斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

「ブスとか美人とか貧乳とか巨乳とか、人の容姿に関わることやコンプレックスに関わることは、すべて話しちゃいけない」の?

たまたま、

「ブスとか美人とか貧乳とか巨乳とか、人の容姿に関わることやコンプレックスに関わることは、すべて話しちゃいけないことになるのはおかしい」

という発言を見かけました。

誰が言っているかは別として、こういう発言をしている人や、心のなかでそう思っている人がいるのは分かります。飲み会のネタとしてよく見かけますしね。そういう人からすると、「容姿やコンプレックスの話は全面禁止!」なんて言われたら、反感を覚えるのは必至でしょう。

ある表現の全面禁止というのは好ましいことではありません。ただ、どんなことでもいつでも表現していいか、表現をしたときに表現をした人間が何らかの咎めや反感を一切受けないかといえば、話は別です。自身の表現によって、他人を傷つけることはあります。どんな表現でも潜在的に他人を傷つける可能性はあります。

自分が発信したことで誰かが傷ついて欲しくない、傷ついたことで咎められる責を負いたくないということであれば、発言には慎重になる必要があります。

親が創価学会員で苦しんでいる友達に「創価学会を信じてる人って気持ち悪いよね」と言ったり、身体が細いことを気にしている友達に「あなたガリガリだよね」と言ったりすれば、その友達は傷つきます。最悪、絶交されてもおかしくない。友達を傷つけておいて後になって、「私には表現の自由がある。あなたが傷つくのはおかしい」と言っても、友達は呆れるだけであなたのもとに帰ってくることはありません。

宗教や政治やコンプレックスに関する話題は、個人のアイデンティティに深く結びついているところがあります。相手を傷つけたくないのであれば、表現をするにしても特に慎重になる必要があります。

また、聞き手が誰か、聞き手はどんな精神状態か、どんな言い方をするか、どこで発言するかなどで、表現が他人を傷つけるか、どれくらい傷つけるかは変わってきます。修学旅行中の枕投げ大会中に友達の耳元で突然「お前んちおーばけやーしき」と小さく呟くのと、友達の誕生日パーティに招待されて遊びに行った時に皆がいる前で「お前んちおーばけやーしき」と伝えるのでは、言うまでもなく影響は異なります。 

物事は1か0ではなく、大半がグレーなものです。人間の心は多種多彩ですから。

過激な発言で耳目を集めておきながら、「誰かが傷つくなんて知らなかった」と繰り返す人がいたとしたら、その人は、他人の痛みを受け入れたくないか、試し行動で周りを試しているか、カマトトぶっているか、経験から学ばないかのどれかでしょうか。

そういう人が家族だったら別ですが、赤の他人であれば私は距離を取るようにします。相手にするだけ疲れますからね。