斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

小さな幸運でも連続すると、大きな幸せを感じることができる

年末年始家の中で過ごしていて、さすがによろしくないと思い、祝日の月曜日に一気に用事を片付けるべく外出しました。

まずは、美容室。朝一番だから予約をしなくてもいけるかなと、ふらっと入ってみたら、案の定混んでおらず、さくっと長くなった髪を切ってもらえました。

朝から調子がいいと思い、続いて、近所の衣料品店に寄りました。冬物の掘り出し物でもないかと軽く覗いてみたら、定価の7割引きでジョガーパンツが販売されているのを発見。股下、丈は合っているようだったので、即買いしました。

次に、ホームセンター。部屋の模様替えをしようと思っていたところ、いい感じの壁紙が売っているのを発見。ついでにカーテンレールとカーテンも購入し、年始めの部屋の改造の目途が一気に立ちました。

最後は、食品スーパー。年末年始の売れ残りなのか、普段見かけない食材がお手頃価格で並んでいたので、冷凍する前提で1万円分を購入。何を作ってやろうかとワクワクしながら帰宅しました。 

自宅でコーヒーを入れて、小休止していたところ、幸せな気持ちで心が満たされているのを感じました。

「何かあったっけ?」と言語化を試みたところ、それぞれは大きな出来事ではないけれど、髪をスムーズに切れたこと、いい感じの買い物が続けてできたことで、自分の人生が上手く回っていると脳みそが解釈していることが原因だと分かりました。

因果関係が逆で、出来事をポジティブに捉える脳みそがあったからこそ、一見するとどうでもいいことを幸運だと感じたということもあるかなと考えてみましたが、別段、めっちゃ脳みその調子が良いわけではなかったので(年末年始、風邪を引いてダウンしてた)、当初の仮説が正しいんじゃないかと思います。

この理屈を発展させると、ちょっとした幸運を意図的にセットしておくと、お手軽に大きな幸せを感じられるという仕組み化も可能な気がします。

何かと大変な時に、一気に事態を改善するのは難しく、苦しい時間が続くようであれば、小さな幸運を発見するよう心掛けてみるのはいかがでしょうか。

今日はこんなところです。ではでは。

coffee※コーヒーも効いたかもしれない