自分は子どもを叩くことはありません。ただ、叩きたくなることはあります。
子どもを叩きたくなるとき
子どもを叩きたくなるときはこんな時です。
- 自分自身がイライラしている
- 子どもが言うことを聞かない
こういう時に怒りの衝動が生まれてきて、同時に手を出したくなる感じですね。
実際、イライラすることはほとんどないですし、子どもが言うことを聞かなくてもある部分は納得できるので、叩きたいという衝動が起きることは二~三週間で一回ぐらいで、それほど高頻度ではありません。
母は私を育てているときに、つねる、頭をゴチンとするぐらいはしていたそうですが、酷く叩かれた記憶はありません。しかし、父からのものは数は少ないはずなのによく覚えている。
叩くことが子どもの教育上効果的なことが科学的に検証されているなら叩いて躾をしますけど、確かそうじゃなかったはずなので、叩くことは躾方法の有力な選択肢にはなっていません。叩きたい衝動の方は、自分自身がイライラしていることがもっぱらの原因なので、それは自分をどうにかするものだと考えています。
親は子どものガイド役
躾という観点では、子どもが小さい頃は「脇コチョするぞ~!」「お菓子食べられなくなるよ~」「そんなことされたら悲しいな」ということを伝えて、大きくなると、子どもの不作為によりどんな不利益が子どもに降りかかるか因果関係を説明します。
叩く以外の、子どもにとっての負のインセンティブや正のインセンティブの選択肢をババババーっと頭の中で並べて、その状況で適切だと思えるものを選択して子どもに提供します。後は本人の判断。彼らが不利益を選択しても親は極力リカバーしない方針にしています。(思いっきり絶望しているときはさすがに何かしてあげるけど)
現実世界では、その時々にこれからの自分の選択で、どのような利益、不利益を被るかは誰も示してくれません。そもそも今が選択の時かも分からない。自分で情報を取捨選択して、その上で選択したことで起きたことは本人が責任を負うことになります。
例えば、
- 携帯電話代が高いけどどうしたらいいか
- どこに住居を構えればいいか
- 今日は何を食べればいいか
- 体調不良だがどうしたらいいか
- 何かモヤモヤする
こういった数多くの問題を日々自分で見つけて、自分で考えて、処理していくことになりますよね。携帯電話は誰かが買い与えてくれるわけではないし、住むところは実家でないし、ご飯は決まった時間に出てこないし、身体や心の心配をしてくれる人がいたらありがたいぐらい。
さすがに情報と知恵が限られた子どもに、選択のタイミングがいつであるか、選択肢別のpros & cons(メリット、デメリット)はそうは思い浮かばないので、本人がある程度習得するまでは教え続けるつもりです。親は子どもが社会で一人で生きられるようにするガイド役ですから、親から離れて生きていけるぐらいのガイド機能は提供するものだと考えています。
子離れプロセスの明確化
子離れが大変という話は聞きますが、たぶん、漫然とガイド機能を提供し続けていると、
- 子どもには不要なガイド機能を提供しており、子どもが独り立ちできない
- 親本人がガイド機能の提供で得られる喜びに安住し、ガイド機能以外に自分の人生の喜びを見出さない
ということになるからだと考えています。こうなると子どもは親離れできなくなり、親も子離れできなくなる。お互いに依存しあう。
従って、上手く子離れ、親離れをするには、
- 衣食住等どの分野でどれくらい親が今子どもにガイド機能を提供しているかを整理し、親離れが完了するべきタイミングまでにガイド機能を徐々に減らしていくこと
- 親としてのガイド機能が徐々に減っていく中で、自分自身でガイド機能以外の日々の喜びを見つけていくこと
ができると、子離れのソフトランディングが上手くできるのではないかと考えています。
締め
言うは易し、行うは難し。考え方は整理できたので後は実行するのみです。
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今日の話は、先日発売した電子書籍のQ17、Q18、Q26、Q30に関連しますね。復習、復習!
※書いた本人も読み直して考えを整理しています。面白い。