斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

子どもに公教育の場で自らの政治的主張を聞かせることと、子どもの言葉を自らの政治的主張に利用すること

たまたま見かけたこのtweetについて思ったことを書きます。

お好きな人だけどうぞ。

http://www.flickr.com/photos/58037435@N08/19758322042

photo by Asian Development Bank

 

ちょっと読みにくいので書き起こし

この画像が少し分かりにくいので、まずは書き起こしをします。10月19日の西日本新聞の読者投稿で、Web版は確認できませんでした。

かっぷくのいい先生は、理科の時間になると原爆への憎しみを真剣に話されたそうだ。子どもたちも感動しながら、食い入るように聴いていたらしい。そして、悪いのは日本、電力会社と唱えたという。

そのとき、孫がすくっと立ち上がり「私のお父さんは電力会社に勤めています。一生懸命働いています。反対なら、先生の所の電気を止めるように言っておきます」と言ったそうです。孫の勝ち気な性格に皆、あぜんとしました。

恐らく、これは読者投稿そのままですね。一所懸命が一生懸命となっている。

シチュエーションはこれだけじゃ何とも分かりませんが、学校であったことを子どもが話しているというのだと説明がつかない部分があるので(小2の子どもが周りの子どもが感動しながら聞いていたことを認知できるのか、自分が立ち上がったことをすくっとと表現するものか)、授業参観等での伝聞か、この読者投稿した祖母が孫から聞いた話を盛っているか(話を創作しているか)のどちからだと思います。それにしても、この先生が、原爆への憎しみから、なぜ日本と電力会社を批判するのかは分かりませんが。一生懸命と同じで投稿者が間違えた?

 

子どもに公教育の場で自らの政治的主張を聞かせることと、子どもの言葉を自らの政治的主張に利用すること

それで、この読者投稿とTweetとそれにぶら下がるリプライを見ていて、自分が思ったことは、この理科の先生もよくないし、この子どもの言葉を使ってこの先生を批判するのもよくないというものです。

 

公教育の場で政治主張をするのは、子どもからすると逃げ場がありませんから、そういうのは私的にやっていただきたいところです。小学校での先生と生徒の関係というのは(学級崩壊でもしていなければ)絶対的なものがあります。会社で社長が社員に対して特定の宗教の勧誘行為をするのと同じようなものです。その上、電力会社に勤めている生徒の親がいる可能性がある中で、電力会社の批判をしたら、その子どもは周りの子どもからどう思われるでしょうか。先生からのお墨付きがもらえて、周りの子どもはその子を悪人扱いできますね。

 

次に、この子どもの発言を利用して他人の政治的主張を批判する行為について。これは、かなり卑劣です。何かを批判したいなら、自分がやればいい。子どもが間に入るだけで、無敵です。子どもを盾にできる。子どもを使った議論に対して批判をすると、その批判をした人が子ども相手に酷いと捉えられるので。子どもに特定の食品が素晴らしいと宣伝させるのと同じようなものです。 

 

「そんなにいやならライフライン切るよ?」

それと、(実在するかどうかは置いておいて)この子の言っている主張が素晴らしいと全面賛成するのは相当怖いです。

こういう議論のやり方が許されるなら、

  • 「私のお父さんは自衛隊に勤めています。一所懸命働いています。反対なら、先生の所の災害救助には行かないように言っておきます」
  • 「私のお父さんは銀行に勤めています。一所懸命働いています。反対なら、先生の所のマイホーム融資を引き上げるように言っておきます」
  • 「私のお父さんは農家に勤めています。一所懸命働いています。反対なら、先生の所には野菜を売らないように言っておきます」
  • 「私のお父さんは役所の水道局に勤めています。一所懸命働いています。反対なら、先生の所の水を止めるように言っておきます」
  • 「私のお父さんは教育委員会に勤めています。一所懸命働いています。反対なら、先生に圧力をかけるように言っておきます」

なんて話ができないこともありません。

暫定的に今こうなっていて、まだ代替措置が講じられていないという状態はあります。政治的な主張は(どこで言うか、ヘイト要素が含まれているかという議論はあるにせよ)基本的にどんなものでも許されるものです。日本政府のやり方に反論したら、日本政府から家屋を奪われても当然なんてことなら、国外に住んでいる人以外誰も何も言えなくなります。

 

締め

小学校2年生の、まだ分別のない子どもがこういう状況下でこういうことを言うのは理解できないことはありません。(自分が親なら抱きしめつつ、発言の危険性について話をしているでしょうが。)

ただ、(実話だとして)子どもにこんなことを言わせてしまう状況を作ったり、子どもの発言を己の政治的主要のために利用したりするのは、自分は好ましいと思いません。