半年ぐらい前に、「子どもに理由を説明していたら、子どもが理由を説明するようになった」という話を書いたら、こんなコメントをもらいました。
子どもに理由を説明していたら、子どもが理由を説明するようになった - 斗比主閲子の姑日記私も母から理由を提示された上で教育されていましたが、学校や世間の『理由なんてどうだっていい、言うことを聞け、生意気だ』と言い出す人にどう対処しなさいと伝えてます?トピシュさんなら答えられそうなのでry
2018/06/05 13:20
最近、子どもが「カルロス・ゴーンはまだ拘置所に入っているんだね」と、スマートスピーカーで流れてくる日経のニュースを聞くたびに反応するなど、リアルな理不尽を垣間見ているようなので、いい機会なので、この質問の答えを考えてみます。
1. 理不尽はあるものなので、理不尽に遭遇したときに折れにくい、折れても立ち直りやすい、自己肯定感を子どもが身につけるのを親として手伝う
まず、大前提として、理不尽は世の中にはあるものです。
人間はみな理屈が説明できる形で生きているわけではないし、また、理屈があって行動していたとしても、その理屈自体が、異なる文化圏であれば道理として納得できないことはありますから。
理不尽は困難と言い換えてもいいですね。
親自身も困難を経験していますから、子どもには余計な困難には遭遇しないでほしいと考えるものの、子どもは年をとれば取るほど、親が見ていないところで勝手に困難に遭遇することも増えていくものです。ですから、困難に遭遇しないように親が子どもの生きる道を舗装するなんていうのは限界があります。(どこまで子どもの生きる道を整備するかは、人それぞれで、グラデーションがあるものですから、何が正解かをここで言うつもりはありません。ただ、いつまでもトレースできないというのは確かです。)
従いまして、困難に遭遇するのがある程度想定されるわけですから、そもそも、困難な場面に出会ったときの対処を考えられる折れない気持ちや、また、仮に折れてしまったとしても、そこから立ち直れるようなメンタルというのを、子どもが培うお手伝いを親はするものだと私は考えています。
その一つとして、子どもに自己肯定感を育んでいただくわけですね。自己肯定感があると強いですから。
2. 出会った理不尽の存在を親や周りに気軽にシェアするのが得策だと知ってもらう
メンタル面での足場を子どもが培う一方で、具体的な理不尽への対処法としては、まずは、自分で解決しようとするんじゃなく、他人に相談するのがお得だということは、子どもに習得してもらえるといいなと私は考えています。
理不尽というのは、時に徒党を組んで襲ってきますからね。カルロス・ゴーンみたいに、東京地検特捜部の元部長を弁護士として起用するとまでは行かないけれど、
ゴーン事件の弁護士が「特捜部長」時代に語った抱負 弱い立場の働く人の味方に… (1/2) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)
複数人と仲間になって対処すれば、一人のときより断然気楽です。
だから、私は子どもから何かを相談されたときは、相談してくれたことを喜び伝えるようにしています。そして、解決策を一緒に考える。
親には話せないことでも、友達や、学校の他の先生には相談できるかは提案します。親は頼り先の一つでしかないから。
3. 理不尽なことをする人は大抵可愛そうな人なので、そういう人がいること(被害者性を持っていること)は認識しておいてもらう
理不尽な行い、例えば、激高したり、無意味な抑圧をしたりするのは、その人自身が相当追い詰められていたり、可愛そうな背景があってやっていることが多いと考えています。
理不尽を押し付けるという観点では加害者であるものの、本人は被害者意識があるということですね。仕事を抱えすぎていて時間がない先生がイライラして、子どものやらかしへのキャパが減って怒鳴ってしまうのは当然っちゃ当然です。
先生から理不尽に怒られて嫌な気持ちになったことを子どもが相談してきたときは、「嫌だったね。その先生は、そういう言い方しかできない可愛そうな人なんだろうね」と子どもに伝えます。(なお、先生が本気で結構やらかしていることが他の保護者の情報からも入手できたら、私は私でやることやりますが。)
相手に事情があることを認識して、だから、理不尽を押し付けることを許容するべきということではなく、事情があって理不尽を押し付けているとこちらが受け止めれば、本気で受け止めるんじゃなく、スルーするのが簡単になります。
特に子ども同士ではそうですね。ほんと、いつもイライラしている子どもは、厳しい環境にいることが多いので。赤の他人ができるのはたかが知れているので、被害者意識が強い加害者の言動はスルー推奨とするのは生きる知恵だと思います。
締め
以上、理不尽への対処法を子どもにどう教えるかを考えてみました。
どちらかというと対処そのものより、理不尽への心構えだったり、理不尽の回避方法に近いですかね。具体的には、きょうだい喧嘩の中で、子どもたちは理不尽への対処を学んでいるように思います。
私が嫌いな言葉に「若い時の苦労は買ってでもせよ」というのがあるのですが、若い時に苦労をすると、その苦労を内面に取り込んで、他人も苦労をさせようとしたり、苦労を美談にするようになってしまいます。パワハラ被害者がパワハラ加害者になるという、あるあるなやつ。
そんなことにならないよう、私は、理不尽からはできるだけ逃げて、でも、ちゃんと仲間はいるし、逃げても恥ずかしくないということを子どもには習得いただけるといいかなと考えています。