年明けの準備体操として、読者からいただいた比較的軽めなモヤモヤを紹介します。
母親による10歳ぐらいの子どもへの愚痴にモヤモヤ
私は北関東に住んでいます。一昨日、東京に買い物に出かけて夕方5時ころ特急列車で帰りました。その車内で、母親と10歳ぐらいの男の子が私の席の後ろに座りました。親子の会話が聞こうとせずとも聞こえてきました。
母親「おじいちゃんはグチグチで、おばあちゃんはネチネチなのよ。嫌になるわよね。大晦日も元旦も家の中で過ごしたいんだって。それが○○家の習慣なんだって。あなたも外に出かけたいよねぇ。お母さんがおばあちゃんにあれこれ言われても、お父さんは庇ってくれないの。ひどいよね」
母親の喋り方は友達に愚痴るような調子で、声に感情が乗っていました。子どもがそれに「うんうん」「ひどいと思う」と相槌を打っているのも聞こえました。
あくまで母親視点の伝え聞きで、実際の姑がどのような人かは分かりません。ただ、年末の帰省が嫌でたまらないこと、義両親のことを小さい子どもに愚痴らずにはいられない母親の気持ち、それを聞かされる子どもの気持ちを想像して暗い気持ちになりました。
親子が降りるときに、すぐ後ろに母親と同じ年代くらいの男性が続いたのですが「まさか父親ではないよね?」と少し怖くなりました。トピシュさんのブログやhagexブログで刺さるような嫁姑話を読んでいますが、こんな近くで闇を見たのもあって、私もいつかそうなるのではないか、と戦々恐々としています。
(Sさんからのメールを一部修正の上、掲載)
親が子どもを愚痴のはけ口に使う理由
これは自分のことではなく、他人のことですけど、親が子どもにを愚痴るシーンはそれなりによく見聞きしますよね。愚痴の内容は、仕事のこと、近隣住民のことなど色々ありますが、特に多くて、厄介なのは、親族、そのうち配偶者の愚痴です。
「お父さんは他の女と浮気している」「お母さんは信用しないようにね」とか、子どもに愚痴っぽく吹き込むのは、経験したり、見聞きしたりしたことがない人にはなかなか信じられないかもしれないですけど、結構分かりやすい理由があります。
まず大きいのは、その愚痴を言えるのが子どもぐらいしかない(と愚痴を言っている本人が信じている)から。
身内の悪口を他人に晒すというのは、身内を落とし、ひいては自分も落とすという感じありますよね? もし、他人に愚痴ったら、その人から「浮気がちだとか、ギャンブル癖があるとかって問題があるのは分かるけど、そういう人と結婚したのはあなたなんでしょ?」「そんなトラブルメーカーの人が身近にいるんだ。ちょっと付き合い方を考えよう」とか思われるのではないかと考えちゃう。惚気にも分類されてもおかしくない軽い愚痴ならまだしも、重くなればなるほど話せる相手が減ってくる(と思う)。
他の人に伝えられても困るので、(口が堅いと思われる)自分の子どもを標的にして愚痴るわけです。
子どもは簡単に味方についてくれる
あとは、子どもが簡単に同意して、仲間になってくれるというのもあります。大抵の子どもはフェアに物事を判断することはできません。というか、フェアに物事を判断できないのが子ども(精神的に未熟)といってもいいかもですけど。
情報量が多ければ多いほど、自分と直接接触している時間が長ければ長いほど、そちらを贔屓しようとしてしまって、愚痴られると気軽に「それはお父さんが酷い」「私はママの味方だから」と簡単に乗っちゃう。話す方も、自分の意見に同意してくれるほうが気持ちが良いので、子どもが自分の話に乗ってくれると、成功体験が積み重なっちゃって、更に子どもに愚痴るようになります。
大体、こういう理由があって、親は自分の配偶者の愚痴を子どもに言うようになります。
自分の親の悪口を聞かされ続けることの影響
それで、愚痴のはけ口にされ続けた子どもに何も影響がないかといえば、影響はあります。詳しくは、教育心理学とか、虐待児童に関する研究を読んでもらうとして、ざっくりいえば、子どもの自己肯定感が下がったり、親と共依存になったりしますよね。
どちらかの親から、もう一方の親を否定する言葉を聞かされるのって、表面的には下手をすると仲の良い親子に見えます。「あんなクズみたいなヤツが父親だけど、私はあなただけは大事にするから」って連帯感を持って熱く語るわけです。でも、聞かされている間、子どもは気付かずに自分のもう一人の親を否定され続けます。その親が悪いとすれば、その親の子どもである自分は一体何なのかって考えることに繋がる。アイデンティティの形成にいい影響があるわけがない。
これ、親同士が子どもの前で喧嘩するのは良くないという話にも繋がってきます。親が喧嘩しているのは、それ自体が気分のいい環境じゃないですけど、夫が妻を、妻が夫を否定しているのを目の前で見させられると、子どもはその二人から生まれた自分が否定されているように感じるわけです。
「絶対に配偶者を否定してはいけない」というわけではない
こういうことを書くと、親の立場にある人から「夫の不満を抱えちゃいけないの?」「妻を否定してはいけないのか?」という疑問が出てくるかもしれません。子どもに愚痴らなくても、親同士が喧嘩をすることや、配偶者に不満を抱えることはあることですからね。
これについては、子どもに聞かせれば悪影響があるということであって、配偶者を否定してはいけないということではないというのが、答えかなと思います。DV夫のことを悪く思うのはいいし、子どもを守りたいと思うのも変なことじゃない。でも、それを子どもに愚痴ると、これはDVの負の連鎖みたいなことになっちゃう。
解決したい、誰かに話したいというときに頼れる成人した第三者はいます。子どもに話そうとする前に、親だったり、信頼できる友人だったり、公的機関だったりを選択肢として考える。
どうしても他人に言えないなら、日記に書くのもいい。離婚する際に使えたりもします。
締め
ということで、年明け一つ目のモヤモヤの紹介でした。
モヤモヤを送っていただいた方は「闇」と表現されてますけど、自分がやっちゃっている人や、やられたことがある人というのは結構いる、とても身近な、どこにでもある話なので、「闇」というと、距離感があるかもしれない。
「ありがちなことだから気をつけよう」ぐらいで、愚痴れる相手を子ども以外に普段から用意しておくぐらいがちょうどいいんじゃないですかね。この辺の話は、昨年11月に発売した紙の本で触れました。
すでに購入いただいた方はこの記事を復習用としてご理解いただければ。関連Q&Aとしては11ですね。
以上、本題です。以下、お勧めのマンガの紹介です。
関連『娘の家出』(志村貴子)
記事のタイトルの発言は、志村貴子さんの『娘の家出』2巻66ページでのキャラの発言を少し修正したものです。"それが"の意味するところを"父親がクズなのが"と補足しました。
母親から離婚した元夫の愚痴を子どもにぶつけることが酷いことではないかと、小学三年生の子どもが母親に強い口調で伝えるシーン。『娘の家出』では、2巻だけではなく、1巻でも、父親が自分の娘の元夫について孫娘の前で悪く言い、娘が父親に「子どもの前で元夫(娘の父親)を悪く言うのはやめて」と伝えるシーンがあります。
『娘の家出』は、親が離婚しているのは当たり前で、一般的には複雑な家庭の子どもとその親、そしてその周辺の人々の人物模様をガンガン掘り下げていく、とても心温まるマンガです。
このブログの読者なら確実に楽しめると思うのでぜひ読んでいただきたいのですが、さすが志村貴子さんと唸るところがいくつもあります。誰かを一方的に悪者に仕立て上げるのではなく、どうしてそういう発言に至ったか、一人一人がどんな事情を抱えているかを丁寧に描き出してくれているのがとても素晴らしい。
例えば、とても主役には見えない、冴えないモブ顔の女子高生や太った主婦が主役の回があります。私に見えているものはここまでだけれど、その子に見えているのはまた違う景色というのが、これでもかと毎回繰り広げられます。上のコマについてもその後母親へのフォローはあります。
離婚が当たり前と書いたのでハードルが一気に上がって「自分には関係ないかな」と思われたかもしれません。ただ、登場人物は特別な人だという描かれ方はしていないんですよね。「ああ、そういうことでこんな風になったんだ」と理解できる描かれ方。だから、読んでいると、この人物たちが今の自分の延長線上にいるというような気持ちになってきます。「自分から離れたところにいる他人ではないんだな」って。
そんなわけで、家庭内トラブルものが大好きな人はもちろん、家庭内トラブルの予行演習をしたい人にも大変お勧めできるマンガです。
※絵がとても可愛いくて、笑いがあるので、読後感は重たくない。