子供たちの始業式を控えて、パートナーとこんな会話をしました。
topisyu「今になって振り返ってみると、子供たちはあっとういう間に大きくなったよね」
パートナー「乳児期は辛かったけど、それから先の子供の成長は本当に一瞬だったと思う」
topisyu「そうだよね、最初は辛かった。それがどんどん楽になっていって、今となってはもう昔の話になっちゃった」
パートナー「そうして、これからまた何年か経ったら、たぶん、彼らは我々の手から離れていくんだろう」
topisyu「この子たちの親でいるのももう少しと考えると、ここまで手を抜いてきたわけではないけど、もう少し、寄り添ってあげたり、希望を叶えてあげたり、できることがあるんじゃないかと思えてくるんだよね」
パートナー「できることはやってきたつもりだけど、もう少しで終わると思えば、確かにその感覚は分かる」
topisyu「その何かをすることで、子供にどれだけのものが残せるかは分からないし、他人に無理をしてやらせるということだと話は変わるけど、自分のことだと考えたら、『まだやってもいいかな』って感じがある」
パートナー「人に言うとなると、たぶん、できるだけのことはやっている人はいるだろうから、もっと頑張れみたいな話はできないけどね。自分のことと思えば、ついあと少しって考えちゃう」
topisyu「子供をもう一人作る(笑)?」
パートナー「それはまた別の話だけど(笑)」
topisyu「それをやると振り出しからだからさすがに記憶の改竄があっても次も持つかというと別の話だからなー」
パートナー「まあね」
topisyu「子供との関係で言えばそうだけど、たぶん親二人の関係としても、子供の存在に依存しすぎないほうがいいかもしれないね」
パートナー「というと?」
topisyu「子供がいれば子供で話を持たせられるでしょ?共通の趣味は子供みたいな」
パートナー「ああ」
topisyu「子供が手離れするのがあっという間と考えれば、子供を話題の中心にするのは、二人の関係としては危ういよね」
パートナー「これまでもその時はその時でお互いに流行っていたものを共有していたわけだし、子供がいなくてもそんなに問題にならないんじゃないかな」
topisyu「それは確かにそうかもね。子供がいなかった時の話題は話題で、子供がいなければ復活してもおかしくないしなぁ。今は忙しくて消化できていない娯楽もあるし」
パートナー「子育てはついついキャパ限界まで頑張っているところがあるし、それがなくなると喪失感はあるだろうけどね。子供が手がかからなくなればなるほど、少し親業の姿勢を変えていって、ソフトランディングしてもいい」
topisyu「とにもかくにも、ここまでお疲れ様でした。これからもよろしくお願いします」
パートナー「こちらこそよろしくお願いします」
たぶん、同じような会話はこういう子育てを思い返す機会に、世界中の親が話しているんだと思います。我が家でも、お互いに少し感傷に浸りながら話してみました。
自分なんかを思い返してみると、親元からあっという間にいなくなりましたからね。本当に何の感慨もなく、さくっとさよならして、時々会ってはいたものの、後で結婚の話をしにいったら泣かれたのには驚きました。
自分の親が自分にしてくれたことは、子供の自分にはあって当然のものでしたけど、親になってみれば自分の親にも苦悩が色々あっただろうなと推測はできます。今は親にはよく感謝の言葉を伝えています。
そういう連鎖を繋げていきたいという気持ちがないわけじゃないですが、いい暇潰しになると思ってこの子たちの親になったわけだし、暇潰しといっても、お互いにそれなりに楽しんだ暇潰しにしたいなと考えています。