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斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

インターネットにおける有名税の存在

読み物

個人の日記です。

 

2012年6月にこのアカウント(ハンドルネーム)を使い始めました。そろそろ3年になります。いい区切りですね。

 

この間非常に限定的な層に楽しんでいただければと思って活動してきましたが、なぜだか時々記事がバズり、多数の罵詈雑言(殺害予告含む)や賞賛(告白含む)を頂いてきました。その人達の時間を浪費させて申し訳ないなと思いながら、ありがたく拝見しています。

 

この3年弱のネットの活動では、自分の実生活にはプラスもマイナスもほとんど何の影響もありませんでした。インターネット経由でのこれまでの収入はうちの子供の小遣いぐらいですし、オフラインでの交友関係に発展させたこともありません。仕事や子育ての合間の隙間時間の使い方が多少変わったぐらいです。

 

アカウントとリアルな自分は切り離されていますので、インターネット上のキャラクターがどのような扱いをされようと、自分の中での自分の扱いは当たり前ですけど変わりません。どこにでもいる、旧帝大卒で、世帯年収が2千万円で、2.5世帯住宅に住む、性格の悪い人間です。だから、このアカウントへの思い入れのあるコメントを拝見すると、「へー、そんな風に思う人がいるんだ?」と不思議な気持ちになります。

 

インターネット上の活動を通して色々発見がありました。

 

その中でもこれは面白いと思ったのは、有名税の存在です。有名税とは、有名人であることで便益を被っているのだから、多少プライバシーが漁られたり、罵詈雑言を受けてもそれは仕方がない(そういうものは税金を取られるようなもので当たり前と受け止めろ)という考えです。

 

自分なんかは大して有名でも何でもないのですが、有名税が存在していることは、このアカウントを通してたまたま知り合いになったコンテンツ供給者(作家さんや、漫画家さんや、フリーライターさんと考えてください)とメールをしている時に何度か話に出て知りました。

 

例えば、著作についてお金を払ったわけでもない、せいぜい図書館で借りて読んだ程度の消費者にブログで罵詈雑言を書かれる。こういうの、結構コンテンツ供給者に届いています。下手をすると直接Twitterのリプライで「こんなつまらないものよく表に出しましたね」と言う人もいますよね。コンテンツを供給している人間に対してなら何を言ってもいいみたいなもの。

 

このブログでもあります。勝手に期待して、勝手に軽蔑する人。他人に自分の人生を預ける人。自分の人生の責任を放り出す人。

 

これまでは、コンテンツ供給者が有名税に苦しむかどうかはほとんど気にしていませんでした。低廉(または無償)で消費したコンテンツでも自分の時間を費やしたものであり、不快な感情はお金を払うか払わないかに関わらず発生するものです。それをどうにか消化したい気持ちから、極端に悪意のある感想をネット上に公開するのは、(自分がやるかどうかは別として)特に変な行為だとは思っていませんでした。

 

それなりにコンテンツ供給者の意見を聞くことができた今になったからといって、他の人がそういう行為をすることを否定するつもりはありません。ただ、知ってしまってからは、自分から積極的にコンテンツに対する悪感情は発信しないようになりました。嫌いなコンテンツを貶すぐらいなら好きなコンテンツを褒めたほうがよほどコンテンツ供給者さんにいい循環を作って頂けるんじゃないかという発想です。叩かれて喜ぶ人もいるでしょうけど、そんなに多くないですよね。 

こういうのを影響と言うなら、インターネットの活動を通して自分の物事に対する振る舞いが変わったというのはあります。人でも何でも褒めることが増えました。水は褒めませんけど。否定するにしても昔やっていたような存在意義から見直させるようなことを言わないようにしています。相手に伝える最適なタイミングも意識するようになったり。

 

他に気付いたことだと、インターネット上だと誰もがコンテンツになる(コンテンツ供給者とコンテンツ消費者の壁が薄い)ということですね。

 

分かりやすいのは、Twitter。Tweetしている本人は自分が思ったことをそのまま垂れ流しているだけだったりするわけですが、それが時にはRTで拡散され、多くの人の目に触れるというのはよくあることです。普通の高校生の発言が、政治家やお笑い芸人のものより拡散されることがある。

 

はてなブックマークみたいなのも分かりやすくて、ある時には他人を否定するコメントを書いていた人が、自分がブログを書いてブックマークコメントで叩かれると物凄く落ち込んでいて。それでも、しばらくすれば喉元過ぎれば熱さを忘れて、またその人も他人を叩きはじめるんですよね。そういう人は去年一年間で50人ぐらい見かけました。他人の気持ちなど自分の不快からすればどうでもいいものというのが見えるのは、人間の業というか、面白いものです。

 

後は何ですかね、世の中には思った以上に色んな人がいるということでしょうか。当たり前のことだけど、なかなかリアリティを持って理解できていませんでした。

 

このブログは残念ながら大した炎上にも出会っていませんが、そういう機会は少なくとも、読者やTwitterのフォロワーさんのコメントを見て、「こんな考えの人がいるのか!」と驚くことは多々あります。

 

今までメール頂いた中でも、
DV被害者、婚活中、妊活中、無職、大学生、博士中退、弁理士、CEO、研究者、新興宗教関係者
などなど、幅広い層の方がいらっしゃいます。

 

たぶん、これまでで合計で30人以上の人と、一人平均4往復ぐらい、それなりに濃い内容のメールのやり取りをしています。そうすると、ある程度その人達のキャラクターは頭の中に残っていくんですね。

 

結果として、メールを頂けば頂くほど、ブログで表現できる範囲が狭まっている(狭めている)のが自分でも分かります。

 

例えば、ブログやTwitterに何か書こうとすると、
「こういうことを書いたら、あのメールを送ってくれたあの人が傷つくかもしれない」「これは、あの人に説教する内容になってしまうかもしれない」
こういうことが自然と頭に思い浮かんでくるんですよね。

 

何か制限がある中で文章を書くのはゲーム感覚で面白いものの、踏み抜いた時には誰かを傷付けるとなると、なかなか勇気のいる綱渡りだったりします。漠然と思い浮かべる読み手像と、実際にメールをやりとりした人だと思い入れが違うんでしょうね。

 

 

 

ということで、今回は個人の日記らしく徒然なるままに書いてみました。なかなか伝わりにくいことかもしれませんが、この、自分にとって少し不思議な感覚を共有頂ける方がごく僅かでもいらっしゃったら嬉しいです。 

 

空飛ぶ馬 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)

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※人が死なないミステリーもいいですよね。北村薫さんは好きです。