斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

複数人の子どもの子育てをしていると成長と興味に合わせた教育の投入が効くとつくづく感じる

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我が家は複数人の子どもの子育てをしています。

自分が子どもの頃に「子ども一人一人には個性がある」と教師から言われたときには、「そんな個性なんて違いはないだろう」とまったく信じていませんでした。ただ、親になってみて、自分の子どもらや他人の家の子どもを比較すると、ありとあらゆる点で子ども一人一人の性格・体力・物の考え方にグラデーションがあるというのは、ひしひしと感じます。

我が家のリビングには大量の本が詰まった本棚があります。子どもが好きなときに手に取ればいいと考えて、私がいいなと思った本を並べつつ、毎週数十冊の図書館の本を借りては置いています。借りる本は基本的に毎週違いますが、三ヶ月や半年や一年ぐらいぶりに、子どもが以前は読まなかった本を再度借り直すこともあります。

そうして本を提供していて思うのは、本への興味の持ち方一つ取っても、子ども一人一人でハマるタイミングが異なるということです。本の想定する対象年齢と必ずしも一致しません。識字がどこまでできるようになっているか、その本のストーリーに親和性があるか、概念が理解できるかといったことが諸々影響して、同じ本でもハマる時期が子どもによって違います。

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※地震が起きたとき、怖い

逆に言えば、子どもが興味を持てそうなタイミングを注意深く見ていたり、リソースをちょっと提供してみたりして、子どもが吸収できる時期かどうかを把握するのは、子どもが興味を発展させるのにとても重要だと感じています。運動でも同様です。球技が上手くなる時期はあります。身体の成長に合わせた運動の提供をすると伸びが早い。

いわゆる早期教育というのが何がイケていないかというと、子どもの向き不向きを考えずにどんな子にも先んじてやらせようとすることです。同世代に比べて未発達な部分が多い子どもに、先に先に学ばせようとしても、本人の能力が追いつきません。早期教育ではなく、その子の発達に合わせた教育の提供をするものです。できる子がたまたま進むだけのこと。

私がブログで子どもたちの年齢を書かないのもこれが関連してます。子どもの年齢を書いちゃうと親御さんの中には、「うちの子どもは斗比主閲子の○○歳の子どもに比べて、これができていない/できている」という比較をついついしてしまう人がいるだろうなと思っていて。

そういう比較をしたくなるのはとても想像できて、私もついついやってしまいます。ただ、繰り返しですが、子どもは一人一人違い、同じ年齢でもできること・興味はかなりグラデーションがあるので、他人の子どもの成長度合いと比較するのが常習的になると、大抵親子間で悲劇が起こります。だから、無為な比較をわざわざしていただかないように、子どもの年齢は明確にしていません。

そんなこんなで、今日もまた図書館に通って、「前は興味がなかったけど、子どもたちが今なら読むかもしれない」と思ってたくさんの本を借り続けています。

今日はこんな感じです。