読者からの質問に答える週、最後は『一橋を出てニートになりました』というブログを運営しているニャートさんからもらったものです。今回はちょっと長文です。ざっくり言うと、政治の話をどう書くか、燃えないブログの書き方みたいな感じですかね。
- 質問まとめ
- 1. 私や日本死ねの人のように、心に余裕がなくなると、なぜ、属性攻撃や汚い言葉を使うなど、逆効果な批判方法を取ってしまうのか、その傾向・心理・対策など
- 2. モヤモヤの整理
- 3. 政治系など批判を受けそうな記事を書きたいと思った時に、心がけていること
- 締め
- 記事中に紹介した本
質問まとめ
質問の経緯がちょっと複雑なので、その整理から。
まず、2か月前にニャートさんが私に過ぎた期待をしたとブログに書かれたので、それに対しブログで返事をした上で、
一橋大卒元編集者のニャートさんの記事に思う、「私があなたを見ていること」の伝わらなさ - 斗比主閲子の姑日記
私に何か書いて欲しいことがあるのであれば、勝手に自分の中で期待して失望する前に、私に依頼のメールを送ってください。アドレスは、etsuko.topisyu@gmail.comです。
とお伝えしたところ、メールを頂いたというものです。それがこちらです。
斗比主様
お世話になります。
「一橋を出てニートになりました」というブログを書いている、ニャートと申します。
ご連絡が遅くなり申し訳ありません。先日の記事では、ご迷惑をおかけし、誠に申し訳ありませんでした。
それにもかかわらず、あたたかい記事を書いていただき、ありがとうございます。
時間と手間をおかけすることになってしまったことを、重ねてお詫びいたします。お言葉に甘えて、執筆のお願いをいたします。
「私や日本死ねの人のように、心に余裕がなくなると、なぜ、属性攻撃や汚い言葉を使うなど、逆効果な批判方法を取ってしまうのか、 その傾向・心理・対策など」
をお願いできるでしょうか。上記に沿っていなくても、斗比主さんが書きやすいように書いていただければと思います。
例には、私の言動を使っていただいて構いません。連載までされている方に、こんなことを無料でお願いして、すみません。
時間がある時にいつでも、1・2ヶ月後でも構いません。依頼に不明な点があれば、お問い合わせください。
よろしくお願いいたします。ニャート
※一部内容の削除をしています。
この記事を書く、大体1.5月前ですね。私からの返事はこちらです。
ニャートさん
メールありがとうございます。
いえいえ、お気になさらず!
お金儲けのために文章を書いているわけではなく、
暇潰しでやっていることですから、そんなにかしこまらないでください(笑)ご依頼確かに承りました。
そんなに難しい話ではないので、他の依頼が終わったら書きますね。ではでは!
topisyu
※一部内容の削除をしています。
これに対し、ニャートさんから、
斗比主様
お世話になります。
前回のご依頼についてですが、下記の記事を読みました。
こんな人生相談の回答者は嫌だ! - 斗比主閲子の姑日記
それで、モヤモヤすることを推敲せず、吐き出してみました。
-------------------------------------------------------------------------「保育園落ちた日本死ね」の「死ね」という表現はよろしくない、と一時期話題になっていた。
確かに、「死ね」という表現は不適切だ。
ただ、「死ね」という表現を使わなければ、あの増田一つで保育園問題が取り上げられることはなかっただろう。
「保育園に入れない」という問題を訴えているのに、「死ね」という言葉の揚げ足を取り、本題から目をそらさせる手法はどうにかならないのか。
不適切な表現が使われている=その主張をした人は信頼できない=その主張は取り上げる価値がない、というすり変えはやめてほしい。
「死ね」という表現を使うほど、その問題がせっぱつまっているという共感がなぜ生まれないのか。例えば、政治家はやりたい放題なのに、政治家を批判する側には品行方正が求められるというのはなぜなのか。
これは政治だけではなく、ネット上の議論でも同じに思える。
明らかな問題があり、それを指摘した時に、問題よりも指摘した側が叩かれることが多いように思える。
問題を起こしている側よりも、批判する側に覚悟が求められる。そんな逆転現象が存在する気がする。強い者ほど叩けない。
この問題を思う時、(不謹慎だが本音をということなので)秋葉原通り魔事件の加藤被告について「どうせ事件を起こすなら、罪のない弱い人ではなく、派遣会社を狙えばよかったのに」と言っていた人がいたことを思い出す。
当然だが、警備員やセキュリティがある派遣会社を襲撃するのは難しい。
加藤被告が、本当はどんな思いで罪を犯したのかは本人しか分からないし、彼を擁護する気は一切ないが、仮に社会への怨恨が原因だとしても、その刃が、原因たる強者ではなく弱者に向かうのは何とも不条理だ。政治の問題をブログに書くのは難しい。
「保育園日本死ね」の人に対しても、「政府が掲げる一億総活躍のためには保育園が足りない」というのはまっとうな指摘なのに、最近は人格中傷が増えてきた。
確かに、あの増田が突如国会で取り上げられた流れには、私も疑問は感じる。
だが、彼女が純粋な一増田だった場合には、政治的問題を批判するにはここまでの覚悟が必要なのかと思うとげんなりする。
-------------------------------------------------------------------------
…以上、モヤモヤを書き出してみましたが、私の中でもまだ整理がついていないため、モヤモヤの内容が前回の依頼内容と異なっていることに気づきました。申し訳ありません。また、推敲せず本音で書いたのですが、なぜか美味しそうなモヤモヤではありません。それもすみません。
もし、前回の依頼をもとに、記事を書いていただいていたら、ぜひそれをそのまま拝読させていただければと思います。
また、着手がまだであれば、私の上記のモヤモヤを可能なら整理いただくか(上記の文章は使っていただいて構いません)、もしくは、斗比主さんご自身が批判を受けそうな記事を書きたいと思った時に、心がけていることなどを、お教えいただけるとありがたいです。分かりにくいご依頼になってしまい、誠に申し訳ありません。
記事自体は、特に何も書くものがない時のストックにしていただいて構いません。
お手数をおかけしますが、よろしくお願いいたします。ニャート
※一部内容の削除をしています。
こういうメールを先月半ばにいただきました。
ということで、この記事では、ご依頼(ご質問)を以下の3点として回答します。
- 私や日本死ねの人のように、心に余裕がなくなると、なぜ、属性攻撃や汚い言葉を使うなど、逆効果な批判方法を取ってしまうのか、その傾向・心理・対策など
- ニャートさんのモヤモヤの整理
- 政治系など批判を受けそうな記事を書きたいと思った時に、心がけていること
1. 私や日本死ねの人のように、心に余裕がなくなると、なぜ、属性攻撃や汚い言葉を使うなど、逆効果な批判方法を取ってしまうのか、その傾向・心理・対策など
逆効果な批判方法かどうかは置いておいて、余裕がなくなると言葉が悪くなる・暴力的になるのは、別にこのお二人に限らず一般的なことかと思います。特に、傾向と心理については、私のような素人が書くまでもなく、誰かが書いているでしょうから省略します。(検索キーワード:貧困、オーバーワーク、犯罪、児童虐待、自殺)
Trouble shooterとしては対策を考えるのが好きなので、対策についてだけ私が思うことを書いてみます。大きく2つです。
①実生活を改善すること
②他人を受け入れること
一つ目は分かりやすいですね。金銭的・時間的に余裕がないから暴力的になる以上、金銭的・時間的に余裕があるようにするだけというもの。
二つ目はちょっと分かりにくいかと思いますので補足します。基本的には、他人に暴力的になってしまう背景には、他人が自分に攻撃をしてきている=その反撃をしているという気持ちがあるんじゃないかという発想からです。たとえ、金銭的・時間的な余裕が生まれても攻撃的な人というのは、自分が攻撃されていると思いがちな人。
他人を受け入れることは、怒りをコントロールしたり、自己肯定感を高めるために有効なようです。これは以前に紹介した水島広子さんの本で書かれていたものを受けています。
なお、暴力的になることを避けたいというご希望ならこういう対策があるということを紹介したまでで、暴力的であるのは改善するべきことを私が示唆しているものではないことはご留意ください。
人がどうあろうとするかは、基本的には本人の自由であり、だからこそ結果について本人も責任が持てると私は考えています。結果責任を負うことに苦労し、自らが自らを変えたいと思うのであれば、変える何かに挑戦すればいい。
2. モヤモヤの整理
以下のモヤモヤについて整理します。
「保育園落ちた日本死ね」の「死ね」という表現はよろしくない、と一時期話題になっていた。
確かに、「死ね」という表現は不適切だ。
ただ、「死ね」という表現を使わなければ、あの増田一つで保育園問題が取り上げられることはなかっただろう。
「保育園に入れない」という問題を訴えているのに、「死ね」という言葉の揚げ足を取り、本題から目をそらさせる手法はどうにかならないのか。
不適切な表現が使われている=その主張をした人は信頼できない=その主張は取り上げる価値がない、というすり変えはやめてほしい。
「死ね」という表現を使うほど、その問題がせっぱつまっているという共感がなぜ生まれないのか。例えば、政治家はやりたい放題なのに、政治家を批判する側には品行方正が求められるというのはなぜなのか。
これは政治だけではなく、ネット上の議論でも同じに思える。
明らかな問題があり、それを指摘した時に、問題よりも指摘した側が叩かれることが多いように思える。
問題を起こしている側よりも、批判する側に覚悟が求められる。そんな逆転現象が存在する気がする。強い者ほど叩けない。
この問題を思う時、(不謹慎だが本音をということなので)秋葉原通り魔事件の加藤被告について「どうせ事件を起こすなら、罪のない弱い人ではなく、派遣会社を狙えばよかったのに」と言っていた人がいたことを思い出す。
当然だが、警備員やセキュリティがある派遣会社を襲撃するのは難しい。
加藤被告が、本当はどんな思いで罪を犯したのかは本人しか分からないし、彼を擁護する気は一切ないが、仮に社会への怨恨が原因だとしても、その刃が、原因たる強者ではなく弱者に向かうのは何とも不条理だ。政治の問題をブログに書くのは難しい。
「保育園日本死ね」の人に対しても、「政府が掲げる一億総活躍のためには保育園が足りない」というのはまっとうな指摘なのに、最近は人格中傷が増えてきた。
確かに、あの増田が突如国会で取り上げられた流れには、私も疑問は感じる。
だが、彼女が純粋な一増田だった場合には、政治的問題を批判するにはここまでの覚悟が必要なのかと思うとげんなりする。
皆さんも試しに整理してみてください。答え合わせ用に適当に改行を入れます。
- 言葉遣いが乱暴であるのは、そうなっている背景があるのだから、それを理解して欲しい。乱暴であるということだけで、その言葉に価値がないとするのは好ましくないのではないか。
- 政治家など不適切な発言・行為が批判されるべき人物への批判について、言葉遣いの問題だけで批判者が批判の対象になってしまうこともある。時に、批判者は社会的弱者であることもあり、社会的弱者がこの言葉遣いで批判の対象になることもある。そして、人格批判までされることも。
- 政治批判をすることに批判者自身が批判だけではなく、中傷されるリスクがあるようであれば、政治批判は非常に難しいものとなってしまう。
こんなところでしょうか。背景としては、弱者は発言・行為に多少問題があっても情状酌量の余地があり、強者は徹底的に弾劾されるべきだという考えがありますね。整理を求められているので、この考え方についてのコメントは次のトピックで少し触れます。
3. 政治系など批判を受けそうな記事を書きたいと思った時に、心がけていること
まず、私とスタンスが違うのでその点を先に書きます。最初から批判を想定して文章を書くことはありません。
- 批判=一般に公正妥当な範囲で対処可能な指摘
- 非難=一般に公正妥当な範囲で対処不可能な指摘
と私は考えています。辞書的にもそんな感じじゃないかなー。
例えば、批判とは『あなたの文章には句読点が少なく読みにくい』で、非難とは『あなたの文章はゴミであるので一度小学校に入り直すべきだ』みたいな感じですね。前者は対処が可能です。後者は少なくとも日本では小学校を一度卒業してから入り直すことはできないから対処不可能。
仮に書いた記事について批判を受けるようなことがあっても、それが批判である限りは私は自らの間違いを正すか、その批判を受け入れます。批判を受けそうな記事と最初から分かっているなら、批判を受けないように対策を十分に施すことが自らの意見を公に公開する上では誠実であると私は考えています。
ただ、批判というより非難を受けやすいトピックというのはあります。政治もその一つで、他には宗教、タバコ、育児などでしょうか。これらについては、スタンスの違いを受け入れず、自分が正しいと考えて、人格攻撃をしたくなる人が多いトピックです。要するに炎上しやすいトピックですね。
私も炎上観戦は好きだし、自分も炎上してみたいものだと常々思っていますが、意図した炎上ほどつまらないものはない(炎上も天然が美味しい)と考えているので、わざわざ自分から炎上のためのフックは設置しようとはしません。炎上を度々起こしている人がいたとしたら、そういう方法で注目を集めたい人間か、経験から学べない人であると私は考えます。
炎上対策については以前から何度も書いていますので、例えばこちらの記事を参照ください。
なお、私が暴力的な表現を書かないのは、炎上対策を考慮してではなく、2012年にインターネットに登場して以降、発言小町の検閲が通る文章を書くという縛りを入れているからです。書かないというより書けません。
締め
以上、全部入りでお届けしました。
今日で読者からの簡単な質問に答える特集は終わりです。この三日間の記事はこちらをどうぞ。
ネットでの煽り耐性があると日常生活で家族や友達の感情の起伏に寄り添えなくなるか
停職期間中の公務員によるFacebookでの『不謹慎』な投稿にほっこりするか
これからもどうぞ気軽に質問・依頼をしてください。etsuko.topisyu@gmail.com