私はたまに小説や漫画のレビューを書きます。レビューを書いた後で、その本がAmazon経由で売れているっぽいので、レビューとしてそこそこ参考にしてもらえているようです。
今回は読者さんから紹介された、KADOKAWAのハルタで連載され、ちょうど最新7巻が先月10月に発売されて完結した近藤聡乃さんの『A子さんの恋人』のレビューです。
以下、読者さんからの紹介文。
斗比主さんがお好きになりそうかはわかりませんが…近藤聡乃さんの、A子さんの恋人という漫画をご存知でしょうか。
優柔不断なアラサー女子が2人の男性の間で揺らぐ話…とまとめてしまうと簡単なのですが、青年期の不安定なアイデンティティや、美大を背景に様々な関係性が描かれており、なかなか読み応えがあると感じます。
もしご興味があればお読みいただき、記事にしていただければ大変嬉しく存じます。
一読者より
ハルタの漫画では、『乙嫁語り』と『ダンジョン飯』と『ヒナまつり』は好きですが、雑誌自体は手にとったことがなく(そういえばもう10年ぐらい漫画雑誌はまともに読んでいない。あの騒動のとき買ったぐらい)、『A子さんの恋人』は読んだことがありませんでした。今回、紹介してもらって読んでみました。
結論から書くと、私は登場人物や進み方にまったく共感を覚えませんでしたが、この作品がグサグサ刺さり、登場人物に共感する人が確実にいると理解できる作品だと思いました。
お断り
こういう風に書くと、「共感しないということはつまらないということか!」と怒る人がいると推測できるので補足します。
私が共感しないとしてそれ自体は作品の価値に何ら影響はしませんし(できないし)、この作品が好きな人を否定しているわけでもないですし、私はこの作品に深く心を動かされる人が存在していることは想像し理解できた上で、共感できるかと言えば私向きではない(not for me)と書いていることを理解してください。
以前に、映画『カメラを止めるな!』について、思ったより面白くなかった≒面白くなかったわけではない、と書いたら物凄く怒る人がたくさんいました。作品の批評と自分を重ね合わせ、作品が否定されたように見えると作品を好きな自分が否定された気がして反発するというのは、理路として大変理解できます。ただ、それを私にぶつけられてもあたなの問題であり私には関係ないので、ぜひ、その点はご自身の中で解消してもらえるといいかと思います。
と、長い前置きをした上で、なぜ私が共感を覚えなかったのか、また、なぜこの作品に共感を覚える人がいると理解したのかを書いていきます。ちなみに、キャラに共感できなかったものの話の進め方や絵柄や世界観はかなり好きだったので、その点も書きます。
なぜ私が共感を覚えなかったか
私が共感を覚えなかったのは、私が作中の登場人物のような悩み方をすることがなく、また、作中の登場人物のような恋人・友人関係を構築することがないからです。
読者さんの紹介文のように、この作品のテーマを一つ挙げるとすると青年期の不安定なアイデンティティと、そのアイデンティティが固まるまでの話というのがあると思います。
タイトルが『A子さんの恋人』で、以降、K子、U子、A太郎、A君、I子…と登場人物がみなアルファベットで登場するところは、名前の不確定さからアイデンティティが確立されていないということを示唆していると考えられます。最終巻で、これが変わるところも含めて。
A子さんの恋人 1巻 近藤 聡乃:コミック(電子版) | KADOKAWA
※1巻の出だしがまさにそこからスタート。試し読みできます。
私も高校生の頃に「自分の存在とは何か」と自問自答し、学校の往復のときには友人とも議論し、本や映画でも断片的に繋ぎ合わせ、最終的に「存在価値というのは、私に限らずどんな存在にも特段あるものではない。だが、価値がないとしても生きていてもいい」という結論に至ったことがあり、アイデンティティを考えることはありました。
アイデンティティに悩むということ自体は理解できるのですが、作中の登場人物たちの悩み方は、ごく限られた人間関係の中で、みんなでぐるぐる回りながら少しずつ解像度が上がっていくといった感じで、アイデンティティの確立のための原動力が他人にかなりあるんですね。
作中では、恋人同士では当然だし、友人同士であっても、登場人物は相手の人生にかなり踏み込みます。K子とU子は最初っからA子にガンガンにダメ出しをするし、4巻のI子のA子への凸っぷりは凄まじいものがある。A太郎も恋愛の域を超えて相当やらかす。
私は以前から書いているとおり、自分の感情・人生は自分のものであり、また他人の感情・人生は他人のものであると考えています。もちろん、他人から影響を受けることはあっても、他人から直接的な介入をされるのは好ましいと思っていませんし、自分は他人には直接的に介入をしないように気を付けています。
私はそういうスタンスの人間なので、作中の登場人物たちのようなやり方は好ましいとは思わず、まったく共感しなかったというわけです。あとは、私は自分の生き方と恋人関係・友人関係はまったく別だと切り分けているんですが、作中の登場人物は生き方と恋人関係が一体化していたりするところもピンと来ませんでした。
話の流れは凄い、風景描写も良い
ちなみに、登場人物については正直共感しなかったものの、話の進め方や世界観はかなり好きでした。当初はそこまで伏線ではないように見えたものが絡み合って展開していくところは素晴らしいですね。4巻のU子の凸の流れは見事だった。
あと、東京の町並みに関する描写は、私が経験したことがないものでしたが、こういう世界があるのだと興味深く読みました。東京の上野?と阿佐ヶ谷?かな、よく出てくるのが。出てくるお店がお洒落!
最近だと『ブルーピリオド』は読んでますし、『はちみつとクローバー』『かくかくしかじか』も読んでいて、美大物というジャンル自体は、私が歩まなかった別の人生を見ているようで凄く楽しいです。
近藤聡乃さん自身が美大卒で現在北米在住ということもあり、この辺のリアリティは格段あるのだと思います。NYCを舞台に3巻で世界の酔っぱらい女たちが"クソ男"をネタに盛り上がるシーンは最高でした。
※3巻p.144です。最高
この作品に共感する人がいるのは理解できる
私は登場人物たちに共感しませんでしたが、この登場人物たちに深く共感する人がいるだろうなと思って読んでいました。
実際、以下のように、「この作品に共感できる」「共感する人は多いのでは」と感想を書いている人がすぐに見つかりました。
そうそう、登場人物でいうと、登場人物それぞれに共感できるところが少しずつあって、そこも魅力に感じたひとつ。
ぼんやり生きてきたわたしの数少ない経験によって得た傷や痛みや喜びに、静かにではあるが確実に触れてくるものだった。きっとすべての読者はどこかじぶんをA子でありA太郎だと思いながら読んでいたに違いない。わたしもじぶんをA太郎だとおもったし、今もおもっている。
読み手によってどの人物のどんな一面に、自分や親しい人を見出すかは変わってくるだろうけど、「あーわかる、この感覚!」ってなる人は多いんではないでしょうか。
作中の登場人物が実際にいるいるなキャラであり、また抱える葛藤というのも同様のものを抱えている人が結構いるということだと思います。
A子は物を持たないタイプだけどそれは自分にとって大切なものがないことの裏返しではないか、A子が自分が描く漫画の中で終わりを上手く書けないのはなぜか、リアルとどう関わっているのかというのは、漠然とした悩みとして理解できるところがあるだろうし、
何でもできるイケメンのA太郎は自身の何でもできる(が実際は何かをなし得てない?)ところへの葛藤があり、その他の、U子、K子、そしてI子にも、作中では自身の生き方への葛藤が描かれます。
私は共感しなかった人間関係の構築の仕方も、青年期において他人とぶつかりながら自らのあり方を作っていく経験をする人はいるだろうし、また、自身の悩みも作中雨のように定まっていくといいなと思い(願い)ながら読む人もいるはずです。
締め
以上、『A子さんの恋人』のレビューでした。
改めて作品と自分のレビューを読み直してみると、"共感"がこれほどキーワードになる漫画はそうそうないなと思います。共感の観点以外に、話の進め方、コマ割り、線の描き方がかなり独特で、マンガ表現として完成された作品であったというのも補足しておきます。
自身を構成する作品として凄く大事にしている人がいるだろうなと思い、最初にお断りを持ってきました。not for meはnot for youではないので、試し読みで少しいいなと思った人はぜひ最終7巻まで読んでみることをお勧めします。
どんどんドライブがかかってきますので。
※この表紙だけでどう結論が出たかを友達と話すのは楽しそう(我が家は夫婦でやりました)