今週は料理特集ということで、料理にちなんだ記事を投下していきます。この記事は2弾目。
自分の母は料理が好きです。でも、母の母、自分にとっては祖母は料理は苦手だったそうです。正確には、料理をしなかった。
子どもの頃、祖父母の家に遊びに行くのは大好きでした。特に何かあるわけではないけれど、祖父母や近所に住むいとこに会うのが楽しかった。そして、よく覚えているのが、新鮮な生卵を使った卵かけご飯。
この卵、祖父が近所の養鶏場から朝早く買ってきていたもので、家で食べる卵かけご飯と違う気がして、大好きでした。他に食べ物で覚えているのは、店屋物のうな丼、天丼、ラーメンなど。小さい頃、実家では店屋物を食べることはほとんどありませんでしたから、それが珍しくて、祖母には「美味しい!美味しい!」と喜んで食べていた記憶があります。後は、近所で採れたフルーツでしょうか。母方の祖父母の家で食べた食事はこんなところです。
田舎の家ですから、それなりに立派なキッチンがあります。床下にはぬか床があったのも記憶している。自分で卵ご飯を作ろうと、炊飯器からご飯をよそって、冷蔵庫から卵を取り出した記憶もある。ただ、そのキッチンに祖母が立っていた記憶はありません。
自分が大きくなってから、母にそのことを話したことがあります。「考えてみたら、お祖母ちゃんの家で、手料理を食べたことがなかったかも」と。それに対し、母は、そっけなく、「だって、あの人、料理ができなかったから。あなたたたちに食べさせたくなかったし、本人も作ろうとしなかった」と言いました。
母と祖母との関係があまり良いものではなかったのは、祖母が身体が悪くなっているのを自覚してから、毎日のように母に電話をするようになり、その内容を自分に愚痴るようになってから知ることになります。
子どもの頃、母は自分たちの前でそんな素振りを見せていませんでしたから、最初にそのことを知った時は少し驚きました。祖母はいわゆるお嬢様だったようで、働くのももちろん、家事をするのもすべて祖父に任せっきりだったそうです。
「女には学はいらない、いい男と結婚すればいい」という信条があり、母のきょうだいの中では、女は厳しくしつけ、男は甘やかしたそうです。母は祖母のそういった態度が嫌いで、早く家を出たいと思い、高校卒業後は少し離れた地域を選んで進学し、寮生活をし始めたそうです。そうして、祖母の子どもたちの中で、女は早くに家を出て、男はそのまま家に残りました。
母は、家事については自分から動くタイプです。テキパキ何でもこなします。一方、母の男きょうだいは、自分が見る限り、料理の類は一切できないし、家事も自分ではやっていません。
小さい時の記憶から祖母に対してはあまり悪い思い出はありませんでしたし、母から祖母についての溜まってきた感情を聞かされても、昔の記憶が塗り替えられることはありませんでしたが、なぜ、祖母の家での料理が、卵ご飯と店屋物ばかりだったのか、合点はいきました。
ということで、『私の祖母(母方)はメシマズ』でした。次回の料理特集記事は、『私の祖母(父方)はメシマズ』です。母方の祖母の料理はまともに食べたことがなかったので自分がメシマズと言うのは少し誇張があるかもしれませんが、父方の祖母の料理は食べたことがあるので、はっきり言えます。祖母(父方)はメシマズでした。