲惨な出来事が重なります。でも、楽しそうに生きてる。

今度は、『ファイアパンチ』です。次のコマは『ファイアパンチ』の1話から。

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[1話]ファイアパンチ - 藤本タツキ | 少年ジャンプ+

要するに人肉食ですね。主人公の兄が再生能力があり、世の中は食糧難であるため、妹が兄の腕を切り落として村の人々にその肉を配っています。もちろん切り落とす描写もあるし、人肉を食べるシーンもあります。あとは近親相姦も扱っています。主人公は、1話で炎をまとってから作中ずっと裸です。

私は、『ファイアパンチ』を少年ジャンプ+で、2年ちょっと前から連載が終了するまでリアルタイムで読んでいました。

なので、2019年1月号から、少年ジャンプ本誌でチェーンソーマンが始まった当初は、「少年誌掲載ということもあってかファイアパンチよりパンチが効いていないな」「ファイアパンチみたいに途中でだらけてよく分からない終わり方を迎えないといいけど」と思いながら、そこそこ楽しく読み始めました。

藤本タツキさんの気持ち悪さ

ちなみに、『姉の妹』を読んで沙村広明さんっぽいと思った人が多いようですが、実際、藤本タツキさんは沙村広明さんを真似していると公言しているので、さもありなんです。

藤本タツキさんが沙村広明さんと2017年に対談したときは、

藤本タツキ×沙村広明奇跡の対談

藤本:僕、沙村先生みたいな絵が描きたくて。ということは、つまり沙村先生がお好きな作家を目指せばいいのかなと考えて。僕が沙村先生になるには何を目指したらいいですか?

沙村:(笑)。好きな作家は沢山いますが、中学校ぐらいまでは手塚治虫先生と高橋留美子先生と藤子不二雄先生ですね。高校の時に大友克洋先生の『AKIRA』を読んで、「すげえ人がいるな」と思って。あと安彦良和先生ですね。お二人ともめちゃくちゃ絵が上手くて。安彦先生が描かれる手が綺麗だったので、その頃から人間の手を綺麗に描くということをやりだしました。休み時間に自分の手をノートに描きまくっていた、気持ち悪い高校生だったんですけど(笑)。

藤本:これから僕もそうします。 

終始こんな感じです。沙村広明さんの"(笑)"がすべて"(苦笑)"に見えるぐらい、藤本タツキさんが気持ち悪いアプローチをし続けている。

藤本タツキさんはもともとギャグ漫画畑でもあるので、あえて、ギャグっぽくインタビューに答えていると割り引くといいかもしれないけれど、作品そのままの気持ち悪いキャラクターに私は大変好感を持ちました。

だから私は『妹の姉』をそこそこ楽しめた

そんなわけで、私は『妹の姉』をそこそこ楽しめたんじゃないかなと思っています。

作品単体としての面白さはあるけど、前提として、「少年ジャンプ+掲載作品だからな」「『ファイアパンチ』と『チェーンソーマン』の藤本タツキだからな」と思って読み始めているから、多少のおかしな表現は許容できていた。

ちなみに、少年ジャンプ+では、男子高校生の裸が描かれた作品も掲載されていて、

[第一羽]剥き出しの白鳥 - 鳩胸つるん | 少年ジャンプ+

露出狂の男子高校生の話です。露出狂をポジティブに扱うだけでアウトだと思いましたが、ギャグ漫画としてよく出来ていたからか、毎話の少年ジャンプ+のコメント欄もまったく炎上する気配がなく、性別問わず楽しまれていたように思います(ジャンプ+では面白くない漫画のコメント欄は炎上します)。

あとは、GW中に、テニスの王子様の番外編が掲載されていて、ここでも男子高校生の裸がコミカルに掲載されていました。

テニスの王子様 次期部長番外編 - 許斐剛 | 少年ジャンプ+

個人的には、腐女子向けということにすれば男の裸は何でもOKみたいなやり口は好ましいとは思いませんが、Twitterでは何の議論にならずに完全に好意的に受け止められていました。テニスの王子様のファン層からすると許容できるんでしょう。

テニスの王子様 次期部長番外編 - Twitter Search

ちなみにちなみに、少年ジャンプ+では、西義之さんの『ムヒョとロージーの魔法律相談事務所』の続編も掲載されています。

[第1条]ムヒョとロージーの魔法律相談事務所[魔属魔具師編] - 西義之 | 少年ジャンプ+

略称ムヒョロジは、ジャンプ本誌に掲載されているときから大好きだったので、少年ジャンプ+で復活してくれたのはとても嬉しかった。

あと、地獄楽も面白いよ!

[第壱話]地獄楽 - 賀来ゆうじ | 少年ジャンプ+

以上、自分の受け止め方の言語化と、ちょっとした少年ジャンプ+の宣伝でした。

ゾーニングという観点では、少年ジャンプ+で掲載されているという時点で区分がされているけれど、本来届かない層にまで届くとネガティブな反応が増えるというのは、昔からずっと言われ続けていることですね。

そんなこともあり、読み手を限定した『妹の姉』の姉の裸と、テレビで流される『ドラえもん』のしずかちゃんの裸は、同列に批判できるものとは思っていません。

追記

『姉の妹』はもとはジャンプスクエアで読切していたらしい。さすが、ワールドトリガーが連載されているジャンプスクエア! エッジが立ってる!!

ということで、ジャンプの紙の媒体に掲載できる作品ではなかった云々は私の認識不足でした。すいません!

ちなみに、反省のために当時話題になっていたか検索していたら、地獄楽の賀来ゆうじさんが絶賛しているのを見つけました。

世代が近いのかもしれないけれど、同じ媒体で描いてたもの同士がこうやって仲良く切磋琢磨しているのを眺めるのは私は大好きです。

靴下も箸も全部同じものに買い揃えて、一気に交換する

ライフハックネタとして、靴下は同じ種類のものを一気に買うというものがあります。洗濯したあとに、左右の靴下を揃えてまとめる手間を減らすことが目的ですね。

ただ、駄目になった靴下を新しいものにしようとしたときに、前と同じブランド(例えば、無印やユニクロ)で買い揃えても、バージョンがちょっと変わっていることがあります。そんなに靴下に注目を浴びることはないので、ちょっとバージョンが変わっていても気にしなくていい気がしますけど、気になるっちゃ気になる。あと、洗濯してると色落ちするし、型くずれもする。

[セシール] 靴下 無地カジュアルソックス(5足組セット) ゆったり仕様 P-38 E 22-25

※セシールとか通販で買うこともある

そこで、我が家では、一気に買い揃えた靴下の、どれかが駄目になったら、同時期に買ったものを一気に交換するようにしています。こうすると、微妙な見た目の違いが起きることはないし、しばらくしてから、穴が開くとか駄目になったときに交換するという手間も減らすことができる。捨てる靴下は、切って雑巾にしています。

子どもたちは足の大きさがそれぞれ結構違うので、さすがに同じ靴下に統一できませんが、夫婦では、ある程度サイズの幅のある同じ靴下を履くようにしています。

同じように、一気に買い揃えて、一気に交換するのが、箸です。箸も洗ってカトラリーケースに入れてあるところから取るときに、同じ種類に揃えるのが少し手間なんですよね。だから、同じ箸を使う。

我が家ではシンプルな木製の箸を使っていて、こちらも、駄目になったものがあると、一気に新しい種類の箸に交換するようにしています。捨てる箸は、庭でBBQをするときの焚き付けに使っています。

食器もワンプレートのプラスティックなものに朝ご飯用は統一しています。朝の時間がないときに、食器の種類を考えたり、洗い物を増やしたくないから。ただ、時々、姑から食器を譲られることがあって、その扱いには困っていますね。時々、容赦なく捨てるようにしているんだけど。

こんな感じで、ちょっとしたところで手間を感じないで済むようにできるといいなと思っています。

以上、日常のちょっとしたライフハックでした。

子どもがゲームの世界で生き生きしていて、居場所を作るシミュレーションをやってるみたいで興味深い

うちの子どもが最近ゲームにハマっています。モノポリーとか金持ち父さんのキャッシュフローゲームみたいな、ボードゲームとは違って、電子的なやつです。スマホの簡単なやつじゃなくて、オープンワールドの本格的なやつ。

Lego Mario

我が家では一日のゲームの時間は大体決まっていて、その日にやることが決まっているものが終わったら、プレイしていいことになっています。のび太の家みたいに、楽しいことをしてからタスクをするというのは、タスクをしてから楽しいことをするのと違って、タスクがより苦痛に感じやすいという判断からです。

ゲームとの付き合い方は、本格的な作品をプレイすることになったときに親子で話し合いました。私自身は子どものときに、寝食忘れてゲームをして、学校によく遅刻をしていましたから、一日のゲームの時間をしっかり子どもたちだけで守っているのを見て、大した自制心だと関心しています。今どきのゲームは昔のゲームより親切でハマりやすいはずなのに。私は『コンボイの謎』の一面でずっと死に続けていました。

うちの子どもたちはゲームをしていない時間もゲームの話を結構しています。具体的には、次にプレイすることがあるならこんなことを試してみたいとか、子どもたち同士でテクニックを伝授し合ったりとか。攻略本を暇があれば何度も何度も読み返していたりします。

それで、ゲームができる時間になると、やろうとしていたことを実践してみるわけです。上手くいくものもあれば上手くいかないものもある。プレイできる時間内に終わればいいけど、終わらない場合は、また、オフラインで、どうやったら上手くいくかを考えて、親に意見を求めたり、きょうだいたちで相談し合います。ちょっとしたプロジェクトですね。

子どもたちはゲームの世界をリアルとは別の世界と認識しているようで、ゲームの中で作り上げた自分たちの世界にちょっと誇りを持っていて、私たち親に、こんなものを作った、こんなキャラがいるというのを非常に楽しそうに教えてくれています。

私はこういった状況を、子どもたちが、ゲームの世界を自分たちの居場所の一つと考えているのではないか、居場所作りのシミュレーションになっているのではないかと興味深く眺めています。

以前にも書いている通り、居場所が複数あるというのは人生において良いリスク分散になります。誰とでも必ず仲良くやれるわけではありませんし、不幸な事態があってコミュニティが存続できないということもあります。学校が嫌でも、家庭や習い事で上手くいっていれば何とかやっていけます。

私は、子どもたちのプレイスタイルを見て、ゲームをしていることが居場所作りのシミュレーションになっているのではないかと考えたわけです。実際、ゲームを居場所の一つにしている人は多くいますし、すでに私の子どもたちもそうかもしれません。

まだ、オンライン要素は解禁していないのですが、オンラインで他のプレイヤーとも協力するようになると、リアルで経験するのとはまた違ったコミュニケーションが必要になり、トラブルに遭遇することもあることでしょう。そのとき子どもがどう対処するのか、非常に楽しみです。

友達とリアルに遊ぶのより、ゲームは子どもがやっていることが親の目に入りやすいので、これからも機会があれば、子どもがゲームの世界で生活しているのを眺めていきたいと思います。    

ゆうべはお楽しみでしたね 1巻【期間限定 無料お試し版】 (デジタル版ヤングガンガンコミックス)

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※ドラクエXをきっかけに男女が同居する物語。かなり好き。いずれ子どもの手の届くギリギリのところに置きます。2019/2/7まで無料らしい。

音楽に興味がないけど、クイーンの伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』(映画)は楽しかった

姑に子どもを預けて、パートナーとデートをすることができたので、では、映画でも観に行こうかと思い、今、上映されている映画を一通りチェックしたところ、ロックバンドのクイーンを題材にした伝記映画である『ボヘミアン・ラプソディ』が最も評判が良かったので、観に行ってきました。

Bohemian Rhapsody (The Original Soundtrack)

タイトルに書いてあるとおり、私は、音楽にまったく興味がなく、むしろ、音楽は人生の邪魔と思っているぐらいで、クイーンについても、ボーカルのフレディ・マーキュリーが白タンクトップのヒゲのおじさんで、曲はテレビCMで流れていたのを何曲か聞いたことがあるぐらいでした。

しかし、映画はとても楽しめました。音楽に興味がない人間による、こういう映画のレビューというのは、それはそれで需要がありそうだなと思い、あえて、ポジションを明確にして、この記事を書きます。(〇〇だけど、△△は良かったの、〇〇を書くのは私は意味があると思っている派です。)

そういうレビューを求める人だけ読んでください。素人の生半可なレビューをどうしても受け付けられない人は読まないことをおすすめします。あと、クイーンについてwikipediaに書いてあるぐらいのネタバレはあります。

何が面白かったか

まずは、フレディ・マーキュリー(の役者)が、何とも言えない、みすぼらしい青年であったことに驚き、そして、その青年が徐々にマッチョな彼に変化していく様が、楽しかったです。

だって、最初に登場したときのフレディ・マーキュリーは、空港の荷物を投げる仕事をしている、ヒョロいお兄ちゃんなんですよ。周りから、「このパキー(パキスタン人)、仕事を怠けるな」とか馬鹿にされている、か細い、神経質っぽい男の子が、あんな白タンクトップになるとはとても思えなかったのに、かなり無茶な売り込みで実現した初ライブでは、「ああ、確かに、この人なら、あの白タンクトップになるわ!」と思わせる、パフォーマンスをいきなり発揮する。

役者って凄いなと感心しました。演出も巧み。

あとは、途中途中のライブシーンも格好いいんだけど、最後の10分?以上あった、1985年のライブエイドのシーンは、私もそのときに一緒にいて、一緒にライブを聞いている感覚になれました。

とても楽しかった。

違和感があったシーン

面白かったけれど、私個人として違和感があったシーンはいくつかありました。というか、キャラクターというか。

一人は、フレディ・マーキュリーの最初のパートナーであるメアリー。途中、フレディ・マーキュリーが迷走すると、どこからともなく現れて、道を正そうとします。ただ、フレディ・マーキュリーが一緒にいてくれと懇願しても、結構そっけなくいなくなっちゃうんですよね。実際、元パートナーであったとしてもできることはその程度でしょうが、わざわざ異国の地まで彼を心配して訪ねにくるのに、苦言を呈してさよならという感じだと、なんだかなと思う。

もう一人は、こちらはフレディ・マーキュリーの最後のパートナーである(らしい)ジム・ハットン。映画の中でのジムとの出会いは、フレディ・マーキュリーの乱痴気パーティの後片付けにきていたジムのお尻をフレディがなでたらかなり怒られたんだけど、実はジムもゲイで、フレディとその後、一夜をともにする。でも、ジムは名前を教えるだけで、その後しばらく登場シーンはなし。

何かあるなと思っていたら、物語の終盤で、フレディが唐突に(一応、けじめをつけたということなんだけど)、ジムを見つけ出し、両親にイチャイチャしているところを見せたり、バンドメンバーに見せたりして、ライブエイドのシーンでは、ジムの顔が何度も映る。ライブエイドでめちゃくちゃノッてるときに、物語的には馴染みのないジムの、しかも、とてもつぶらな瞳を何度も見せられると、いや、そんなにジムを押されても……という気持ちになりました。

メアリーにしても、ジムにしても、フレディ・マーキュリーを説明する上では欠かせない人物であることは、帰宅して読んだwikipediaで理解はできたのですが、メアリーがちょくちょく登場するのと、ジムが最後にめちゃくちゃ目立つのは、何か違和感あるなと思いました。

私個人の感性の問題もあるでしょうし、フレディ・マーキュリーについて知らないからこそ感じた違和感ですから、特に一般化できるものでもないし、一般化したいとも思いません。

そういえば「ベルファスト出身のカトリックでゲイ」も良かった

一方で、映画を観た人なら、たぶん、7割ぐらいが不愉快な人間であると同感するだろう、ポール・プレンターについては、「ベルファスト出身のカトリックでゲイ」と語る場面と、雨の中で、フレディと決別するシーンは、とても良かったです。面白かったシーンに書くのを忘れてた。

フレディがバンドメンバーと仲違いし、恐らくはエイズに感染する機会を与えただろうこともあって、完全に嫌われ役としてポールは描かれているのですが、彼の生い立ちが、要は、ベルファストのカトリックという少数派の中で、更にゲイというマイノリティであると知ると色々考えさせられるものがあり、また、フレディと決別するシーンの女々しさも、人間の苦しさ、寂しさを感じられました。

ポールのせいで踏んだり蹴ったりなフレディ。でも、フレディはポールを重用している。フレディもマイノリティだったから、マイノリティであるポールを簡単には切れなかったという風に私は解釈しました。

この点をもっと深堀りしたいと思って、私が読んで良かった記事もあわせて紹介しておきます。

https://sotodeyo.hateblo.jp/entry/paul-prenter

締め

以上、ざっくりした感想です。

ちなみに、Youtubeでクイーンのライブエイドの動画が見られるんですが(合法動画かどうか判断できないので貼りません)、映画はほぼ状況を再現していました。

ライブシーンだけを見るのでも十分価値があると思います。私はIMAXシアターで見て、それでもかなり感動したので、ライブが好きな人はDolby環境で見られるなら見るといいじゃないかと思いました。映画館でこそ観て楽しい映画ですね。

「何者かにならなくてはならない」という気持ちが薄れたら死にたさが減った

前に、この記事で、

「死について思いを馳せない人間はどうかしてる」と学校の先生に言われて、死に思いを馳せるポーズを取るようになった人 - 斗比主閲子の姑日記

13歳から25歳までは頻繁に死にたいと思っていて、今は少しは死にたさは減っているみたいなことを書いたんですけど、そう言えば、何で死にたさが減ったんだっけと記憶を辿っていってたら、「何者かにならなくてはならない」という気持ちが徐々に薄れていったからだということを思い出しました。

25歳ぐらいというのは、私が子どもを持つために結婚することを決めた頃です。この頃、自分が自分の人生で成し遂げたいことややりたいことが見付からないので、結婚して子どもを持てばいいのでは?と考えたのです。結婚に限らず、自分の中で、世の中で言われている、いわゆる"ふつう"の幸せというのを究極的に目指し始めた時期。

経緯と思考をもう少し具体的に書きます。

13歳から25歳ぐらいまでは、日々を何かを成し遂げるためにいかに使うかというのを意識していて、他人と違う経験をし、たくさんのことを勉強し、出来るだけ人に会い、イベントを開くことを自分に義務付けていました。

でも、駆けずり回っているのに自分が何かを成し遂げたという気持ちにはなれずに、理想の自分と現実の自分とのギャップが常に頭から離れず、これだけ苦しんでも理想の自分になれないのだとしたら、苦しいんだし死んでしまったほうがいいのではということをちょくちょく思っていました。この十数年間、人にはそこそこ評価されていたし、何がしかの立場も得られていたのに。

大学を出てからは、世の中的にはとても社会に影響があるとされる仕事に就いて働いていたけれど、私の目には、その仕事は創造性のかけらもない、金太郎飴のようなルーチンを回す作業にしか見えませんでした。だから、「なぜ、私はこんなことで時間を浪費しているのか」と苦しみながら働いていました。

あんまり辛くて、自分にとって安易で決してやるべきでないと考えたことに手を出し始めました。それまでは絶対に買わなかったファストファッションのお店に通う。有名店を食べ歩きする。異性と付き合い、雰囲気のある場所でデートする。いわゆる観光地に行く。同窓会に顔を出す。全部一気にじゃなくて、徐々に、徐々に。

自分の中で易きに流れていると最初は嫌だったけれど、やってみると"みんながやってる"というのがとても居心地が良いことに気付き始めました。獣道でないから、予想外の対応を迫られることが少ない。安定してそこそこ楽。お金も汚いと考えでいたのに、人生を楽にする手段だと認識が変わり始めました。

どこかでブレークイーブンポイントが来て、「何者かにならなくてはならない」という気持ちも薄れていきました。今度は、逆に吹っ切れて、最大公約数的な"ふつう”の幸せを目指そうと思い始めたわけです。その一つが結婚と子ども。

結婚式なんかも衆愚の極みだと思っていたのに、「結婚するなら、ま、いっか」と、多少手は加えましたけど、"ふつう"にやりました。子育てでも、布オムツ使ったほうがいい?とか、おしゃぶりは使うべきじゃない?とか、頭の中にあったけど便利だから、紙オムツやおしゃぶりも使いました

「何者かにならなくてはいけない」という気持ちを限りなく手放してからの、25歳からの人生は、ここまで快適に来ています。まだ、死にたさは時々襲ってくることがあるけれど、「そこそこ楽しんだから、死ぬときは、死んじゃえば?」ぐらいな気持ちで処理できています。

今、最大の懸案は、子育てが楽になりすぎていることです。暇を子育てで潰していたのに、子育ての時間が減ってるから、私の人生に暇が登場してくるシーンが増えてきている。ネットはそこそこの暇潰しにしならないし。

それ加えて、後、十年ちょっとで仕事も辞めるので、更に暇が襲ってくるのは確実です。

子どもにしがみついても、仕事にしがみついても、暇は潰せるし、それは結構"ふつう"でいいんだけど、そのふつうは選びたいと思ってないんですよね。長くなかったから省きますけど。

…そんなわけで、死にたさを思い出させる暇を潰すためにも、定年退職者がボランティア活動に精を出すという"ふつう"を真似して、慈善行為に人生のリソースを使う時間を増やし始めているのが、今となります。純粋な意味でのPTA活動とか、自治会活動とか。

後は、十年後にはきっと大学に入り直しているはずです。生涯学習って"ふつう"に流行ってますよね。

話が脱線して、何かよくわからない感じになりましたけど、以上、死にたさが減った経緯です。書けて良かった。

2歳~6歳の子育て期間中の年間500冊ぐらいの絵本の読み聞かせで、大変お世話になった絵本作家16名+シリーズもの多数

先日のTwitterでこんなことを書いたんですけど、

全員知っているという人がそれほど多くはなかったので、せっかくなので、私が、子どもたちが2歳~6歳の子育て期間中に、年間500冊ぐらい絵本の読み聞かせをしてきた中で、お世話になった絵本作家とその作品を紹介してみます。

現在、未就学児の子育て中の方であれば、多少は参考になるかと思います。一応、対象年齢は徐々に大きくなるように紹介していきます。敬称略です。

 

せなけいこ

『ねないこだれだ』はあまりにも有名ですね。特徴的な貼り絵画法で、可愛いんだけど、何か怖い絵本をたくさん出されています。

 私の子どもたちが何度も何度も読んでくれとお願いしてきたのは『ちいさなたまねぎさん』です。他の野菜や台所道具がネズミにバタバタ倒されていく中で、たまねぎの辛味でネズミが退散していきます。絵本の読み終わりに「おわり。せなけいこ」と毎回私が言っていたため、せなけいこさんは恐らく私の子どもたちが始めて認識した絵本作家です。

ちいさなたまねぎさん (こどものくに傑作絵本)

ちいさなたまねぎさん (こどものくに傑作絵本)

 

あきやまただし

『はなかっぱ』の原作者と言えば皆さん分かるのではないでしょうか。『はなかっぱ』のアニメは正直どうなのと思ってますけど、あきやまただしさんの絵本のほうは、アニメの嫌らしい感じはかけらもありません。かなり似たような本が大量にあるけれど、似たような本であるために、子どもは毎回楽しんでくれていました。

 子どもたちに何度も読んだのはへんしんトンネルシリーズ。かっぱと何度も読んでいるとパッカパッカになって河童が馬に変身するみたいなやつですね。これが子どもには大受けするんですよ。ウケるんで読んでるほうも楽しくなるし、子どもも、自分で口ずさむようになる。助かりました。

へんしんトンネル (新しいえほん)

へんしんトンネル (新しいえほん)

 

五味太郎

説明不要ですかね。私も子どもの頃に読んだ記憶があります。私が好きだったのは『きいろいのはちょうちょ』。紙の一部に穴が空いてあって、ちょうちょのはずが豚の鼻とかに切り替わります。 

きいろいのは ちょうちょ (五味太郎・しかけ絵本 (1))

きいろいのは ちょうちょ (五味太郎・しかけ絵本 (1))

 

うちの子どもたちが好きだったのは『さる・るるる』ですかね。さるが何かするだけなんですけど、"さる"と"る"の語幹がいいので読んでいてリズムを取りやすい。子どもも真似しやすい。 

さる・るるる

さる・るるる

 

いもとようこ

絵柄を見てジャケ買いされる率が高い絵本No.1だと私が勝手に思っているのが、いもとようこさんです。表紙の絵柄は本当に可愛いんですけど、中身は、「ん?」「え?」という展開になることが多いんですね。その中で『いないいないばあ』は普通にいないいないばあの本で、子どもも好きで、何度か読みました。 

いない いない ばあ (1) (あかちゃんのための絵本)

いない いない ばあ (1) (あかちゃんのための絵本)

 

『ずっとそばに・・・』と『かぜのでんわ』は一回読みましたけど、二回目は読みたくなかったな!

かがくいひろし

この人の作品はもう全部ハズレ無しです。たぶん、どれでも、ほとんどの子どもが爆笑するはずです。もう、ほんと、お勧め。全部読みましょう。

私の子どもが大好きだったのは『だるまさんが』です。だるまさんがころんだにちなんで、「だるまさんが~」と読んでからページをめくると、「ぷっ」とだるまさんが紙面いっぱいに膨らんだりします。子どもが大喜びしますよ!

だるまさんが

だるまさんが

 

長新太

正直意味が分からないんですけど、子どもにはウケるんですね。当惑しながら何度も読んでいました。『ゴムあたまポンたろう』とか『ごろごろにゃーん』とか。ストーリーは説明できません。 

ゴムあたまポンたろう (絵本・こどものひろば)

ゴムあたまポンたろう (絵本・こどものひろば)

 
ごろごろにゃーん (こどものとも傑作集)

ごろごろにゃーん (こどものとも傑作集)

 

なかやみわ

この人の作品もほぼハズレ無しですね。大人にとってのハズレという意味ではなく、子どもにウケるかどうか(もう一度読んでくれと言われるかどうか)で言えば、かなり確度が高く、二回目をせがまれる。

『そらまめくん』シリーズと 『くれよんのくろくん』シリーズは今でも最新刊が出るかをチェックしています。 

くれよんのくろくん (絵本・こどものひろば)

くれよんのくろくん (絵本・こどものひろば)

 

西村繁男

多作な印象はありません。ただ、何冊かを何度も読みました。書き込みが細かくて、何度見ても発見がある。

特に、『がたごとがたこと』は100回は読んでるんじゃないでしょうか。人間だと思ったら後で妖怪に切り替わるんですけど、微妙に特徴が似てるんですね。最初は、人間界と妖怪の世界の切り替えをパッと見て楽しむんだけど、何度も読むうちに、細かな共通点をチェックするようになります。

がたごと がたごと (絵本・こどものひろば)

がたごと がたごと (絵本・こどものひろば)

 

鈴木まもる

絵柄が朴訥でとても優しい。『せんろはつづく』『きゅうじょたい』シリーズは有名ですね。我が家では『ざっくん!ショベルカー』を100回は読んだと思います。 ワンオペでお兄さんがたくさんの建機を使って週に6日働くブラック労働環境だなと思って読んでいました。

ボロボロになっても何度も何度も子どもが持ってくるので、すっかりセリフは覚えて死ぬまで忘れないだろうなと思っていたら、もう忘れています。人間、よくできていますね(笑)

ざっくん!ショベルカー

ざっくん!ショベルカー

 

長谷川義史

キャラクターの頭がデカい、輪郭線の太い絵柄で特徴のある作家さん。ハズレはないんですが、言葉が凄く少ないので、すぐ読み終わっちゃうんですよね。もう少し長いセリフを入れて欲しいと思ったものです。

我が家でお気に入りだったのは『いいからいいから』と『はいチーズ』です。『いいからいいから』は、おじいさんが「いいからいいから」と何でもかんでも話を進めちゃう。子どもも「いいからいいから」が口癖になる。シリーズにもなっています。 

いいからいいから

いいからいいから

 

『はいチーズ』は、長谷川さんの関西弁シリーズの一つですね。うちの子どもたちは長谷川さんの絵本で関西弁を学んでいました。この作品は最後に期待していたチーズがそんなに美味くないところが絶妙で、私も大好きでした。 

はいチーズ

はいチーズ

 

川端誠

目が死んでる絵柄として、私の中では見分けがつく作家さんです。妖怪だったり、時代物だったりをよく描かれています。

うちの子どもたちがじゅげむを言えるようになったのは、川端さんの絵本のおかげです。  

落語絵本 四 じゅげむ (落語絵本 (4))

落語絵本 四 じゅげむ (落語絵本 (4))

 

岡田よしたか

食べ物が擬人化する絵本で有名ですね。作品数は決して多くはないので、コンプリートは簡単だと思う。食べ物で遊ぶなと言われそうなぐらい食べ物で遊んでいます。

私の子どもたちが好きだったのは『うどんのうーやん』。うどんが空を飛んでいって、出来上がりは相当不味そうな仕上がりになります。

うどんのうーやん

うどんのうーやん

 

宮西達也

『ティラノサウルス』シリーズ、『せいぎのみかた』シリーズは有名だと思います。『ティラノサウルス』は私は好きじゃないですが、大人向けの絵本とも捉えられている気がする。

うちの子どもたちが好きだったのは『かぶと三十郎』シリーズです。虫嫌いには辛いだろうけど、敵も味方も虫だらけです。虫好きなら。 

かぶと三十郎―きみのために生きるの巻

かぶと三十郎―きみのために生きるの巻

 

鈴木のりたけ

比較的新しい作家さんですね。リアリティ世界からスタートして、子どもが好きそうな、過剰な展開に持っていくというのが多いと思う。

次に紹介する、ヨシタケシンスケさんと並んで、何となくあざとい感じがあるんだけど、まあ、でも、子どもは好きなので読みます。 よく読んでいたのは『ぼくのおふろ』。

ぼくのおふろ (わたしのえほん)

ぼくのおふろ (わたしのえほん)

 

ヨシタケシンスケ

出る本出る本人気になりますよね。『もうぬげない』とか凄い話題になった。確かに、面白い。ちょっと大人向けの絵本かなと思うときがあるんだけど、子どももハマる。

我が家で好かれたのは『りんごかもしれない』です。理屈っぽくて、書き込みが細かい。この絵本を読んでると就職活動のときにマッキンゼーの面接でケーススタディをやらされたのを思い出して凄く嫌な気持ちになるんだけど(「りんごの使い道を考えてみてください」みたいなケーススタディ)、 子どもにせがまれて読み続けてました。

りんごかもしれない

りんごかもしれない

 

原ゆたか

もはや説明不要ですね。 『ほうれんそうマン』で主役を食っていたかいけつゾロリの『かいけつゾロリ』シリーズはあまりに有名だと思います。1987年の第一作からスタートして、すでに60冊以上出ていて、作品の中にはその当時のギミックが登場するので、後から読むとロストテクノロジーだらけになっています。テレホンカードとか。

結局『かいけつゾロリ』は出ているところまでで全部読みました。後、『かいけつゾロリ』のアニメの中に原ゆたかさんが登場することから、子どもたちの中に原ゆたかは有名人だと植え付けられ、結果的に、原ゆたかさんの他の絵本シリーズも読みました。

正直、話の筋はぐちゃぐちゃで行き当たりばったり感はあるんだけど、ギミックは今でも面白いです。 『プカプカチョコレー島』のチョコレートマシーンとか。島ごとチョコレートにはならないだろー(笑)

プカプカチョコレー島 (プカプカチョコレー島 1)

プカプカチョコレー島 (プカプカチョコレー島 1)

 

その他のシリーズもの(思い出したら追記)

作家さんというわけではなく、作品シリーズとしては『おしりたんてい』は読みました。トリック(仕掛け)が分かりにくいのと、おならで解決するところが、「うーむ」と完全肯定しにくいんだけど、子どもにウケるのはウケる。これは否定できない。 

おしりたんてい (単行本)

おしりたんてい (単行本)

 

あと、『白オバケ黒オバケのみつけて絵本』シリーズ。絵本としては大判だし、迷路や間違え探しもあるから、絵本要素だけではなく、相当楽しめる。 

にげるタマゴをつかまえて! (白オバケ黒オバケのみつけて絵本)

にげるタマゴをつかまえて! (白オバケ黒オバケのみつけて絵本)

 

『白オバケ黒オバケのみつけて絵本』シリーズを紹介したので、『迷路』シリーズも。こちらはもう迷路とタイトルにあるので迷路がメインではあるものの、ミッケ的な要素がふんだんにあり、更にお勉強要素もある(さりげない親向けアピール)。楽しい。 

時の迷路―恐竜時代から江戸時代まで

時の迷路―恐竜時代から江戸時代まで

 

数が多くクオリティが安定しているということで、『わんぱくだんシリーズ』も。現時点で23冊登場しています。けん・ひろし・くみの仲良し三人組がふとしたきっかけで異世界に飛んでまた戻ってくるという展開。異世界に行ったささいな証拠が必ず残るの楽しい。 

わんぱくだんのかくれんぼ (しかけ絵本)

わんぱくだんのかくれんぼ (しかけ絵本)

 

『くすのきだんちシリーズ』は現在8冊まで。色々な動物が住む10F建てのくすのきのアパートでの物語。上の階層に住むのは、停電時のタワマンみたいで大変ではないかとかそういう話をした記憶はある。

くすのきだんちは10かいだて

くすのきだんちは10かいだて

  • 作者:武鹿 悦子
  • 出版社/メーカー: ひかりのくに
  • 発売日: 2007/02/01
  • メディア: ハードカバー
 

『もりはおもしろランド』は全15冊。ある町に住む動物たちがそれぞれ主役になる形で、町の住民との交流が行われる。私の子ども時代の作品だけれど古臭さは一切感じない。絵本、凄いな。 

もりのゆうびんきょく (もりはおもしろランド( 1))

もりのゆうびんきょく (もりはおもしろランド( 1))

  • 作者:舟崎 靖子
  • 出版社/メーカー: 偕成社
  • 発売日: 1977/11/01
  • メディア: 単行本
 

締め

以上、作家さんとしては16名、加えてシリーズ作品を紹介しました。こちらで紹介した以外でも多数の絵本作家さんのおかげで我が家の子どもたちと楽しい時間を過ごせました。

絵本作家の皆様、本当にありがとうございます。

「死について思いを馳せない人間はどうかしてる」と学校の先生に言われて、死に思いを馳せるポーズを取るようになった人

私がパートナーの足を揉みながら、「今すごく幸せだけど、時々死にたくなるんだよね」と言ったら、「え、死にたいって本当に思うことあるの?」と問われ、「え、そ、そうだけど。特に13歳ぐらいから25歳ぐらいまではずっと死にたいと思ってたよ」と答えると、「死にたいって思う人って本当にいるんだねー!」と驚かれました。

パートナーは、これまで「死にたい」と口に出す人はポーズで言っていると思ってきたんだそうで。私が「いや、だって、死にたいと思って自殺する人は実際にいわるわけでしょ? そうすると、ポーズとかなんかじゃなく、死にたいと口に出す人はいてもおかしくないと思わない??」と聞いてみると、「確かに、それはそう。でも、ポーズで言っていると思うようになったんだよな」と答えます。

深掘りしてみたら、昔、尊敬する学校の先生が授業の中で、「死について思いを馳せない人間はどうかしてる」と言っていたことがあったらしく、それを聞いた私のパートナーは、「どうかしてると思われたくないから、死について思いを馳せているポーズを取るようにしよう」と学んだそうで。

その学びはあまりに杓子定規(というか少しズレている)ではないかと思いつつも、確かに、世渡りの一つとして、「世の中ではこう考えているのが基本だ!」みたいなことを言われたら、そう考えているように見せるよう、学習するのはあるっちゃあります。

私のパートナーは生まれてからこの方、一度たりとも死にたいと思ったことはないということでした。結婚してからも私が何度(何十度)か「死にたい」と言っていたのは本気で言っているとは思っていなかったそうです。

私の方は私の方で、死にたいと思ったことがない人がいるなんて思ったこともなかったので、パートナーには驚かされました。

お互いに、人生の中で最も長く付き合ってきて、数えきれないくらいの時間の会話をしてきたわけですが、未だに相手について知らないことがあったわけです。相手を分かるというのは、やはりほどほどのところまでだよなと思いつつ、考えが多少違っていても、むしろ、ちょっと違うところがパートナーの魅力でもあるよなと思ったのでした。

車輪の下 (新潮文庫)

※中学生の頃『車輪の下』なんかを読んで死にたいと思っていたのは若干陶酔が入っていた気がする

もうすぐ夏休みが終わる!やったね!!

子持ちにとっての地獄である夏休みがもうすぐ終わります。地域的には今日8月27日から始業式というところもあるでしょうし、多いのは来週9月3日からでしょうか。皆様、大変お疲れ様でした。

Sunflower

※夏の風物詩であるはずが、今年の夏に見た記憶がない

私が子どもだった頃は、夏休みが親にとって負担があるものだとはまったく認識していませんでした。何をして過ごしていたかも定かじゃないですけど、たぶん、図書館はよく行っていたと思います。涼しかったから。

夏休みに子どもの世話に時間をかけていると、自分の立ち位置が変わることで、同じ物でも見方は変わるものだなと思います。子どもの頃は、部活動は先生と親に相当負荷がかかるものだとも思っていませんでしたしね。大学受験のときも、あくまで自分の進路だから親には関係ないと思っていましたし。

人によっては子どもの頃であっても親や周りの大人の苦労を分かっていることはあるんでしょうけど、私は大人の苦労なんて微塵も想像したことはありませんでした。

子どもの頃は、教科書の中の出来事と、学校と地域の半径10メートルぐらいのことしか興味がなかったのが、年を取って、働いて、結婚して、子どもを育て、義両親と同居して、そうして、私は、色んな視点で世の中を見られるようになりました。

私は歴史だけじゃなく経験もないと物事を理解できないので、大変ですけど、夏休みの過酷な親業も一つの得難い経験として捉えるようにしておきます。

とにもかくにも、皆様お疲れ様です。まだまだ暑いですし、子どもだけじゃなく、親も9月は体調を崩しやすいですから、どうぞお身体にはご自愛くださいませ。