斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

デートでダンケルクを観る是非について

現在公開中の、クリストファー・ノーラン監督の映画『ダンケルク』を観てきた後での夫婦の会話です。

Dunkirk: Original Motion Picture Soundtrack

 

私「どうだった?」

パ「え、面白かったよ」

私「何の前知識もなく連れてきちゃったから」

パ「でも、事前に『幼女戦記』の話とかしてくれてたじゃん。あれで期待値が下がったから、思ったより良かった(笑)」

私「まさかここまでずっと戦闘シーンばかりだとは思ってなかったから、大丈夫かなって、チラチラ反応見てたけど、頬に手をずっと当ててたよね」

パ「……戦争、怖い」

私「戦争怖いね」

パ「戦争、行きたくないね」

私「今時は日本もきな臭い状況だから、余計に怖かった」

(その後、いくつかよく分からなかったシーンの解釈を答え合わせしてから)

パ「画面に女性が出たのが3秒ぐらいしかなかった(笑)」

私「あー、ナース?」

パ「そう、ナースだけ。実際そうだったんだろうけど、あれだけ徹底してると、凄いなって」

私「考えてみると凄い。映画館ガラガラで、私たち含めて30代以上の既婚と思われる夫婦が数組いるぐらいだったけど、若いカップルがデートで観に来る映画ではないのかな」

パ「付き合っている相手から『ダンケルク、観に行こう』ってほんと何も説明なく連れて行かれたら、『え、この人、何考えてるの?』とは思われそう」

私「ずっと戦争している映画だから?」

パ「そう」

私「『タラレバ娘』で、倫子が『ダークナイトは男は大好きだが、女は全然面白くない映画No.1』って言ってたけど、同じクリストファー・ノーラン監督作品で、こっちのほうがもっとハードな映画で、女性がナース3秒しか出てないけど、『ダークナイト』にしても『ダンケルク』にしても、別に女が楽しめない映画ではないとは思う」

パ「いや、デートで観に行く映画かどうかって話で」

私「あー、はいはい。何の説明もなしに、(映画館で宣伝されてた)『妖怪ウォッチ』の映画に連れて行かれるのと同じね?」

パ「それはキツい(笑)」

私「二人とも好きなジャンルで前から観たいとかだったら違うけど、どちらかが一方的に連れて行くもんじゃないと?」

パ「そう。特に、どちらかが解説し始めるともっとキツい。例えば、『ダンケルク』観ながら、『このシーンのあれはこんな風に撮ってて』『あれは実際とは違う』とか解説され始めたら、相当苦痛じゃない?」

私「それは苦痛」

パ「『ダンケルク』は映画単体では楽しめるけど、付き合っている相手が求めていない解説を横でやり始めたら、相当苦痛な映画になる」

私「『妖怪ウォッチ』で、『この妖怪の声優は誰々で』『このシーンの演出しているのは誰々で』と解説されても苦痛だろうから、やっぱり相手が求めているかどうかだな」

パ「求めていない解説をし始めるような相手だと、『この人と付き合ってていいのかな』と思う」

私「なるね」

パ「多人数で映画を観る楽しみに、分からなかったところの答え合わせはあるからなー。誰かが一方的に解説してくるのは、対等な関係がある感じがしないし、聞き手が自分である必要も感じない」

私「押し付けじゃなくて、共有が大事ってことだね」

パ「そうだねー」

 

以上です。

 

 

もともと『ダンケルク』を観に行こうと言い出したのは私です。Sesson-22でイギリス現代史やドイツ軍事史の専門家が絶賛していたので観に行きたくなった。

【音声配信】映画『ダンケルク』でも注目!史上最大の撤退作戦「ダンケルクの戦い」とは?木畑洋一×大木毅×荻上チキ2017年9月14日(TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」22時~)

クリストファー・ノーラン監督作品は『メメント』『ダークナイト』『インセプション』は夫婦一緒に観ています。ただ、今作は戦闘シーンだけにスポットを当てていて、しかも、この戦いの位置付けが分からないと厳しいところがあるとは分かっていたので、こちらも最近夫婦で見たアニメ『幼女戦記』(ライトノベル原作)と絡めて、私からパートナーに歴史的な話を説明しておきました。

結果的に、映画自体二人とも楽しめて(苦しくて)、その後の答え合わせも楽しくできて、とてもいい数時間を過ごすことができました。『デートでダンケルクを観る是非について』を話したのは会話のごく一部です。

話は変わって、最近ネットで『オタク婚活』なるものを見かけることがあります。賛否は色々あるようです。今回触れたのと通じますが、『オタク婚活』が上手くいくかどうかは、作品を共有するか、作品を自分の興味を押し付ける道具にするのかの違いだろうなと思います。