簡単です。子どもがやらかしたことを正直に説明したときに「何でそんなことやったの!?」と怒ることを繰り返すだけです。繰り返し怒られ続けた子どもは失敗を隠そうとします。のび太のお母さんが0点の答案を出すと怒るから、のび太がテストを隠すようになるという、あれです。
もちろん、親だけが子どもの性質をすべて決められるわけではありませんが、18歳ぐらいまでずっと怒り続ければ、子どもはしっかりと失敗したことを周囲に伝えることに抵抗を覚えてくれるようになります。
以上、本題でした。以下、余談です。お好きな人だけどうぞ。
※面白いよ!
失敗は致命的なものであれば問題ですが、えてして失敗したことを攻めてもあまり有益ではありません。それよりかは、失敗しそうなことをできるだけ早めに言わせて失敗の前に対処をすることや、失敗内容を聞き出して原因の分析をし次の失敗の発生を抑えることのほうが重要です。失敗を振り返られるのは個人の成長としても有益だし、組織であればなおさらです。
失敗を周囲の人間、例えば家族や仕事関係者に対して言えないのは、本人の心理的安全性が確保されていないという周囲の人間(と自分)の問題ですが、仮に周囲に問題がないとしても自分の中で失敗の告白をするのが怖いという人はいます。
私も今となっては失敗や失敗しそうな状況を周りに対して可能な限りフィードバックするように心がけていますが、以前には失敗によって自分が低く評価されるのではないかと恐れていた時期がありました。
結局、心理的安全性が確保されているのであれば、失敗を告白しないことは告白することよりも周囲と自分を不幸にするものだということが分かり、積極的に開陳するようになりました。
周りが自分の失敗に寛容であり、また手助けをしてくれる可能性があったとしても、本人が長いこと失敗を恐れる"教育"を受け続けていると、なかなか他人に失敗は言えないものです。
親としては、子どもがやらかしたことを見聞きすると、大人のやらかしとはあまりに程度が低すぎるし、しかも何度も何度もやらかすから、「どうしてこんな失敗をするのか!?」とイライラが限界突破し、ついつい怒ってしまいがちです。で、何度も怒られた子どもはやらかしを言うと怒られるから、失敗を隠すようになる。
子どもを育てるにせよ、部下を育てるにせよ、子どもや部下が失敗を自ら報告してくれるというのは、本人の成長や環境の整備を考えれば非常に意味があるわけです。怒ってしまっては、問題が放置されることにもなるし、本人の成長の芽を潰すことになりがちです。
失敗を聞いたらチャンスと考える心の持ちようであり続けたいなと、一人の親・上司として日々意識している次第です。これを書いたのも備忘のため。
ではでは!