斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

東京から塾持ちで灘中受験ツアー。早稲アカのほっこりエピソードが印象に残る『勇者たちの中学受験』

私が定期購読している中学受験親ブログで、おおたとしまささんの『勇者たちの中学受験』が話題になっていたので読んでみました。

同時期に東京で中学受験をした3人の子どもの親に対して、おおたとしまささんがインタビューした内容を小説仕立てにしたものです。どのエピソードも1月から始まり、東京の中学受験が終わる2月までのもの。塾名、学校名はすべて実名です。

3人の子どもは、1章の子がSAPIX、2章が早稲田アカデミー(以下、早稲アカ)、3章が個人塾(うのき教育学院)に通っていました。親も塾も過度なプレッシャーをかけていない、個人塾の子どもの受験がもっともポジティブに描かれています。

個人目線の小説形式ですから決して情報量は多くはありません。ただ、親のメンタリティがかなり赤裸々なのと、受験日中心にどう併願受験するかの選択が生々しいので、中学受験の闇がどうして起きるのかを知りたい人にはお勧めです。我が家では子どもが楽しそうに読んでいました。

※11月発売だけど大和書房の本で今年一番売れた本になりそう

それはそれとして、この本を読んだら、たぶん多くの人が同様の印象を受けると思います。それは、「早稲アカ、ヤバくない・・・?」というもの。

実際、Twitterで本の感想tweetには、2章が衝撃的というものが数多く、早稲アカのイメージがダダ下がりと心配されているぐらいです。

私も相当ほっこりしました。具体的に引用して紹介していきます。まずは灘ツアーから。

さて、ハヤト。「三冠」のための初戦。関西遠征だ。

新幹線代もホテル代も早稲アカもち。一部の成績優秀者だけが招待される受験ツアーである。首都圏在住者がなぜ灘を受けるのか。灘に受かったら関西に移住する覚悟を決めている家族もかなにはあるが、ほとんどの場合、目的は「合格」だ。受験生家族にとっては灘合格がトロフィー代わりになる。塾にとっては灘の合格実績は最高の宣伝素材になる。(p.83-84)

塾が費用を持ち合格実績を稼ぐ目的で行われる、関東の子どもによる灘ツアーです。関西の馬淵教室と関東の早稲アカは提携してるんですけど、お互いの塾の子どもを関東からは灘に、開成に遠征して受けさせて、合格実績を稼いでいるとのこと。馬淵教室の講師が灘ツアーでは教えているので、馬淵教室の灘合格実績には早稲アカで灘ツアーした子どもの合格が含まれる形。

存在は知っていましたが、非常に合理的な仕組みだと感心しました。親は灘ツアーによって塾代を免除してもらえて、塾は合格実績を稼げて、学校は受験料を得られます。win-win-winです。損をする人がいるとすれば、入学もしない学校をわざわざ受験させられる小学生の子ども自身と、ツアーの費用を実質的に負担しているツアーに参加しないその他大勢の親子ぐらいのものです。

続いて、併願校選びです。ここも早稲アカがあまりに合理的で感心しました。

早稲アカには大きな恩義も感じていたが、一方で、不信感を覚えることも少なくなかった。たとえば三冠を前提にした併願校選び。

一月は、栄東はいいから渋幕(渋谷教育学園幕張)を受けろと猛烈プッシュされた。合格実績を稼ぎたかったのだろう。行く気はないのに早稲アカへの恩返しとして渋幕を受けるご家庭も周りには多かった。

二月一日は開成、三日は筑駒。そこは不動。二日は聖光学院を受けたいと伝えたが、栄光にしろと指示された。ハヤトが行きたいのは聖光だ。でも、聖光は四日にも入試があって、ハヤトの成績ならば間違いなくそこで合格できるから、ハヤトには栄光を受けてくれというのだ。

それも合格実績稼ぎにほかならない。受験生の立場に立ったアドバイスとは到底言えない。言われた通りを鵜呑みにしてたらハヤトの中学受験じゃなくなると、警戒心を強めた。(p.118-119)

塾としては実際にどこの学校に進学したかではなく、どこの学校に合格実績があるかが集客力を高めるためにもっとも重要です。『合格実績:灘1名、開成1名、栄光1名、筑駒1名、聖光1名』が実はたった一人の子どもによる合格実績だったとしてもまったく嘘はついていません。

だから、子どもが入りたい学校ではなく、合格実績を稼ぐために複数の学校を受けさせるインセンティブが塾側には働くわけです。それを早稲アカがやっているというエピソード。ほっこりしますね!

そうして、実際に受験させた後、親は合否判定後にすぐに塾に連絡することを求められます。その時のエピソードがこちら。

つらかったのは早稲アカのほうだ。

「先生、すみません。開成、だめでした」

「えっ・・・・・・・・・」

そのまましばらく絶句。

絶句していたいのはこちらなのに、それでも勇気を振り絞って電話をしたのに、そりゃないだろ。さっき聖光の合格を伝えたときには淡々としていたんだから、今回も淡々としてくれよ。プロだろ。(p.131)

塾としては合否結果を知ることで併願校をどう受験するかのアドバイスをする必要がある一面と、加えて、2月は中学受験塾の入会タイミングですから、合格実績を早く収集して宣伝したいんですよね。

というわけで、親が勇気を振り絞って不合格を伝えたときに、この早稲アカの講師みたいに「自分の勤める校舎の宣伝材料が減ってしまった……!」と絶句するのもまったくおかしなことではありません。

最後に紹介するのはこちら。

「一月三一日の授業のあと、あのひとに徹底的に罵倒された……」

「えっ!?」

「お前はエースになれなかった、だからお前はだめなんだって、何度も何度も言われた。灘に落ちたことよりも、パパがひきこもっちゃったことよりも、あれがいちばんきつかったよ。気持ちが切り替えられなくて、あの日は眠れなかった。そのままの精神状態で二月一日を迎えなければならなかった。あの先生だけは、もう顔も見たくない」(p149-150)

灘ツアーで合格しなかったことが許せず、塾の講師が子どもを罵倒したというものです。

全員が全員こういう講師ばかりではないでしょうが、難関中学に合格させたというのは、一部の部活の顧問と同様にトロフィー的な面もありますから、子どもを罵倒する講師が存在してもおかしくはありません。

以上、ざっとほっこりエピソードを紹介してみました。早稲アカだけがこういうことをしているわけでもないでしょうし、早稲アカでも(灘ツアーを除けば)一部の現象なんでしょうけどね。

補足しておくと、早稲アカは、東証プライム上場企業です。首都圏で150ぐらいの塾を展開していて、もともとは高校受験(中学生向け)が中心だったのが、近年中学受験(小学生向け)に力を入れていて、"合格実績"を伸ばしています。中期経営計画には「難関校の合格実績をNo.1へと近づけます」と、SAPIXに"合格実績"を近付けることをKPITにしています。

※早稲アカの2022年5月中期経営計画から。圧倒的な合格実績……!

合格実績を先行指標として塾生数が伸び、売上が伸びていくというビジネスモデルからすると、合格実績数を重要視するのは塾というビジネスからするとまったくおかしなことではありません。

しかし、勘のいい人は気付くと思いますが、こういう数字をKPITにしているということは、その数字の達成は各校舎の校長・講師のノルマとして下りてきている可能性があります。子どもにあった学校を受けさせるより、広告宣伝に使える有名校への合格を優先させようとするプレッシャーが講師に働くことになる。

おおたとしまささんは『勇者たちの中学受験』で必ずしも早稲アカのみを悪者にする意図はないと書いています。今の一部地域の中学受験の熱狂を問題視している。

ただ、今年5月に紹介した学究社(ena)も上場企業として成長の必要があるように、

東京私立中学御三家のSAPIXシェア5割、東京公立中高一貫校のenaシェア55% - 斗比主閲子の姑日記

上場企業である早稲アカとしては、塾業態での最重要KPITである合格実績を増やすというのは至上命題です。『勇者たちの中学受験』のようなエピソードが今後も生まれる素地は大いにあります。

ここまで書くと、早稲アカが利益至上主義に寄っているのがほっこりエピソードに繋がったと思われるかもですが、実を言うと早稲アカがここまで業績を急拡大したのは2016年頃からです。それまでは売上200億弱だったのを以降急激に業績を伸ばしている。ちなみに、早稲アカの現経営陣TOP3は、早稲アカに20代で入社し、早稲田校、中野富士見校、中村橋校の校長経験者です。塾業界に30年程度いる超ベテラン。

私の推測では現経営陣としてもここまでの成長は予測していなかったと思います。受験業界のメインターゲットはそれまでは大学受験生、高校受験生でしたから。さらには、普通の発想として、少子化しているのに中学受験生向けの商売にリソースは割かないですよね。

結局のところ、早稲アカの成長というのは、「中学受験をさせないと怖い」「合格実績が良い塾に通わせたい」という首都圏の親による、ある種の熱狂が背景にあると私は見ています。

『勇者たちの中学受験』を読むと早稲アカに悪い印象を抱くのと同様に、熱狂の渦中にいて、おかしくなってしまった親(二月の勝者でいうところの島津家)の印象も強く残ると思います。インターエデュを読んでいたら「いるいる」って、気にならないでしょうけどね(笑)

早稲アカに子どもを通わせていた家庭は、中学受験をきっかけに機能不全家族になっています。その原因は早稲アカにあるというより、学歴コンプレックスのある父親と、その父親を小馬鹿にしつつも周囲のママ友にマウンティングするために「三冠」をしてほしい母親にあるように、私には読めました。要するに親も塾と共犯ということ。

塾講師がいくら受験で経験豊富だといっても、基本は受験業界にしか属したことがないサラリーマンか契約社員、またはバイトです。塾講師に子どものメンタル対応まで期待したり、受験以外のアドバイスを期待する親の方がおかしい。私が紹介した引用箇所だけでも、母親が過度に塾に期待しているのはうかがえるはずです。

というわけで、『勇者たちの中学受験』は、中学受験の闇を知りたいという人だけでなく、中学受験でやらかしそうな親にもお勧めです。やらかしそうな親とは、学歴コンプレックスを持っていたり、親自身が人生で上手くいっていないのを子どもに実現させようとしていたりする親ですね。

塾業界が怖い怖いと言いつつ、本当に怖いのは子どもを通して自己実現をしようとする親が怖かったと。

おあとがよろしいようで。

※Kindle版もあるよ!