斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

「コンテンツは等倍速で再生してこそ理解できる」というスタンスは"普通"を押し付けている感じがして、私は嫌い

私は以前から書いている通り、再生速度を変更して動画・音声コンテンツを消費しています。当然、スキップもすれば、戻ることもあります。小説は最後から読むこともあります。

今日も今日とて、荻上チキSessionを2.5倍速で聴いていたら、ちょうどコンテンツの再生速度が話題になっていました。

【音声配信】特集「映画を早送りで見ますか? サブスク時代のコンテンツ消費がもたらす現状と課題」稲田豊史×武田砂鉄×南部広美▼2022年5月16日(月)放送分 | トピックス | TBSラジオ FM90.5 + AM954~何かが始まる音がする~

内容は、最近の若い人は動画を倍速やスキップして視聴する人が多く、背景にはコンテンツが豊富で、周囲と話を合わせるためにコンテンツ消費の必要に迫られていて、必ずしも豊かでないからサブスクで見放題な中でたくさん消費する傾向があるというものでした。

結びでは、世のトレンドがそっちに向かっているのは変えられないから、コンテンツ制作者は、そのような消費をされる前提で受け止めた方がいいといった感じで、終わっています。

で、私はこれを2.5倍速で聴きながら、人それぞれで情報処理速度が異なる点が触れられていないのが残念だなと思いました。

さらにいえば、チキさんの代わりにコメンテーターをしていた武田砂鉄さんが、コンテンツは等倍速で見ないと正しく消費できないようなスタンスだったのが傲慢だなとも思いました。おちゃらけたつもりだけど、何度も「倍速で再生する人をどう説得するといいですかね」と確認しているのが、何だかなと。

ラジオの中では、「映画の中で、ただ空を写しているシーンに見えて、実は登場人物の心の変化を示しているけれど、それが最近の消費者には何も内容がないと思われてスキップされてしまう」という例が紹介されていたんですね。これって、等倍速でスキップしないで再生したら、そういう登場人物の心の変化を理解できるという発想があるわけで。これが、私は残念だと思いまして。

だって、世の中には等倍速では内容を理解できない人はいるじゃないですか。

日常会話でもそうですけど、映画でも同じで、人それぞれで物事を理解できるスピードや理路って違うから、等倍速が早すぎるという人はいます。最近の動画サイトでは、YoutubeでもNetflixでも再生速度を早くできるだけじゃなく、遅くすることもできるようになっていて。遅く再生したいというニーズもあるんですよね。

根本的には、人それぞれで情報処理能力が違うから、再生速度を早くだけじゃなく、遅くできたほうがいい。視力が弱い、聴力が弱い人向けのコンテンツを作るのと発想としては近い。

※発想としては合理的配慮に近い。画像は内閣府のリーフレットから

顕著なのが学校の授業です。一応、公教育だと真ん中より下の学力の子どもに合わせて授業は行われることは多いけど、それでも早すぎてついていけないって子は少なからずいます。そういう子からすると、授業は0.8倍速で聴けたらついていけるなんてことはあります。つまずいたら巻き戻しできるとなお良い。

「作ったものは等倍速で見てほしい」とコンテンツ提供者が考えるのは理解できるものの、「等倍速だからこそ理解してもらえるはず」というスタンスは、等倍速で理解できない人たちの存在が考慮されていないで残念だな……なんてことを2.5倍速で聴きながら、考えていました。

私は日常生活で等倍速で人から話を聞くのが遅すぎて苦痛なので、世界中の人が2倍速で話してくれたらいいのになと思いつつも、人と話すときは脳内比0.5倍速で話すようにしています。

世の中には色んな人がいて、情報処理速度はそれぞれ違いますから、現代のように、情報の発信者が配慮をせずとも、情報の受信者が自らコンテンツを速度や順番を変えて消費できる機会が増えているのは素晴らしいことだと、私は考えています。