このTweetをきっかけに、
“自分の子育てでできなかったことをできるんじゃないかと思うんです。やり残したことや「こうしておけばよかった」ということに再挑戦できるチャンスなんじゃないでしょうか。” ←糞親糞トメ確定 / “女優・濱田マリさん 「ばばあ」で結構…” https://t.co/9FzpcFAjcH
— くっきー石の国 (@kukkyx) 2017年12月17日
濱田マリさんへのインタビュー記事を読みました。
くっきーさんが引用している箇所はここですね。
[女優 濱田マリさん]「ばばあ」で結構!(上) 年齢に「悪あがきしない」 : yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)
――お孫さん、早く欲しいですか?
欲しいです! 自分の子育てでできなかったことをできるんじゃないかと思うんです。やり残したことや「こうしておけばよかった」ということに再挑戦できるチャンスなんじゃないでしょうか。
一応、ここまでの文章で、濱田マリさんが親に助けられたから、その恩返しとして自分の子どもも助けたいという話があります。それぐらいならいい話ですむけど、孫育ては自分の子育てでできなかったことを再挑戦できるチャンスとまでいっちゃうと、面倒な姑候補に見えます。
子どもは子どもで自分とは別の自立した人間で、孫育ても本来は自分の子どもが主体的に行うものですからね。ジジババが孫育てにしゃしゃり出てくるのはトラブルの元です。動機が善意であっても、悪行というのは起こりうるもの。これ、指摘されると、大抵のジジババは善意の否定を人格否定と受け取って、ショックを受けるんですが。
他にはこんなことも仰っています。
[女優 濱田マリさん]「ばばあ」で結構!(中) 一人娘、「冷戦」脱して頼れる相棒に : yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)
――ここからが第二の青春というお気持ちでしょうか?
いずれ娘にも彼氏とか、旦那さまができるでしょう。その人に会うのが、今から楽しみで仕方ないんです。私、これから年下のイケメンとご縁があるような予感がするんですが、それは多分、娘のパートナーだろうな、と思っています。あるいは、もしかしたら孫が男の子で、ものすごい男前に育つかも。それが私の第二の青春かもしれません。
娘さんに彼氏ができたり、結婚するのを前提にしているところもヤバいですけど、娘さんのパートナーが自分の縁のあるイケメンだとか、孫が男の子で男前に育つのが自分の青春だとか言っているところは、凄いですね。
インタビュー記事をすべて読むと、
[女優 濱田マリさん]「ばばあ」で結構!(下) 目標は現状維持、時々“お宝”あるかも : yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)
ご本人にエネルギーが有り余っており、娘さんが自立していて距離感がある程度あることも分かるので、一連のヤバい親・姑発言は、インタビュー用に面白いことを言ったということなんだと思います。あるいは親バカの延長線上みたいな感じでしょうか。
以下、個人的な話を書きます。
私も子育てをしていて、人生の追体験をしているという感覚を持つことはあります。自分ができなかったことを子どもに実現させたいという欲求がまったくないかといえば、ちょっと怪しい。
親はなんやかんやで子どもに影響力がありますし、自分の人生で学んだことを子どもに学ばせようとすると、自然と、自分がこうしたら良かったと思っていたことを子どもにやらせようとすることに繋がることがあります。
この辺は加減が非常に難しいところなんですけど、子どもの人生は子どもの人生で、あくまで親は横で眺めさせてもらっているだけで、子どもの意思を尊重するというのを基本スタンスとして忘れないようにしたいなと思う次第です。
何しろ、私の子どもたちが恋愛するか、イケメンに限らず結婚するか、子どもを持つかも決まっていることではないですからね。