今日は読者からのメールに簡単にコメントします。メールの内容は、「『夫は家庭では同僚みたいなものだから、察して家事育児をするべき』という考え方にモヤモヤする」というものです。
「『夫が家事育児をできないのは察する能力不足!』と糾弾するのにモヤモヤします」
斗比主様
今回、斗比主様のご意見を聞きたくメールしました。
よく目にする「育児や家事について、妻は夫のことは部下だと思って具体的な指示を出してあげて」という意見に対して、
「夫は同時期に親になったのだから、部下ではなく同僚だ。同僚ならば、他方の同僚が大変な時に何をしてほしいか察するべき。男は会社ならできるだろうに、家庭ではそれができないのか」という反論をよく目にします。
この反論について、「察するべき」という意見に対して、会社のパワハラ上司のような雰囲気を感じ取ってしまいなんとなく嫌な気分になります。
私も一児の母ですが、以下の点でもやもやを感じます。
(1)多くの家庭で、母親の方が父親より子どもと過ごす時間が長いため、同じ業務を同じ時間取り組むような「同僚」と言えないのでは?
(2)会社でも「同僚」(又は上司)があたふたしているのを見て、自分が適切な支援ができなかった時に、「察しろよ」と言われても「じゃあ具体的に言ってよ」と思わないのか。
おそらく「同僚」の反論をする多くのお母さん方は、単に吐き捨てるためだけに言ったのであって、ネット上では愚痴を言ったりしつつも、実際は家庭ではなんとかやり過ごしたり、夫婦で話し合ったりしているのだろうと思います。(それこそネットでは夫下げしながらも、家では「腰をもみながら夫婦で話し合い」なんてご家庭もあるのでは……。)
とは言いつつ、「夫の察する能力不足!」と糾弾するような意見にずっともやもやしっぱなしです。過去記事ですでに言及されていたら申し訳ありません。お時間のある時にご返信いただければ幸いです。
F
「仕事で同僚が察してフォローをする」のは悪手
私は「仕事でするように家事育児は家庭で対処・分担した方がいい派」です。
こう書くと、話の流れから、
「夫は同時期に親になったのだから、部下ではなく同僚だ。同僚ならば、他方の同僚が大変な時に何をしてほしいか察するべき。男は会社ならできるだろうに、家庭ではそれができないのか」という反論をよく目にします。
という反論をする方に思われるかもしれませんが、そうではありません。むしろ、逆で、仕事で誰かが大変な時に、周りが察してフォローするのは悪手であると考えています。
なぜ、仕事で大変な時に周りが察しないほうがいいかというと、
- 察して対応するのが当たり前になると、その場しのぎの対応で十分だと考えられてしまい、そもそも大変な事態が起きる構造上の問題が放置されてしまうことがある(分かりやすい例でいえば、社員が辞めた穴を周りが残業で埋めちゃうと、新しく社員を雇わなくなり、残業が常態化する)
- 大変な状況への対処というのはえてして難しいものなので、あまり状況を分かっていない、精通していない人間が横から手助けしようとすると、事態が悪化することがある(無能な働き者が頑張るみたいな感じ)
- そもそも自分の職域でない、他人の業務をカバーするのは領空侵犯
という理由からです。大変な状況は臨機応変に対応するのではなく、システマティックに対応されたほうがいいと考えています。
仕事を常に臨機応変に対応することが求められるようだと、初めて取り組む人は上手くできません。結果として、継続性は期待できず、個人の努力の限界が来れば、簡単に崩壊してしまいます。これでは仕事として成立しません。
最近は、日本語が必ずしもできない、日本文化に精通していない外国人学生が、コンビニで働いていたりしますよね。あれが実現できるのは、たぶん、適切なマニュアルや教育体制の存在、そしてある程度ルーティン化された仕組みがあるからで。
仕事でするように家事育児を分担したほうがいいというのは、家事育児を可能な限りルーティン化、システマティック化したほうがいいということです。その方が、誰でも対応できるし、負荷は分散できるから。
詳しくは以前記事を書いたのでこちらをご参照ください。
仕事でするように家事・育児を分担すること - 斗比主閲子の姑日記
幼稚園・保育園の先生は、仕事で育児をしているわけですが、何かの機会にお話を聞くと、先生同士が凄まじく連携していて、ビックリしますよね。「○○ちゃんが最近落ち着きがない」「○○ちゃんと○○ちゃんは相性が悪い」等々、たくさん申し送りをしている。育児のプロである先生でもそういう対応をしているわけですから、素人の普通の親は何をか言わんや、と私は考えています。
家事育児の分担問題の裏側にあるのは「日本人の労働時間の長さ」「家事育児のクオリティ高さ」「夫婦間の過剰な期待」
私は、日本人の家事育児分担については、いつか上手い形で収まるんじゃないかとポジティブに考えている一方で、構造的な問題もあって、これからも紛糾するだろうなと考えています。
構造的な問題とは、大きく3つで、それぞれ、
- 日本人の労働時間の長さ
- 家事育児のクオリティの高さ
- 夫婦間の過剰な期待
です。
そもそも、日本人は労働時間が長すぎるんですよね。そのくせ、仕事の後に同僚と飲みに行くのが当たり前だったりするし、通勤時間と合わせれば、家事育児をやっている余裕なんてありません。
また、いざ家事育児をやろうとすると、そのクオリティがあまりに高い。専業主婦の母親が作ってきた手の込んだ料理を作るのがまだ期待されているし、他の家事もそう。子どもにも親が色々しつけちゃう。保育園なのに親に手縫いグッズを用意させようとするみたいな、自前主義を強制する世間の雰囲気も残ってる。
そして、短時間でハイクオリティが求められているのに、さらに、どれくらいやるかはお互いに察するのが基本になってる。誰がどれくらい何をするのかが明示的じゃなくて、配偶者が頑張っているなら一緒に頑張らないといけないという考え方もあって(上司が残っているから会社に残るのと発想は同じ)、気の休まるところが少ない。
分かりやすく言えば、ブラック労働が家庭にまで広がっているところがあります。
糾弾すべきは「ブラック家事」
だから、
「夫は同時期に親になったのだから、部下ではなく同僚だ。同僚ならば、他方の同僚が大変な時に何をしてほしいか察するべき。男は会社ならできるだろうに、家庭ではそれができないのか」
という考え方は、必ずしもズレた考えじゃなくて、日本人に根深く残るブラック労働的価値観であれば、延長線上にある発想なんですよね。ブラック家事といえばいいでしょうか。そして、このようなブラック家事をもっぱら妻側がやらされてきた。
「夫が家事育児をできないのは察する能力不足!」というのは、「私もブラック家事をやってきたんだから、あなたもブラック家事をやって」みたいな恨み言が多分に含まれていますよね。自分も苦労したんだから、あなたも苦労してというもの。
それで夫が家事に関わったとしても、結局、ブラックな環境が温存され続けてしまいます。これはよろしくない。ただ、なかなか労働時間を短くするのは簡単ではないので、家事育児もホワイト化するべく、省エネ化・アウトソーシングがもっと一般的になるといいなと考えています。
具体的には、自炊するならメニューを決めちゃったらいいし、
趣味は仕事・家事・子育ての活力! ヲタママ女医一家は、毎日がどったんばったん大騒ぎ - はたらく女性の深呼吸マガジン「りっすん」
合理化の末、365日同じメニューの我が家の朝食。決まってるから誰でも作れます。
家計簿作るぐらいなら、マネーフォワード、Zaimとか、使ったほうがいいみたいな。
家事育児の分担で夫婦間で揉めるのは、どちらかが悪いというわけじゃなくて、結局社会が悪いところがあって。だから、敵は社会だと考えつつ、夫婦でどうやって快適な生活を構築していくのか、作戦を練っていくのが建設的だと考える次第です。