斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

結婚や育児のコスパとかリストとリターンとかインセンティブとか

たまたま育児のコスパが悪いとか、そもそもコスパという言葉を使うのが悪いとか、そういう言説を見かけまして、思ったことを簡単に書きます。

個人的にはそもそもこういう議論がなされるのが面白いなと思いました。何しろ、一昔前の産めよ増やせよみたいな時代であれば、こんな問題提議を個人がしても一笑に付されるだけだったはずで。

結婚や育児のコスパや投資回収みたいな話は、確かにFacebookあたりではしにくいけれど、例えば気の置けない友人たちに会った時に出てきても今はそんなに違和感がない。ネットで発言してもこういう発想を尊重しようとする声が一定でもある。

社会の維持として結婚や育児が必要であるならば、社会全体として結婚や育児をするインセンティブを付与すればいい。個人の生き方、選択について、誰かが強制するのは、それが政府に限らず、個人でも好ましいものとは思いません。そんな情緒的で、感情的な仕組みというのは持続可能性がないから。

自分は人生あんまりやりたいことがなくて暇潰しで結婚、育児を選択しましたけど、誰もが暇潰しとしてこれらを楽しめるとは考えていません。離婚している人もいるし、DV・虐待に遭う人もいる。長い目でみたとき加害者が実は被害者であることもあり、被害者が加害者になることもある。

他人から見たときには愚かな選択に見えても、他人がいつも全て正しいかというとそうでもない。他人はその人の人生の決断について責任を負うことはない。

自分自身の選択の正しさを確認するために他人を非難するのも別におかしなことではない。ただ、普段の鬱憤を晴らす方法としてはあまり効果的ではない。

社会から要請されていると信じていることと、身近な他人が強要することと、自分がやりたいことを上手く分けるのは難しいけれど、できることなら、自分がやりたいことが許容される社会のほうが生きやすいと自分は思いますけどね。