斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

「弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です」

タイトルのセリフは鬼滅の刃8巻で煉獄杏寿郎というキャラクターが母親に幼少期に言われたセリフです。要は、お母さんが息子に対し、あなたは強く生まれたのだから人を助けるのは当然のことだと説く場面。

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※画像は鬼滅の刃8巻から。そうです、今月公開の映画になっている巻です。

私は、強い人でも弱くなることはあるし、弱い人が回復することもあるし、人間の状態はまちまちであると知っているので、この言葉にはあまり共感はしませんでした。強く生まれた人であっても、弱き人に助けられることはあってもいいですしね。実際、8巻はそんなところもある。

これに関連した私の信条を言葉にすると、「自分に余裕があるときには困っていそうな人に声をかけ、自分が困っているときはしっかり声をあげて助けられる」といった感じになります。

私自身は比較的強いことが多いので、結果的には人を助けることが多いですが、時には助けてもらうこともあります。人は一人では生きられない。

子どもにも「自分が余裕があるときに人を助けられるのは格好いいし、それで得られる学びもあるよ」と伝えています。特に、子どもが子ども同士で教え合うことの効能は計り知れないものがあります。今回の本題ではないのでまたの機会に。

私が人を助けるのは、ある意味、ノブレス・オブリージュの感覚に近いところがあります。あとは、功利的な発想として、強者が弱者に対して資源を分配することは社会の構造を強くするという考えも持っています。敗者復活戦がある社会、生まれで不利が生じにくい社会のほうが人は生きやすいものです。そういう社会の実現に個人としても貢献したい意識があります。

一方で、私の子どもはこのままだと危なげなく格差の上位になるだろうなと推測しています。政治家や経営者が自身の子息に対して地位を承継させるような分かりやすいものではないにせよ、我が家が積み上げてきた文化資本は受け継いでいるのは見るからに明らかです。私の子どもらには、知性があり、体力があり、信頼される人柄があります。

格差の固定化を私自身が生み出してしまっていることには、格差の固定化・拡大化を憂う個人として複雑な思いがあります。私は子どもの頃から、格差が維持されてきているのを見てきていて大いに問題意識を感じていたのに、私自身が格差の固定化の一端を担ってしまっているわけですから。

長くなりましたが、これが、以下の質問への答えになります。

私の子どもたちに、今からあえて不利な教育を施すというのはそれはそれでよく分からないので、せめて、私ができる格差の固定化の防止の一つの手段として、ネットでは重点的に格差の是正策について情報発信をしている次第です。

例えば、多くの富裕層が話題に出したがらない資産課税強化を訴え続けているのもその一つです。

IMFの日本の消費税20%必要説は釈然としないのだけれど、資産課税に言及しているのは良いと思った - 斗比主閲子の姑日記

一般人向けの投資についてのリテラシー強化の記事もそうだし、お金のかからない教育の仕方も同様の趣旨で発信し続けています。しばしば教育行政にも手を突っ込むのは同様の理由です。

しかし、私が見ている感覚では、格差の固定化・拡大化は多くの人が受け入れつつあるようなので、

日本人が「教育格差すら許容している」衝撃事実 | 学校・受験 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

恐らくは私のようなスタンスは少数派になっていくでしょうが、引き続き、ネットの片隅から、一人の強き者として弱き人を助ける活動をしていくつもりです。

ただし、あくまで、暇潰しの一環として。死んでしまっては元も子もない。

鬼滅の刃 8 (ジャンプコミックスDIGITAL)

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※この辺からググッと面白くなる。