斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

「私が一方的な被害者なのに、友達に相談すると"みんな""加害者と直接話せ"というのはなぜ?」

今日は、数年前に「高校の同級生から不愉快な思いをさせられた」というモヤモヤを送られてきた方から、

御相談した件に関しては、だいぶ立ち直ってきてはいるんですが、気になっていることがあって、それは友達に相談すると「相手と話した方がいい」と言われることです。……何故、相談する相手は「みんな」「話せ」と言うのでしょうか。

もしかして相談相手は私の話(補足:私が被害者であり、加害者は反省の気配なしであること)を聞いていないのでしょうか、それとも、(補足:相談相手は)そんなに(補足:加害者が)悪いことをしたと思っていないんでしょうか。

というご質問があったので、こちらをさっくり書いてみます。

f:id:topisyu:20170908002344p:plain

一人小町用のアイキャッチ画像暫定版(心優しい方、描いてください!)

相談を聞くのはシンドいもの

もし、自分が相談している"みんな"が"加害者と直接話せ"と言うのなら、聞いている人は、相談を聞くのに辛くなって、自分では手に負えないと考えている可能性が高いと思います。

一般論として相談事を聞くのは凄く疲れることなんですよね。慣れてない人や相手に思い入れしちゃう人の場合は、まるで自分が同じ悩みを体験しているかのように感じて、しんどいもので。一定の距離感を保って、淡々と話を聞けばいいんだけど、なかなかこれが難しい。特に、同じ話を何度も聞いていると「いい加減、いつになったら解決するの? いつまで聞けばいいの??」と思ってきちゃうことがあります。

相談自体をしっかり聞いていて、相談してきた人に非がないことは分かっていたとしても(逆に分かっているからこそ)、自分がこれ以上話を聞いていても問題は解決しないと考えて、加害者と直接話すことを推奨するという感じかなと思いました。

以上、本題です。以下、余談です。お好きな人だけどうぞ。

 

余談① 相談するときは予め傾聴をお願いする

私はブログで、悩みがあるなら友達や家族(パートナーか親)に話すことをお勧めしてます。ただ、お勧めしておいて何ですけど、他人のモヤモヤを"余計なお世話なアドバイス"をしないで"淡々と"聞き続けられる人は実はそんなに多くないというのが実感です。

他人に相談する場合は、「申し訳ないけど、これからする話を淡々と聞いてくれる? 聞いてくれるだけでありがたいんだ。もし聞くのが辛くなったら言ってね」と、傾聴して欲しいこと、聞くのを止めてもいいことを事前に伝えるのもお勧めしています。

『バーで「なんで離婚されたのかわからない」と愚痴る男性に対して"燃えるゴミの日"を質問することで離婚理由が分かる話』を読んで思ったこと - 斗比主閲子の姑日記

友達でも、家族でも、いくら関係が深くても、個人個人のキャパの限界はありますからね。聞いてもらえるのは、それだけでとてもありがたいことです。

余談② 加害者と話すことの意味

ちなみに、"加害者と話す"ことが解決策として不適切かといえば、必ずしもそうではありません。

例えば、心療内科・精神科の先生は、親との過去の関係に苦しんだ人に対して、親と話すことを推奨することがあります。話してみると、思ったよりも悪くなくて、自分の心の中のインナーペアレントを退治するきっかけになるようで。同じ理屈で、親子の関係でなくても、被害者の心の中の加害者像があまりにも強大なものになっているときは、実態がそんなに悪人かどうか確認するのはまったく無意味ではないんじゃないかなとは思います。こういうのは、できるなら専門家に相談した上で対応したほうがいいでしょうけどね。(自分が考える)加害者への接し方を誤って、余計に問題がややこしくなることもあるでしょうから。 

物理的なこともあって加害者と直接話せない場合なんかは、(相手に届けるかは別として)手紙に自分の思いを書くというのも、自分のダメージを癒すために推奨されていたりします。

余談③ "いつも""みんな""絶対"は心のアラート

後は、時々ブログで書いているとおり、"いつも""みんな""絶対"みたいな、1か0かみたいな言葉がポンポン出てくるときは、私の場合は大抵心が弱っているときです。

基本的に物事はあいまいで、グラデーションがあるものです。それが白か黒かにしか見えないのだとしたら、自分の認知に歪みがあるんじゃないかと疑います。「いつもあなたって言ったことやらないよね!」なんて言ったことがある人はいると思いますけど、冷静に考えれば、言ったことをまったくやってないなんてことはなくて。少しはやっているもの。

過激な言葉を使いがちだったり、他人の細かな言動が不快に感じやすいなら、自分が弱っていると考えて、私は自分のことを最大限甘やかして、大事にするようにします。直接的な解決策には見えないようで、これが効くんですよね。

以上、余談でした。