斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

『中田敦彦「良い夫、やめた」』への批判記事を読んで、私が思ったこと

読者からこんなメールをもらいました。

トピシュさんいつも楽しくブログ読ませて頂いてます。

オリエンタルラジオの中田氏の日経DUALの記事についてコメントをした次の記事はご覧になられているでしょうか。

中田敦彦発言に見る「家事をフローで理解せず、イベント実行する」男たち - エモの名は。

私は2児の父、共働き家庭です。中田氏の主張や内容全てに同意できるものでもないですが、それよりもブログ主の主張の正鵠を失するような内容に違和感を覚えました。

夫婦の相互理解という結論は特にブログ主、中田氏、私も異論ないところかと思いますが、このブログ主がまさに中田氏のいう奥さんみたくなっているように見えました。

ぜひ記事での解説よろしくお願いいたします。

どちらの記事も話題にはなっていたものの、ありきたりの内容っぽかったのでスルーしていました。改めて読んでみて、色々思うところがあったので書いてみます。お好きな人だけどうぞ。

中田さん家庭は夫婦間のディスコミュニケーションがありそう

元はと言えば、中田さんの、

中田敦彦 方針変更!「良い夫」やめました | 中田敦彦 HUMANアップデート中 | 日経DUAL

この記事がネットで話題になっていました。特に、この部分への批判的なコメントが多く散見されました。

仕事が終われば直帰していたこと。帰り時間などこまめに連絡していたこと。在宅時間を意識的に増やすこと。朝早く起きることなど、「いい夫」として課していたことを一切やめました。朝も起きないし、連絡もしない。その日のうちには帰るけれど、何時に帰るかは分からない。そんな感じです。

大前提として、「夫婦関係、親子関係は、絶対に維持しないといけないものではない」と位置付けるんです。世間一般の良い親であろうとする「良い夫フィルター」を外し、妻と別れてもいいし、子どもの親権は渡していい。全部クリアに、フラットにして考えました。

中田さんは直近2年ぐらいイクメンキャラクターで売られている(プロデュースしている)ところがあったと記憶しているので、こういうことを言ったら、何だそれはと思う人がいるのは理解できます。

"何時に帰るかは分からない"というのでは家事育児でまったく戦力にならないし、下手をすれば余計な家事が増える。また、"妻と別れてもいいし、子どもの親権は渡していい"も、結婚している夫婦での最終手段である脅しの発言ですよね。二回目は使えないやつです。

「良い夫」をやめたというより、「家族」を捨てたという内容だなと思いました。非常に極端ですね。少し不安になるぐらい。

何があったかは、記事の中では夫婦ともに不満を抱えていたというのが伺いしれます。例えば、

妻の言い分は、「あなたは一切変わっていないし、ただ成功したいだけの人」でした。「カウンセリングを受けてほしい」と勧められもしたんです。

(中略)

 どういうこと? と聞いても、「あなたを責め立てているわけではないから、軽い気持ちで受けてみてほしい」と彼女も譲りません。何度か抵抗した末に、カウンセリング、受けたんです。

この辺を見ると、夫婦でコミュニケーションが上手く行っていなかった感じが伝わってきますよね。勤務時間を減らしているにも関わらず、妻が"一切変わっていない"という認識を伝えていたり、それを攻撃だと受け取った中田さんが妻に抵抗をしていたり。

他にも、中田さんは、

ママ友たちと話をするんでしょう。うちの夫はこうなのよ、ああなのよ。そのうちに妻たちの間で強烈に「良い夫像」が形成されていき、そこからいかに自分の夫が外れているかの、グチ大会になっていくのだと思います。

このような会話を配偶者がしていると推測している。私は、配偶者下げは悪しき文化であり、廃絶したほうがいいと思っていますが、中田さんの配偶者が本当にこういう話をしているのか、本人の口から聞いたことなのでしょうか。他人から伝聞で聞いたらかなり気分が悪いことだけれど、事実なのか。

旅行に行けば行くで、

夏に家族で北海道旅行をしたときも、めちゃくちゃ文句を言われたんです。宿泊先や行き先の不満に始まり、妻が行きたかったはずの家族旅行なのに「疲れる、しんどい」と不機嫌にもなる…。楽しみであるはずの旅行に来て、なぜ自分は不満を聞かされてばかりなのか。そして不思議なことに、「妻が行きたかった旅行」なのに、「僕が行きたいから来た」と変換されている…!

こんな会話に発展している。誰が行きたい旅行で、どう旅行を組むかさえ、夫婦間で共有されていない。

夫婦ともに自分は被害者であり相手は加害者と思っており、被害者であるアピールをしながら結果的に相手を攻撃し、二人で傷つけ合っていた状態があったように私には見えました。

記事の中では夫婦で会話をし、一応の結論に辿り着いているようですが、私の感覚だと、二人のコミュニケーション方法を確立しておかないと、また問題が起きるかもと思いました。中田さんだけじゃなく、夫婦で一緒にカウンセリングを受けてもよかったんじゃないだろうか。

それにしても、中田さんぐらいの収入がありそうな家庭で、

仕事が好きで稼ぐことが得意な男を夫に選んだのだから、「キミが負担に感じていることがあるなら、僕の利益で家政婦さんやシッターさんにアウトソーシングしてはいけないの?」とも。

家事育児のアウトソーシングをこれまでほとんどしてこなかったようなのは驚きです。少なく見積もっても年間数千万円の所得はあるでしょうから、料理や掃除や一部の育児はアウトソーシングをしていてまったくおかしくない。

日経DUALの過去記事を見ると、過労死寸前まで働いていた(週休一日、平日も朝から夜遅くまで働いていた)ようなので、

中田敦彦 イクメンアップデート中(連載バックナンバー) | 日経DUAL

そんな状況で、家事育児をアウトソーシングしていなかったとしたら、家庭が回っていたのは配偶者にかなり負荷がかかっていたのではないか。

以上、中田さんの家庭について思ったことを書きました。次は、

中田敦彦発言に見る「家事をフローで理解せず、イベント実行する」男たち - エモの名は。

こちらの記事にコメントします。

家事育児の期待値を上げるのは夫婦ともにシンドい

最初に言うと、たぶん、中田さんを批判しているこの記事の人は、自身の配偶者に対する不愉快な体験と、ご自身がフォローしている人のタイムラインでの中田さんへの批判を脳内で悪魔合体させて、勢いで、この記事を書いたんだろうだと思いました。

なぜそう思ったかといえば、いきなり中田さんを"モラ山ハラ男さん"と侮辱していますし(自分が他人から言われたら相当イヤですよね)、誤字脱字がそこそこありますし、最後は、石油王だったら家事なんてしなくていいと冗談めかして結論として書いていたりするところからです。

石油王云々については、中田さんも家事をアウトソーシングするという結論に至っているのだから、記事を書いた人が記事の半分ぐらいを使って熱心に書いている「家事はマネジメントが必要だ!」は、中田さんにはもう当てはまらないですよね。繋がらない。

というわけで、雑に書かれた文章だと私は受け止めたので、冒頭で紹介したメールでご依頼された方は、

ブログ主の主張の正鵠を失するような内容に違和感を覚えました。

ということですが、私はそんなに違和感は覚えませんでした。正鵠を射ていなくて当然でしょう。自分の体験に重ね合わせて他人の体験を眺めれば、認識が歪むのは当然のことです。

ただ、これだけで終わってしまうのもつまらないでしょうから、ちょっとだけ触れておきます。

まず、この部分。

彼が「俺大正義!」と超え高々に勝利宣言し、「いい夫やめます!」と宣言するにいたった根拠として上げているのは、2点。

  1. カウンセラーにも証明された
  2. 妻も現在は反省している

「1.外部の権威者」からのお墨付きと、「2.当事者の反省」があるのだから、やっぱり俺大正義!大勝利!いうことである。

本当に「ありがとうございます、お腹いっぱいですにゃん」とブラウザバックで逃げたくなる。

そもそも中田さんが勝利宣言をしたのは1~2の前の妻のニーズに応えられたときのことなので事実誤認ですし、また「いい夫やめます!」と判断に至った根拠もこの2点に限るのかというと私はそうは思いませんが、こういう揶揄の仕方をすると、カウンセリングを受けること自体を否定しているようで、私は好ましいとは思いませんでした。

夫婦間で問題が解決しないときにカウンセリングを受けるというのは日本ではまだ少ないですけど、いいことですよね。カウンセラーに限らず、第三者と話をすることで客観視できることはままあることです。引用箇所みたいな記事の書き方は、カウンセリングの位置付けを貶めています。

また、元を正せば、カウンセリングを受けることを推奨したのは妻です。(妻が指定したカウンセラーを受けたかは分かりませんが)そのカウンセラーとの会話を経て、妻と会話をして何らかの結論に至っているのに、そのプロセスが間違っているというのはあんまりです。

付け加えると、ブラウザバックしたければすればいいですよね。誰も読むことを強制していない

次に、この部分。 

記事内で真っ先に気になったのが、中田氏の以下の発言である。

 家にいる時間が増えたことで、妻も家事や育児をシェアしやすくなったようでした。「ちょっと長女と出かけてくるから下の子を見ていてね」とか、「○○がないから、そこのスーパーで買ってきてくれる?」とか、声をかけられることが増えていました。「すごいよ、オレ!」「妻からのニーズにすべて応えられる状況が完成した」「完全な勝利だ!」と自信満々でした。

はい、だめ。全然だめ。0点。

彼は「”依頼”されるまで、そのタスクに気がついていないし、自主的に把握するようにも努められていない」ということが見てとれる。相手から言われないと「家に今なにが必要か」がわからない。わかろうともしていない。

「ちょっと長女と出かけてくる」や「○○がないから」の後の家事育児について、自主的に把握しろと書かれています。でも、これは難易度が高いですよね。

「ちょっと出かけてくる」は言葉通りなら妻がその場で判断したことだし、その後のアクションを妻が夫に指定するのはおかしなことじゃない。「〇〇がない」というのも、家の中のすべての物の充足具合を判断するのは困難です。自分が切らしたものならまだしも。

記事を書いた人は、更に、

表面化した「ニーズ」い答えることは誰にでもできる、潜在的ニーズを把握せよと仕事でも言われるだろう。お前にかけているのはその意識だ。

中田さんを"お前"呼ばわりして畳み掛けます。私は、家事育児において潜在的ニーズを把握するようにするのは、相当難易度が高いことであり、万人にお勧めできるものではないと考えています。言ってしまえば、「あれ取って」の「あれ」を把握しろに通じしてしまう。それはシンドい。察して文化の最高潮。日本人が外国人にジョブディスクリプションを説明するのが苦手なところと似ている。

ただ、記事を書いた人は、たぶん、それをできる人が多いと見ている。だから、

例えば「料理」「ゴミ捨て」「洗濯」は一見依存関係がなさそうな独立したカテゴリに見えますが、多くの主婦はこれらの相関を考えながら行動する。どういうことか?

冷蔵庫に秋刀魚と手羽先があるな~。秋刀魚はそろそろ期限だから今日食べなきゃ。でも明日ゴミの日だから、手羽先を処理して骨出しちゃいたいな。あーだったら秋刀魚はマリネで日持ちさせて、今日手羽先メインで献立を作るか。野菜はまだあるから今日は買出し行かなくてすみそうだな。どうせ明日ゴミ出しだから、今日のうちに洗濯物回すだけまわしちゃってドラム掃除機の埃掃除もして全部出しちゃえ。そろそろ洗剤切れそうだからamazonで発注しなきゃだなー。他のものも含めて考えて次の資源ごみの前に到着するように依頼かけよっと(10秒)

こういうことを、"多くの主婦"ができるとしている。本当にそうでしょうか。

私はそうは思いません。専業主婦であろうとも、できない人はたくさんいます。こういう物の考え方は御本人がされるだけならまだしも、他人に伝えると、言われてできない人はプレッシャーを感じます。

以上です。

色々気になったところはありますが、まず、カウンセリングをネガティブに書いていること、次に、家事育児で潜在的ニーズを把握できることが当たり前のように書いていること、この2点については、私は好ましいとは思いませんでした。

締め

私は以前から書いている通り、日本での家事育児を夫婦で分担できていない理由の第一は、日本の労働時間が長過ぎて家事育児をやろうとしてもできないことにあると考えています。

第二は、日本の家事育児のクオリティが高すぎることと考えています。加えて言えば、こだわりが強いからアウトソーシングも忌避する傾向がある。これは、外部に限らず、夫婦間でもそうで、どちらかに過度なこだわりがあれば、相手に家事育児を"任せる"ことが困難になる。

第三ぐらいに、夫が家事育児能力を向上する機会が不足していることにあると思います。今の若い人はそんなことないけれど、一定の年齢以上だと、男が家事育児をすることにネガティブな環境がありました。男は台所に立たないとか。

ある意味、社会が悪いというのが私の認識です。家事育児ができない夫は、貧困が故に努力する習慣が身に付かなかった人に通じるところがあると、私は見ています。

中田さん批判の記事を書いた人も、途中、実態としては家事の役割分担がなかなか困難なことに触れつつ、最後の方では、

結局のところ「何をもって家事とするか」というゴール設定が合意できていないと、結局双方不幸になるということなので、「一緒に生活する」という原点に立ち戻って、同じチームの人間として快適に過ごせるように合意形成・ブラッシュアップしていくしかないと思います。

と書いています。私も賛同します。

世の中を憂いたところで、目の前の家事育児というタスクはなくなりません。この方のように、一緒に生活するという原点に立ち返り、何を家事とするかを見える化し、時に省エネ化し、また、中田さんのように、夫婦でそれぞれ何を実現したいのかを時々話し合うのは、(できるのであれば)夫婦が快適に過ごす上で有効ですよね。

一汁一菜でよいという提案

一汁一菜でよいという提案

 

※料理に限定しないで、この発想を持ちたい(ただ、これぐらいでもハードルが高いと思う人はいる)