斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

「死について思いを馳せない人間はどうかしてる」と学校の先生に言われて、死に思いを馳せるポーズを取るようになった人

私がパートナーの足を揉みながら、「今すごく幸せだけど、時々死にたくなるんだよね」と言ったら、「え、死にたいって本当に思うことあるの?」と問われ、「え、そ、そうだけど。特に13歳ぐらいから25歳ぐらいまではずっと死にたいと思ってたよ」と答えると、「死にたいって思う人って本当にいるんだねー!」と驚かれました。

パートナーは、これまで「死にたい」と口に出す人はポーズで言っていると思ってきたんだそうで。私が「いや、だって、死にたいと思って自殺する人は実際にいわるわけでしょ? そうすると、ポーズとかなんかじゃなく、死にたいと口に出す人はいてもおかしくないと思わない??」と聞いてみると、「確かに、それはそう。でも、ポーズで言っていると思うようになったんだよな」と答えます。

深掘りしてみたら、昔、尊敬する学校の先生が授業の中で、「死について思いを馳せない人間はどうかしてる」と言っていたことがあったらしく、それを聞いた私のパートナーは、「どうかしてると思われたくないから、死について思いを馳せているポーズを取るようにしよう」と学んだそうで。

その学びはあまりに杓子定規(というか少しズレている)ではないかと思いつつも、確かに、世渡りの一つとして、「世の中ではこう考えているのが基本だ!」みたいなことを言われたら、そう考えているように見せるよう、学習するのはあるっちゃあります。

私のパートナーは生まれてからこの方、一度たりとも死にたいと思ったことはないということでした。結婚してからも私が何度(何十度)か「死にたい」と言っていたのは本気で言っているとは思っていなかったそうです。

私の方は私の方で、死にたいと思ったことがない人がいるなんて思ったこともなかったので、パートナーには驚かされました。

お互いに、人生の中で最も長く付き合ってきて、数えきれないくらいの時間の会話をしてきたわけですが、未だに相手について知らないことがあったわけです。相手を分かるというのは、やはりほどほどのところまでだよなと思いつつ、考えが多少違っていても、むしろ、ちょっと違うところがパートナーの魅力でもあるよなと思ったのでした。

車輪の下 (新潮文庫)

※中学生の頃『車輪の下』なんかを読んで死にたいと思っていたのは若干陶酔が入っていた気がする