斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

「子供が生まれたことで、命が生まれるように自分もいつか死ぬんだ…と考えると恐ろしくもなります」

今日は久々の一人小町です。

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Q. どのように子離れをしましたか?

斗比主閲子様

はじめてメール差し上げます、いつもサイトを拝見させていただいております。さて、ご相談…というか、斗比主様のお考えを聞かせていただけたらなあと思いメールしました。

私は現在、0歳の女の子を育てている高齢出産者です。

今は子供としっかり向き合い、雑念を抱いている場合ではないのはわかっているのですが、どうしてももやもやというか、迷い?不安が出てきてしまいます。

以前、斗比主様はお子さんとの関係で、「親で居られる期間」を穏やかに語られていましたね。

私はお世話をしながら、この子の面倒をいつまで見てあげられるだろう? とか、例えばこの子がお嫁にいったとき、先方の「お嫁さん」になって離れていくのが寂しい とか、この子をずっと守りたいが、困難を味わって乗り越えていく力を身につけるためにはべったりもよくない、とか、私が早い段階で他界してしまったら、この子はどうなるんだろう、とか…いずれくる別れについて考えるだけで暗い気持ちになってしまいます。 

子供が生まれたことで、命が生まれるように自分もいつか死ぬんだ…と考えると恐ろしくもなります。産後鬱というわけでもないですし、平日は完全ワンオペですが休日は夫も育児を手伝ってくれています。多分、一過性のストレスではないと思うのです。

そのため、斗比主様がどのように子離れ(受け入れ?)されていかれたのか、もし良ければお聞かせいただけたら幸いです。 

今後もブログの更新を楽しみにしています。突然のメールを失礼いたしました。

一読者より

A. じわじわ子離れしていってます

私が書いた「親で居られる期間」の記事は、たぶん、これですかね。

この子たちの親でいるのはもう少しだから - 斗比主閲子の姑日記

もう3年半前の記事です。その後、私のスタンスはあんまり変わっていませんけど、パートナーは今すぐにでも子どもが手離れしてほしいようです。子育てが辛くて辛くてたまらないらしい。人間の心が変わるのは面白いですね。

それはそれとして。

私の子離れのプロセスは、ごく自然な感じです。子どもが出来ることが増えてきたので、親が手伝わないといけないことが減っていっている、それだけです。

生まれたばかりの赤子というのは、言葉を理解しないどころか、食事もゲップもまともにできないし、排泄もどこでもしてたわけですが、それがじわじわ時間を掛けて、友達と遊ぶ約束したり、たまに親に嘘をつくぐらいの知能を獲得するようにもなるわけです。もはや、親の目の届かぬところで独自の成長をしていっている。そんなわけで、私からすると、子離れをするのは現在進行系で、空気みたいに当たり前に起きていることです。

モヤモヤされていることへの私の感覚を書くと、

私はお世話をしながら、この子の面倒をいつまで見てあげられるだろう?

私は、私がまともな間は子どもが自立するまでのお手伝いをさせていただきながら、暇つぶしをしたいと考えているので、別に面倒をみてあげたいとは思っていなくて、

私が早い段階で他界してしまったら、この子はどうなるんだろう

については、私の子どもには私が早死にしても、お金はそこそこ遺るようにしているし、私以外に子育てできる人間は一応用意できるようにしていますから、私が死んでも、私の子どもたちの子育ては何とかなると考えています。

また、

子供が生まれたことで、命が生まれるように自分もいつか死ぬんだ…と考えると恐ろしくもなります。

私は以前も書いたとおり、死にたいという気持ちは25歳ぐらいから、多少は薄れていても、今でも死にたいと時々思いますし、明日死ぬかもなと思って生きているので、自分が死ぬことはそんなに恐ろしいとは思っていません。

私が恐ろしいと考えているのは、頭がぼんやりしながら、身体は動かせずに、自分の意志ではなく生き続けなければならない状況ですが、たぶん、その状況になったら、恐ろしいとは知覚できないので、ぼんやり生き続けていることでしょう。

私が、もし、普通の親よりも子離れが上手くできている可能性があるとしたら、私にとって、子育てが暇つぶしであるのは一因としてあるように思います。つまり、暇つぶしでしかないので、子どもが自分の生きがいだとか、子どもに自分の人生を託したいとか、そう思うことはないので、子どもにそこまで執着しない、できないというか。

子どもが0歳ぐらいの小さい頃は、自分がいないとこの子は死んでしまうという強迫観念と愛情がごちゃ混ぜになっていたことは確かにあったように記憶はしています。ただ、子どもが大きくなって、私がいなくても子どもが生きられる時間が増えたことで(それこそ冷蔵庫から好きなものを取り出して食べているわけで)、自然と、自分が子育てしないといけないという強迫観念は薄れていっています。

以上、私の子離れのプロセスと、いただいたモヤモヤへの感想です。

同じような話でも、違う話でも、何かモヤモヤするようなことがあれば、どうぞ気軽にetsuko.topisyu@gmail.comまでメールをください。