このブログは、二世帯住宅で一緒に暮らす姑絡みの揉め事とかモヤモヤを私が吐き出すために書き始めたブログで、もう7年になります。
最近は姑ネタをほとんど書いていませんが、同居を解消したとか、姑がお空のお星様になったとかではなく、モヤモヤすることが減ったというのが大きいです。
この前、姑から「近所で娘息子世帯と同居をしていたのを解消したり、私の同級生でも同居が上手く行っていなかったり、どこの家庭も苦労しているみたいなんだよね。我が家は同居して長いから、同居のコツを最近よく聞かれる」と言われました。
実際のところ、我が家の近所で二世帯住宅が建ったと思ったら、姑さんだけがぽつねんと残っているケースはたまに見かけます。みなさんお金持ちなので、経済に貢献して素晴らしいことだと思いながらも、数千万円のお金をドブに捨てるのは私だったら耐えられないなと眺めています。
我が家の同居が上手く行っているというか、少なくとも悪い方向に向かっていないのにはいくつかの要因がありますが、一言で言えば、距離感が取れているということになります。距離感というのは、物理的なものと精神的なもの、両方です。
人間、たとえ友達や恋人として接している分には楽しくても、いざ一緒に暮らしてみると揉め事は耐えません。共有スペースのゴミを誰が掃除するのか、冷蔵庫の消費期限切れの食べ物を誰が廃棄するのか、流しにある食器はいつまで放置がOKなのか、玄関に靴が大量に置いてあるのとか、誰かとのLINEの会話がうるさいとか、帰ってくる時間を共有するかとか、仕事の愚痴をどれくらい聞くかとか、距離感が近くなると相手と自分の考え方や生き方の差異というのは気になるものです。
それが、姑や舅のような、単に配偶者の接点があるだけで他に接点がない、世代が大きく異る層の人間と、様々な調整やすり合わせの機会なしに上手く生活できるわけがありません。ストレスは必ずある。
そういうわけで、我が家は、相手の価値観を意識しないですむように距離を取ってお互いに生活しているわけです。
物理的には、玄関以外はすべて別です。今思えば玄関も別で良かったかなと思うときがありますが、宅配荷物を不在時にお互いに受け取られるメリットはあります。あとは税制とかかな(ここは実はよく調べていない)。
※今更だけど、後で読む。親子の絆など深まらない
精神的には、お互いの手伝いにお金を介在させています。姑世帯で高いところの電球の交換があったとしても、PCの調子が上手く行かなくても、我が家の世帯で子どもを両親が見られないときも、学校のイベントに姑に代わりに参加してもらうときも、相手が善意でやってくれることは期待していません。善意の期待は大抵は期待値の差が生まれて、負担をする方に不満が生まれがちです。何かあれば、家族であってもお金で解決するようにしています。子どもを預かったら時給1500円とかですね。
というわけで、久々の姑ネタでした。姑と旅行に出かけると大量のモヤモヤが生まれるのですが、もう私が耐えられないので旅行に行くことはないはずです。悪しからず。
我が家が事なきを得ているがために、共有できるモヤモヤネタが乏しく、読者の皆様には大変申し訳ありません。