このTweetをたまたま見かけて、
食費にお金を若者はかけられないというが、それは、言い訳。今日のお昼ご飯、鱧のおすましだったけど、家人に聞いたら、実質何百円だって。骨切りした鱧も旬だから安いし、他の材料も残りものだしって。やれば出来る。やらないだけ。(小池一夫) pic.twitter.com/0tyD1LWoIv
— 小池一夫 (@koikekazuo) 2017年8月12日
このTweetを思い出しました。
カップラーメンを高いといえるような自炊能力は、既に文化資本なのですよ(´・ω・`) 自炊能力を身につけるためにお金や時間などを投資していますから。そういう投資をする機会がなくて、割高なカップラーメンと食べているというのが貧困ということなのですよ(´・ω・`)
— お菓子っ子 (@sweets_street) 2012年5月16日
料理を作れるのにはある程度の文化資本が必要なんですよね。どんな食材をどこで買ってくるか、買ってきた食材をどういう風に調理するか、残りものをどう扱うかというのは、それぞれ結構なスキルが求められます。
原価何百円で鱧のお吸い物が作れたとしても、それができる料理スキルは数百円で済まない、お金や時間がかけられています。大工さんが原価0円の木っ端で積み木を作れること、イラストレーターさんが原価数百円で素敵なPTAの広報誌を作れることと同じようなものですね。
またたとえスキルがあったとしても、そのときに時間や心の余裕がなければスキルもフルに発揮はできないものです。仕事で疲弊していたり、精神的に追い詰められていたり、子どもが「ご飯、まーだー!」と言っていたりする環境で、鱧のおすましを作るのはかなり厳しいものがあります。
ただ、外食で栄養が偏りがちということなら、自炊でカバーができたほうがいいというのはあります。そういうときは、わざわざ凝った料理を頑張るのではなく、一汁一菜でもいい。
日々、家族と自分のために楽しく料理をしている一料理好きとしては、料理沼に人々を引きずり込みたいので、「料理はやればできる」というより「料理は誰もがやればできるわけではありません。私もいつも美味しい料理ができるわけじゃないですけど、できるときに好きでやってます」とお伝えしたいところです。根性論は響かなくても、楽しくしていると引き込まれる人はいますから。
はい。