今日も一人小町(一人で発言小町みたいな回答をするもの。基本要望に応じた反応をする)です。今日は上手く自己肯定感を持てなくて苦しんでいるというモヤモヤ。
Q. 自己肯定感を高めたいが、そのために他人を尊重などできない。改善策はあるのでしょうか
斗比主 閲子 様
以前の相談で、「そもそも人は他人のことを嫌うというよりどうでもよいと思っている。」と教えていただき、しんどさ85%の人生からしんどさ65%の人生にまで低下することができました。本当に、ありがとうございます。しかし、まだまだ、しんどさがあります。
「わたしは、何かあると、嫌われたかもしれないと思う癖があります。どうしたら、嫌われなくなるのでしょう」 - 斗比主閲子の姑日記
Twitterで、斗比主さまが、
自己肯定感が低いと自分の存在意義を確認するために他人の評価に頼るわけですが、他人の評価は不安定なものですし、また、自己肯定感が低いと他人の自分への評価をネガティブに受け止めがちです。良い評価は信じず、悪い評価を信じる。だから、楽になるために自己肯定感を高めると良い。
と書かれていたのを見て、これからまだまだ生きそうだし、少しずつ自己肯定感を高めて生きて楽にいきたいなあと前向きな思いが出てきたのです。
自己肯定感を高めるにはどうしたらよいのだろうかとずっと考えていて、斗比主さまの著書でも紹介されていた水島広子先生の「自己肯定感持っていますか」という本を読んでみました。
本の要旨は、まず他人を受け入れて、そして、自分にも寛容でありなさい、そうすれば楽になりますよ、というものだと読み取りました。
うーむ。とうなりました。
わたしは、他人に対しては、ものすごい不寛容です。不寛容どころか、心の中では、いつも他人を攻撃し罵倒しています。
一般的に良い行いをしている人も嫌いな人もいます。
(中略)
大人しそうに見えるかもしれませんが、少しのことでめちゃくちゃ腹を立てています。
私がこのくらい腹を立てているのだから、相手も同じように私のことを「死ねよ」と思っているのだと思います。←多分このへんが、おかしいのかもしれません。だから、自分が生きてよい存在と思えないというか。←ここです。つらいのが。
真っ黒の人間も、真っ白の人間もいないことが理解できればよいのですが、自分は黒い部分が多いように思えてなりません。
こんな性格になった原因はおそらく育てられ方にあると思っています。
父は養子で育てられた子で、そこの養母に虐待されて育ったため、おかしな人です。気が短く声がでかく気に入らないことがあれば怒鳴る。誰のいうことも聞かなくて、母を殴ったりしていました。
母は、経済的理由から、離婚せずに、父の顔色ばかりを伺っていました。母は、父を怒らせないことに全力を使い私を育てていましたので、私も父を怒らせることだけはしませんでした。
嫌われるのが怖いのは、父が怖かったので、人に攻撃されるのが基本怖いというのがあると思います。
本当は薬剤師になりたかったのですが、薬学部は私立大学にしか入る頭脳はなく、家にはお金がないことを匂わされていたため、地元の低偏差値の国立大学に進学せざるを得ず、卒業後は勧められるまま公務員になりました。
父母は、私に対して愛情はなかったとはいいませんが、(父のいうとおりにしてきて、今ご飯を食べられているので)歪んでいたというか。私の欲しかった愛情とは、違いました。私の意見というか、希望も、少しは認めて欲しかったと思いました。
そのことを勇気を出して、父母に言いましたが、「教育方針だ」と言われて、やっぱり、何を言ってもこの人たちには分からないのだ、と心底がっかりしました。ここまできて、鬱病もわずらい、父母のことも好きだけど嫌いというような両価的な気持ちもあり、大変苦しく生きています。
どうしたら、水島先生の言われるような、相手も自分も尊重できて、せめて、相手を死ねと思わずに。また、死ねと思われていると信じてしまうような信念を持たず。生きることが楽なように、なれるのでしょうか。このような人間でも、自己肯定感を高められる方法はあるのでしょうか。
他の人は、職場で仲間を作って、運動をしています。わたしは、誘われませんし、全くそんな気になれません。友達もおらず、休日は1人で、ごろごろして体に悪いものを食べているときだけが幸せです。
ブログにしてくださっても、構いません。
弱っているので、まずは何をしたらよいのか、こんな人間でも改善策というものはあるとしたらどんなことなのか。これから、どう考えるようにしたら良いのか。論理的に優しく諭し教えていただけたらとてもうれしいです。
注文が多くてごめんなさい。よろしくお願い申し上げます。
一読者より
A. 育てられ方が影響したと気付いていらっしゃるんですね。同様にあなたが嫌いな人にも事情があると考えてみましょう
リピーターの方からのメールですね。
自己肯定感が低いことに課題を持ち、自己肯定感を高めたいから水島広子さんの本を読んでみたが、いまいち実践できず、果たしてどうしたらいいかと弱っている状態ということです。
私は自己肯定感を高める専門家ではないので(心理カウンセラーではないので)、私よりも他にいくらでも適任者がいるはずですが、一応、お題を頂いたので、今、弱っているこの方に何をすると良いかというのを優しく、論理的にコメントしてみます。
まず、最初に注目したのは、
こんな性格になった原因はおそらく育てられ方にあると思っています。
ここから先でご自身の性格について育てられ方が背景にあると書かれていること。ご自身ではもしかしてこれまでにも言語化されたかもしれませんが、これはなかなか簡単にはできないことです。言語化しないと対処は難しいものであるものの、いざ言葉にしようとすると言葉が詰まるものなので。
その上で、この視点が持てるのであれば、他人を尊重するのも道筋は見えていますよね。
まず、ご自身では自分のことがあまりに歪んでいたりして嫌いである。で、歪んだ性格になったのは事情がある(主に父親が暴力で支配をしていた)ことを知っている。
次に、自分が他人を罵倒しているように、他人も自分を罵倒していて、自分に対して攻撃的なことをしていると思う。
私がこのくらい腹を立てているのだから、相手も同じように私のことを「死ねよ」と思っているのだと思います。←多分このへんが、おかしいのかもしれません。だから、自分が生きてよい存在と思えないというか。←ここです。つらいのが。
ここまで揃っていたら、この後に、自分に対して攻撃的な他人にも、その攻撃的なことをしている事情があるのだろうと推測するのはそれほど難しいことではありません。
そして、この、他人にも事情があって何かの行動をしているんだと理解することが他人を尊重するといことです。
別に、他人が素晴らしいとか、他人を褒めるとか、肯定的に見ることが尊重するということではなく、他人には事情があってそういう言動をしているんだと、そのまま認識するというのが他者を尊重するということです。無条件に受け入れるってやつです。
他人の言動を「あー、この人がこんなことをしているのは色々事情があるんだろうな」と思い続けていると、自分に対しても「自分がこんなことをするのは事情があるからなんだよな」と思えるようになるというのが、水島広子さんが書いていた方法だと私は理解しています。
私はこの読者さんのメールをこれまで何度かもらっていて呪詛の言葉が羅列してあるのを読み続けましたが、特に、私に対しての攻撃だとは感じませんでしたし、読んでいて、悪いとも良いも思いませんでした。何か事情があって、そういうメールを送っているんだろうなと考えていました。今回は背景情報をもらって、やっぱり事情があったんだなと確認しました。
この「この人にも〇〇するのは事情があるんだろうな」と思うのは、最強の心持ちなので、ぜひ取り入れられるのをお勧めします。他人は事情があっても生きているものです。で、自分も事情があっても生きていいものです。
大体、ロジックは伝えられていると思うので、いまいちピンとこないようであれば、ご自身でロジックを補完して繋げてみてください。破綻はしていないはずです。
以上、今日はこんなところでしょうか。
これを読まれたみなさんも、どうぞetsuko.topisyu@gmail.comまで、ブログにそのまま掲載してもよい、ほっこりエピソードをご気軽に送ってください。私が一言コメントを付けてブログに掲載します。
なお、投稿にフェイクを入れるのは確認で時間がかかるので、ご自身でするか、私に全面的にお任せする形でお願いします。また、どんな方向でコメントをしてほしいかも書いてくれたら、期待に応えるようにします。罵ってほしい、褒め称えてほしい、傾聴してほしい、何でもOKです。
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