斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

我が家は、子どもの認知力・社会性の発達を狙った「意図的養育」をしていたのか

松岡亮二さんの『教育格差』は、今ある教育に関する論文の超まとめみたいになっていて、数ページごとに学びがあります。逆に言えば、濃すぎて読むのが大変!

教育格差 ──階層・地域・学歴 (ちくま新書)

教育格差 ──階層・地域・学歴 (ちくま新書)

  • 作者:松岡亮二
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2019/07/26
  • メディア: Kindle版
 

今日紹介するのは第2章の幼児教育から。

p.87-88で、アメリカの10歳児とその親の研究を紹介しています。

その研究では、中流家庭と労働者・貧困家庭では異なる子育てのスタンスがあり、中流家庭では子どもの生活に意図的な介入をすることで望ましい行動、態度、技術などを形成させようとしていて、これを「意図的養育」とし、労働者・貧困家庭では大人の意図的な介入がなくとも子どもが育つと考えていて、「(自然な成長を前提とした)放任的養育」としています。

「意図的養育」には3つの要素があり、それぞれ、①習い事参加・テレビ視聴時間の制限などの「日常生活の構造化」、②論理的な言語・豊富な語彙による「大人との議論・交渉の奨励」、③子どもに便宜を図るための「学校などとの交渉」で、目的は、子どもの認知力・社会性の発達。

「放任的養育」では、反対に、①子どもの生活は構造化されておらずテレビ視聴などは自由、②親は子どもに命令口調で大人との交渉は期待しない、③親自身が低学歴で教育に無気力感を持っており教育は先生の仕事とするという3つの要素で、結果として、子どもは親や大人と交渉しなくなり、権威に従うようになるというもの。

同じくくりでの完璧に同じ調査は日本国内ではないけれど、似たような調査を利用して同様の傾向が日本にもあり、それがその後の教育格差に繋がっていることを『教育格差』の第2章では整理していっています。

綺麗に二分すると極端な印象を受けますが、傾向としては私も身近な事例からよく理解できるところです。私の子どもの頃を思い出すと、ある同級生は、東大出ていた親が学校教育のあり方にめちゃくちゃ介入していて(その子自身もその後東大に入った)、ヤクザ家庭の子どもは教師に盲目的に従っていたとか(その子は高校を中退していた)。

我が家は子どもの自由にさせているつもりではあったものの、習い事は小さいときからしていますし、テレビはないし、ゲーム時間はルール付きで制限しているし、親や大人との議論は奨励しているし(議論がなければ勝ち取れないように設計している)、親自身が教育機関にそこそこ介入しています。PTA活動なんかは積極的に関わっている。

以前から書いている通り、私は我が家自身が格差を生み出す一部を担っていることを自覚しており、それが故に資産課税の強化を主張したり、お金をかけないで学力を高める方法などを紹介したりしてきました。

自分の子育てスタイルが「意図的養育」として大ざっばには分類されるとはあまり意識していなかったため、とても興味深く、今回紹介した次第です。

格差は着々と構築されていっている。