ちょっと前(3ヶ月前)に、とある新書についてモヤモヤしたので解説して欲しいという依頼がありました。
なんだろうな、このモヤモヤ…。トピシュさんに解説してもらいたいわ…。
依頼されたのは育児漫画目録ブログを運営する末尾(id:matsuo0221)さん。ここ1ヶ月ぐらい恐らく子育ての関係でWebにいらっしゃらないようなので、ご本人が読まれるかは分かりませんが、
この感動を旦那さんに伝えたくて「現代のメリーポピンズ…?ピーターパン??」…と悩んでいたところ、旦那さんが「冴羽 獠?」と言ったので、なるほど!トピシュさんは現代のシティーハンターか!…と思いました。
その後提案された「妖怪ポスト?」の方がしっくりくるような気がします。
(見つけてくださってありがとうございました。)
ここまで喜ばれたのに何の音沙汰もなしだと面白くないですから、簡単に書いてみます。
何にモヤモヤしたのか
まずは末尾さんが何にモヤモヤしたかの確認ですね。
昨日読み終えた本が、示唆に富んでいると思うのですが、現在の私のもやもやを助長している面もあり、なんとも悩ましい…。感想を漁る旅に出ようか…。
(中略)
この本、丁寧に情報を拾い集めてある良い本だとは思うのですが、読んでみるとえらいモヤモヤ してしまって。昔より育児に手をかけるようになったことには同意だけど、それが学級崩壊や暴力事件の原因になっているとは思えない。
(中略)
著者は、日本では生活する上での様々な「型」がなくなってしまった、と指摘しています。
そして、「型」がなくなった社会にふさわしい人格を育てる子育て法を手に入れる必要を説いています。
親子対等な子育てを!との結論で、それはたしかに、そうなのよ。
自分は親としての「型」がないことに苦しんでいるような気もする。
今から「型」を作るのは難しい気はするし、1つ1つの家族でオリジナルの「型」を作っていく時代なのかもしれない。
でもなんだろう…。
何故こんなにモヤっとするのだろう。
(中略)
うーん。この本にはたくさんヒントが詰まっている気がするけれど、考えがまとまりません。モヤモヤ。
論点を整理してみたらちょっとは違うのだろうか。うーん。
かなりモヤモヤされていますね。
モヤモヤしたのは城西国際大学の准教授である品田知美さんの『<子育て法>革命』(2004年発行)という新書に対してです。内容は、
子どもを産んだそのときから、母親の生活は一変する。一日中抱っこをせがまれ、夜中も授乳……。子育てとはこんなに大変なものなのか? しかも、こうして育てられた子どもの中には、突然キレるなど他人とよい関係を築けない子も増えている。いまや当たり前になった「子ども中心」育児法はいつどうして生まれたのか。その問題点とは何か。本書は、母子健康手帳副読本などの変遷を検証し、新たな子育ての技法を模索する。
現代の子供中心の子育て法(本書では「超日本式育児」と定義されています。)が成立した背景の整理とその子育て法の問題点の指摘というものです。
もう10年以上も前の子育て本ですが、末尾さんは育児本マニアだそうで、古いものも読んでいるらしい。ちなみに、品田知美さんはブログも書かれていますので、最近のお考えを知りたい方はこちらをご覧になるとよいのではないでしょうか。⇛品田知美の空中庭園
10年以上前の育児本であれば、やはり、今の視点からは色々ギャップもありますよね。モヤモヤするところはあって当然でしょうが、たぶん、2つのポイントでモヤモヤしているのではないかと思います。
モヤモヤポイント①~諸悪の根源は現代の子育て法?~
1つ目のモヤモヤポイントは、現代の子供中心の子育て法が社会の諸問題の原因だと読めるように書かれているところだと思います。
末尾さんも一つ例を挙げているように、
昔より育児に手をかけるようになったことには同意だけど、それが学級崩壊や暴力事件の原因になっているとは思えない。
現代の子供中心の子育て法の浸透によって学級崩壊や少年犯罪が起きているように読めるんですよね。
そういう方向性に持って行きたいのは、目次を確認するだけでもある程度理解できます。目次と一部の小見出しを抜粋します。太字の箇所をご覧ください。
■目次
1章 迷走する子育て
小さな天使たち/母親の願いごと/子どもに殺意を抱く親/早期教育のオモテとウラ/子どもにつくす日本の親/見守られない子ども/子育ての目標はなにか/子育てと人格/技法としての子育て
2章 子育ての場に何が起きたか――とまどう親/変わる子ども
「育児不安」の登場/日常化する虐待/増える育児時間/ネットワークは変化したか/消費社会と子育て/「学級崩壊」現象/黒磯教師刺殺事件/増える少年の凶悪犯罪/とまどう親と変わる子ども
3章 子育て法の大転換――一九八〇年代に起きたこと
4章 子育ての二重規準――一九三〇年代―一九七〇年代
5章 「超日本式育児」の陥穽
「超日本式育児」の登場/均質化する口コミ/疲弊する親たち/西洋の「超日本式育児」/新基準への適応/先送りされる欲求の自己制御/「型」の喪失と人格/溺愛と人格の未分離/ひきこもり現象/他者との欲求対立
6章 親の主体性をとりもどす
何となく内容が想像できませんか?
この本では現代の子育て法の問題点を指摘するわけですが、それが、「現代の子育て法が浸透したことで、虐待や学級崩壊や少年犯罪やひきこもりが起きているのではないか」というようなものなんですね。それが、はっきりとした因果関係が書かれているわけではなく、あくまで推測。
該当箇所をいくつか抜粋します。
献身的に子育てをしていた母親がある日カッとなって子どもを殺す、川崎の事件のようなケースが、「超日本式育児」の浸透によって増えてもおかしくはない。(P138)
親たちが「超日本式育児」に適応している場合、乳幼児期にはあまり問題は顕在化しないだろう。けれども、育てられた子どもたちは、何らかの社会現象をもたらすかもしれない。学級崩壊や少年犯罪の増加があった年代の子どもが生まれたころに、子育て法の大転換があったという事実はすでに確認したが、「超日本式育児」がこれらの現象に関係している可能性がある。(P143)
乳幼児期に、親が子どもにつくす「超日本式育児」は、溺愛の子育てを助長するのではないか。(P148)
「好きなものを好きなときに食べる」個食の増加や、「プチ家出」などの流行は、放任の親子関係の一側面といえるだろう。(P150)
「超日本式育児」のもとで、子どもが家族を他者と認知するのは本質的に難しい。親が自分の生活パターンをめちゃくちゃにしながら、子どもの欲求を満たしつづける赤ちゃん時代の延長に、ひきこもる子とその親という関係性が出現してもおかしくはない。(P152)
このようにわずか14ページだけでもこれぐらい推測による、現代の子育て法に対する問題点の指摘がなされています。
これは社会学の研究もされているid:gerge0725さんがコメントされているように、
- gerge0725その本の中身を読んでないのでわかりませんが、相関関係と因果関係を混同しているのかなと思いました。2014/11/15
相関関係があるから因果関係があるとしているように取れる内容です。現代の子育て法が浸透したのと同じ時期に、虐待が起きたり、学級崩壊が起きたりしたから、それらの原因は子育て法革命ではないかという推測。
相関関係と因果関係については、こちらも現在Webでの活動休止中の林岳彦(id:takehiko-i-hayashi)さんのこの記事をどうぞ。林さんは国立環境研究所 環境リスク研究センターの主任研究員です。このブログにも時々ブコメをされてます。何を求めているんだろうか。
本書ではどれか一つぐらいしっかりと因果関係が説明されていたらまだいいんですが、ほとんどが推測の域を出ないので、読んでいると、「単に現代の子育て法を批判したいがために何でもかんでも結びつけているだけでは?」と思ってきちゃうんですよね。
これが一つ目のモヤモヤするポイント。Amazonのレビューでも同じ指摘があります。
ちなみに、本題とは関係のない箇所でも、ちょっとどうかなという表現はあります。
漫画家の親を持った子だからこそ、はっきり表現する子が生まれ、育児漫画は面白くなるのだ。(P166)
これはそんなこともないんじゃないでしょうかね。
モヤモヤポイント②~代わりの子育て法は何?~
もう一つは末尾さんの文章だとこちらの箇所ですね。
親子対等な子育てを!との結論で、それはたしかに、そうなのよ。
自分は親としての「型」がないことに苦しんでいるような気もする。
本書では現代の子供中心の子育て法ではなく、親子対等な子育てをしようというのが著者の主張として書かれています。ただ、これが、いかんせん量が少ない。
元々、現代の子育て法がどうやって成立してきたかと、その問題点を指摘することに注力している論文テーストの新書なので、代わりの提言まで丁寧に書くのは、分量的にも著者の専門領域からも厳しかったんでしょうね。提言が書かれているのは第6章ですが、30ページと全体の1/6強に過ぎません。
「今あなたが苦しめられているのは現代の子育て法が子供中心主義だから。それを捨てて子供対等主義になれば楽になれるよ」というメッセージを子育てする親に伝えたいのが全体的にひしひしと伝わってくるのですが、子供中心主義を否定するのにページを使って、子供対等主義についての説明が少なめだと、結果的に、親は宙に放り出された気になっちゃうと思います。信じるべき方向性がはっきりしない。
該当箇所をいくつか抜粋します。
夜中の授乳は、生後数ヶ月たって必要がなくなったらやめたほうがいい。(P171)
必要がなくなるのはいつかは具体的には書かれていません。
言葉もそろそろ出てくるような子どもに対して、母乳をやりつづけるという行為は不釣合いではないか。
特に不釣り合いである根拠は書かれていません。
食べ物の好みに関しては、もう少し子どもの主体性を認めてもよいのではないか。(P182)
子供中心主義をやめようという話だったのに、こういうことを書かれるとどう受け止めていいか読み手は困ります。
この辺は、恐らく、社会学者という観点より、ご自身が子育て中に苦労した、一個人の経験則がメインで書かれているように読めました。以前も書きましたが、燃える育児論の典型ですね。
締め
元の本は末尾さんが書かれている通り、見るべきところも多くあるんですよね。シアーズ博士の国内外の位置付けとか、母子健康手帳での記載内容の変遷から推測できることとか、子供中心だと親に負荷がかかりすぎることとか。
本書の問題点として考えられる因果関係の説明がほとんど推測であるというところは、恐らくその後品田さんが研究されていると思われますので、品田さんの論文をちょっと追ってみることにします。
以上です。以下、余談です。
余談
繰り返しですが、品田さんは、
漫画家の親を持った子だからこそ、はっきり表現する子が生まれ、育児漫画は面白くなるのだ。(P166)
とされている点、自分は面白い育児漫画は、面白くなるように、面白い部分を集めた漫画だと思っています。
東村アキコさんの『ママはテンパリスト』でも、吉田戦車さんの『まんが親』でも、「子供が大きくなって常識的な行動をするようになって漫画のネタが少なくなった」という苦労話が語られていますよね。
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依頼者の末尾さんには育児漫画専門のレビュアーとして、
「育児漫画が面白いのは、子供が漫画家の子供で特殊だから面白くなるか否か」
について是非書いていただきたいなと思っています。今度はこちらからの要望です!
2歳時と0歳時の組み合わせだと本当に余裕がないと思いますので、どうかご無理はなさらないで、お手隙の時によろしくお願いいたします。