こういうことを言っているのを見かけると、その主張が正しいか疑ってかかるという例を紹介してみます。
○○という本について 読む価値ないと思ってたが、見せてもらう機会があって流し読みしたところ、ウソばかりかいてある。
ウソばかり書いてあるというものの、何がどうウソかは説明がない。
○○の本の巧妙さは科学の仮面を被っていて、一般人がウソを見抜くのが困難。この本には多数の愚民が騙されるだろう。
騙される人を愚民とし、理解できる人こそ選ばれた人間とする。何がウソかの説明はやっぱりしない。
著者自体が業界から派遣された工作員。
自分が気に食わない人物は工作員認定。
○○を読んだがつまらなすぎて失笑もでない。あれに騙される人は軽蔑してしまう。
何がどうつまらないかを語らず、内容を信じた読み手を否定。
○○について、本質を見抜いて叩いている人もいる。○○は占いではすごく気持ち悪い「気」を持っている。
叩く人を本質を見抜ける人と定義。議論の土壌を「気」など、別のところにすり替える。
○○と仲の良い工作員のページを見に行ったら人となりが伺えた。
内容に文句があれば人格も否定。(言説と人格を切り離せられない)
両面性から考えるつもりで○○の本を買った。否定のしかたは一部は受け入れられたが、残りは強引な否定だった。
具体的な指摘はしないで印象論で語る。
何故真実を語ろうとしているのに本名で出てこないのか疑問。
本名で書かなければその文章を信じない。
まとめると、
- 何か間違っているとしてもどう間違っているのか説明がない(「間違っている」「おかしい」と繰り返すだけ)
- その間違っているとした言説を信じている人間は愚かであるとする(敵と味方を分ける)
- 発言自体ではなく、発言をした人物の人格を否定する
というスタンスの主張を見かけると、胡散臭いなと思います。
間違っているのは、何か一つだけ説明するだけでも説得力は格段に増すんですけどね。それをしないのは、できないか、相手に理解させる気がないのだと考えます。敵か味方か白黒分けようとするのは、うちに籠って、他の人の意見を聞かないと言っているようなものです。人格否定も同じ。有意義な議論ができる土台がないと考えます。
参考
はてなブックマーク - 内海 聡 - 最近流行りなのがNATROMってのが監修した本らしいねw。読む価値ないと思ってたが、昨日見せてもらう機会... | Facebook

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