斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

大量に落ちていた銀杏を拾って、幼稚園の頃に同じようなことをしていたのを思い出した

一昨日は結構強い風が吹いていたためか、近所の銀杏並木に大量の銀杏が落ちていました。

前々から銀杏を拾って中の実を心ゆくまで食べたいと思っていたので、ビニール袋とビニール手袋を引っさげて銀杏を取りに行くことに。

Ginkgo nuts

※炒って塩をふるだけで美味しい。しかし、人類はなぜこれを食べようと思ったのか

本当は子どもたちも連れて行きたかったのだけれど、「銀杏は臭いから嫌だ」という子どもからの常識的なリアクションと、「銀杏って触るとかぶれるよね。子どもに触らせられないでしょ」というパートナーからの常識的なリアクションによって、一人で向かうことになりました。

その銀杏並木の銀杏はいつも臭い臭いと思っていたのだけれど、今日に限ってはその臭いがあるということは私にとっては宝物が大量にあるということです。銀杏の臭いがいい匂いに感じられました。人間って凄い。

喜び勇んで一つまた一つと拾っていくうちに、ビニール袋は大量の銀杏で溢れていきます。自分のためにやっていることなのだけれど、この道を通る人にとっては臭さが多少マシになっているはずだから、眠っていたら勝手に仕事を仕上げる小さな小人に自分がなったような気がして、少し誇らしげな気持ちになりました。人間って凄い。

ただ、拾っているときに少し違和感がありました。はじめてやっている作業のはずなのだけれど、どうもはじめてではない気がするのです。

とりすぎても食べられないかもと思い適当な量で切り上げて自宅に戻り、「この処理をどうするんだ」というのが言わずとも顔で分かるパートナーに対しネットで聞きかじった銀杏の外側の皮の部分を除く方法(土or水)を説明して「どっちにしても臭そう」と嫌な顔をされて、子どもからは「銀杏は食べすぎないようにしてね」と明らかに姑から教えてもらっただろうアドバイスを聞きながら、「あ、そういえば、子どもの頃に母親のために銀杏を大量に拾ってきたことがあったわ」と思い出しました。

幼稚園の頃だったと思うんですが、母からの依頼で近所の公園に銀杏を拾いに行ったことがありました。その公園は、私が花壇の柵で前回りをして頭をコンクリにぶつけて頭を縫うに至った公園です。

銀杏拾いをしたのは一度だったのか何度かあったのかは記憶がはっきりしないのだけれど、同じようにビニール袋いっぱいに銀杏を詰めて持ち帰った記憶があります。母はすごく喜んでくれた。私が取った銀杏は母が一人で食べたと思う。あとは茶碗蒸しに入っていたか。母の茶碗蒸しは美味しかった。

そんな記憶があったからか私は子どもに銀杏を拾ってほしかったのかもしれないけれど、まあ、確かに銀杏は臭いし、子どもがかぶれるのも困るので、こういう機会があってもたぶん私は一人で銀杏を拾うんじゃないかと思いました。

私が今回拾った銀杏は今は水に浸かっています。これで3日~1週間ほど経つと皮が剥けやすくなるらしい。

私の家族は誰も銀杏を好きではないので、銀杏が仕上がったら姑にでもおすそ分けします。それで姑に茶碗蒸しを作ってもらってもいいかもしれない。