せっかくなので2日連続で漫画レビューです。今日取り上げるのは美術漫画の『ブルーピリオド』です。
※タイトルはパブロ・ピカソの青の時代から
このブログで紹介するのは3回目だけど、しっかりレビューしてなかったので。というか、9巻をさっき読んで、自分の大学時代の劣等感をリアルに思い出して吐きそうになったので、それをそのまま使ってレビューが書けると思ったので書いている次第です。
『ブルーピリオド』は矢口八虎(やぐちやとら)という高校生の男の子がふとしたきっかけで美術に興味を持ち、東京芸大を目指し、現役で油絵学科に合格(ここまでが1巻~6巻)。その後、芸大に入学後の日々を描いています(7巻~既刊9巻)。
美術漫画というジャンルはないわけじゃないですが、山口つばささん自身が芸大卒であることと、作品の中で有名作品に限らず、練習作品でも山口さんの伝手?で実際の作品が使われているので、作品のリアリティが格段に高くなっています。
この漫画を通して美術を分かった気になるというのが楽しみ方の一つで、あとは、八虎の成長と成功を追体験するというのがメジャーな楽しみ方だと思います。
私の楽しみ方は、登場人物の苦しい中での劣等感を見て、自分に存在したかつての劣等感もがしがし掘り起こされるのを思い出すというものです。ブルーピリオドというタイトルだけあって、登場人物たちが苦しむので、それを見て、「あー、苦しい(苦しかった)」と思い出してます。
私が劣等感を覚えたのは美術の世界ではありません。美術でも友人に凄い絵が上手い子がいたというのはあるんですけど、その時点では私は絵で勝負しようなんてまったく考えてなかったので、その子との間で苦しい思いはしませんでした。その子は現役で芸大に合格。
私が劣等感を強烈に覚えたのは主に高校一年生と、そして、大学一年生の頃です。
高校一年生はたまたまクラスが進学コースに潜り込むことになっちゃって、周囲の子と比較して自分がいかに勉強をしていなかったのかと相当気付かされました。クラスの中でも下の方でしたし。結局、1年の後半ぐらいになるとそこでのコツを覚えて、何とかなったけど、最初の頃は苦しかった。
大学一年では、教授もそうだけど、院生含めて、もう一気に囲いが取っ払われたオープンワールドでの知力の殴り合いみたいなところがあって、ここでは本当に苦しみました。
もともと誰かに頼るほうではなかったし、初めての地域での、初めての一人暮らしで、日本中の頭の良い人が集まった場所に放り込まれて、「で、何がやりたいの?」「ロジック繋がっていないよね?」「これ、知ってる?」というのを毎時問われ続けていて、吐きそうでした。夜も無限に時間があるから、ずっと、劣等感と戦いながら学年が上の人とも僅かな知識を使って議論をし続けてた。しんどいけど、これを求めてこの大学に入ったのだから、逃げてはいけないと何かに追い立てられていた。
そういう苦しみがある中で、自分は一体どうやってこの中で戦えばいいんだろうと毎日出会う自分より賢い人たちと自分を比較し続けて、自分の状況に対する観察力が際立っているということが分かって、以降はそれを強みにして渡ってきて、結局、今でもそれを使って仕事でもパフォーマンスを発揮しています。
『ブルーピリオド』を読んでいると、自分がまさに高校~大学で、他人と自分を比較して、劣等感を抱きながら、どうやってこの中で突出するかというのを苦しんでいた日々を思い出せちゃうんですね。記憶の扉がこじ開けられる。
例えば、最新9巻のこの教授会のシーン。
※9巻37話目
ここでの会話みたいなのは、私も大学時代に教授から聞いたことがあるし、友人とも何度も何度も議論しました。自分はダイヤなのか、ダイヤだと教授から見てもらえるのかって。そんな話をしているぐらいなら、勉強して勉強して勉強すればいいわけですが。昼でも夜でも夜中でも、こんなことをずっと考えてた。(朝は遅いから何も考えられない)
現在、私は人の親で、そして、労働者としてはそこそこ上がってきているので、この種の劣等感とはほぼ無縁です。私の子どもが劣等感を覚え初めるのを見る立場。
しかし、『ブルーピリオド』を読むと、そんな私でも、当時の劣等感がリアルに呼び戻されるわけです。その心の澱を眺めるのがとてもいい。
ちなみに、主人公の八虎が大学入学後には若干劣等感成分が緩くなった(特に8巻)んですけど、9巻では無事に復活してくれています。だから、そういうヒリヒリしたのを読みたい人は安心してください。安易な学生生活ものにはなっていないので。
ということで、『ブルーピリオド』の極主観的なレビューでした。
ではでは!
※ヒリヒリするわー