斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

「総合的、俯瞰的観点に立って判断した」は「本当の理由はあるけど、言うと支障があるから曖昧にした」の言い換え

たまたま、「総合的、俯瞰的観点に立って判断した。引き続きそうした説明をしっかり行っていきたい」という発言を見かけました。

通常、総合的に決めたとか、俯瞰的視点で判断したとかって、皆さんどういうときに見かけるでしょうか。そうですね、具体的な説明をしたくないときですね。

例えば、クレジットカードや住宅ローンの審査で落ちたときの説明文に「総合的に判断した結果、今回はご縁がなかった」みたいなのがあります。本当に審査で落ちた理由は、収入が少ないとか、ブラックリストに入っているとか、ちゃんとあるんですけど、それを本人に伝えるわけにはいけないとか、言ったら怒られるとか、説明すると小手先の対策されちゃうとか、そういう理由で、総合的に判断したと伝える。

採用面接でも見かけるし、あとは、オンラインゲームとかSNSでの利用停止措置なんかでも「総合的な判断」は使われることがあります。どれも、説明を具体的にしたくないときに使うもの。

必ずしも相手に支障があるわけではなく、自分たちに事情があって「総合的に判断」という言葉を使うことももちろんあります。リーマンショックの後で内定取り消しが大量に出たときは、業績不振が背景にあったけれど、それは言いたくないから、「総合的に判断」という言葉が使われました。

「俯瞰的視点で判断」も「総合的に判断」とほぼ同じ意味ですね。

ということで、冒頭に戻り、「総合的、俯瞰的観点に立って判断した。引き続きそうした説明をしっかり行っていきたい」というのは、「本当の理由は説明したくなくて曖昧にしてます。これからも本当の理由は説明しません」という言葉の言い換えとなります。

なんというか、具体的に説明する気がないのに、"説明をしっかり行っていきたい"と言葉だけでは言っているのは、心温まりますよね。

就職活動の面接結果で、「あなたを不採用にした理由は総合的な判断です。これからもしっかり総合的な判断でお断りしたとお伝えし続けます」って言われたら、「この面接官、何言ってるんだろう?」と思うはずです。

普通は、それ以上説明したくないから「総合的に判断した」を使うのに、しっかり「総合的に判断した」ってオウムのように繰り返すって宣言しているわけですから、なかなか相手を馬鹿にしています。

私だったら、こんなこと言ってる人間は邪悪で信用に足らないと総合的に判断します。