斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

腹が立った時に言わないと既成事実とする人がいる

また、井戸端会議から。

義母の言葉を忘れたくても忘れることが出来ない… | 井戸端会議/お嫁さんな日々

2013/10/29

さくらママさんのご相談

 

結婚21年、転勤族です(結婚して6年間は同居の経験あり) 主人、息子(大学生で別居)、娘(高校生)、息子(中学生)の3人の子供がいます。

 

ちょっとご意見をお聞きしたいと思います。

 

義母とはゴタゴタしたことも起こらず今日まで来ました。

たぶん今でも、義母はうまくいってると思っているのではないでしょうか?

 

でも私、これまで言われた何個かの義母の言葉にとても傷つき、それを忘れたくても忘れることが出来ないのです。

 

その一つです。

私、亡くなった父と割と仲良しだったんです。

末っ子だったからか小さい頃から、父の仕事にドライブがてらついて行ったり、「喫茶店に行くよ」という父について行ったりと、父を嫌いになる時期もなく過ごしてきたんです。

 

私には本当にいい思い出なのですが、義母から「〇〇さんは異常よ」って。

何気ない言葉だったのかもしれませんが、やはりショックだったのだと思います。

忘れられないでいるのだから。

(中略)

何か、他にもそんな言葉がいくつかあるのです。

忘れられないで心に引っかかっているものが。

 

将来、同居する話とか(主人長男)、 私が遠慮がちに話すと「〇〇さんが私の下の世話をするんだから、そんな遠慮しなさんな」って義母の言葉とか、

 

はっきり言っていやなんです。

 

今言わないと、ズルズル流されそうなので、 この頃、主人にもイヤな気持ちを言ったりしてるんです。

 

義母に言わない私も悪いのでしょうね。

最近、これは良くないなと自分でも思い始め、言うようにはしました。

(以下略)

全文引用は好ましくないだろうと話が分かる程度で一部引用しています。詳細はぜひ本サイトをご覧ください。回答欄にも同じ経験があるとして体験談が投稿されています。

 

モンスターとまでは言わないまでもこういう人はいますよね。自分の価値観が正解であり、それを自由奔放に発言し、時には押し付けてくる人。

 

こういう人が姑であったり、上司であったり、立場上言い返しにくい人の場合、その場ではなかなか上手い切り返しができないですよね。

 

でも、その状態を放置していると黙っているのをいいことに、黙認している既成事実として受け止める人もいる。これが厄介。その関係性でなんでも押し付けてこようとする。

 

相談者さんは、マズいと分かって、現在方向転換中のようですが、この関係性をクリアーにするには、早ければ早いに越したことはない。関係性ができあがってからだとそこから反論するのは相手がどんな反応をするか怖いし(怖がる必要はないのに)、自分も黙ってきたことに慣れてますから急に怒るのにエネルギーがいる。

 

相手がおかしい人なら当然、それも身近でこれからも付き合いがある人なら、腹が立った気持ちを下手でもいいから表現しておいたほうが、後々精神衛生上よろしいのではないでしょうか。

 

topisyuは遠慮していたのは最初だけで、後は姑の発言にイラっときたら言うようにしていました。それが高じて今は毒蝮三太夫キャラとして扱われていて、気軽に毒を吐けるようになっています。言われるがままの関係にならずに良かったと、関係性が固定化している舅を見るたびに思っています。

夫婦生活の円満のために実子が実両親の窓口をやること

こんなタイトルのブログを書いていますが、姑との会話は実子であるパートナーに任せています。例えば、法事があるとか、姑が旅行に行くとか、そういう相談は実子を通すことをルールにしています。決して、topisyuが直で受けることはしないようにしています。夫婦のルールとして。

 

直接会話もします

もちろん、家の修繕といったような家族全体の話、姑が助けを求める時、逆にtopisyuが助けを求める時には普通に接点はありますし、後は日々の細々としたこと(共有玄関に私物が散乱しているといった不満や、こんな食材を買ってきたから共有しよう)などはtopisyuと姑の間でやり取りはあります。でも、基本はパートナーに任せることにしています。

 

もちろん、topisyuの両親からの伝達事項の窓口はtopisyuとなっています。

 

義理の両親との会話はストレス源

これは、皆さんの家でもよく経験されていると思いますが、義理の両親がその子供にお願いすることは、大体赤の他人が受けるとちょっと慣れ慣れしいものが多かったりするものです。

 

例えば、冷蔵庫が壊れたから今度一緒に買いに行って欲しい、分からないことが多いから店員さんと話して欲しい、できれば搬入についてはこういう風にして欲しいとか、あれもこれもで手数料を取りたいようなレベルになるものってありますよね。今度旅行するからいい宿を探して欲しい、できれば足の手配もして欲しい、それじゃあまりよくないとかとか。

 

これは実子ならまだ抵抗が少ないんですが(あまりに要求過多だと毒親化する可能性はあります)、実子の結婚相手からすると、「何でそれを私に言うの?」と凄く違和感を覚えるものです。「ちゃんとしたサービスを受ければいいじゃないか」って。

 

夫婦が互いに、義理の両親の窓口に立つ機会があれば、実の親から受ける話と、義理の両親から受ける話とで、要求水準は同じでも、受け止めた時の自分の感情が違うことが分かります。実の両親に「今度ご飯食べない?」と誘われるのと、義理の両親に「今度ご飯食べない?」と誘われるのをそれぞれ想像してみて下さい。気軽さが違いませんか?

 

結婚はしたけれど、相手の親が好きで結婚したわけではありません。相手の親が言っていることは素直に受け取れないものがある。ストレスがある。

 

親の無茶な要求は実子なら断れる

中には両親が無茶な要求をしてくる時もあります。先ほど書いたような、血縁があるからこそ、長い人間関係があるからこその甘えからくる、無理難題。

 

こういうのは、実子ならば「それ、無茶だよ」「ちょっと厳しい」と否定的に反応できるものでも、義理の娘・息子としては義理の両親に満足してもらうためにはどうしたらいいかと気持ちを忖度しようとしてしまいます。これが疲れる。

 

親は単に甘えたいだけ、とりあえず聞いてみただけ、友達にそそのかされただけだったりするんですけどね。「この前お盆に粗相したっけ?」「最近、連絡が少なくなってたからこの機会にお願いを聞いたほうがいい?」というような気を遣ってしまう。

 

実子が親に支配されているケースでは、義理の娘・息子が登場した方が話は断りやすいですけどね。

 

実子が実両親の窓口になる際に気を付けること

このように、実子が窓口になったほうが、義理の娘・息子はストレスを感じなくて済むので、我が家では実子が実両親の窓口となっています。

 

ただ、これで全て上手く行くというわけではありません。時々、実子がパートナーが暴走して、実両親との間で勝手に話を進めてしまうことがあるわけです。

 

長男が遠方に引っ越したため、これまで家庭内であまり良い地位にいなかった次男が両親と一緒に同居すると突然言い始めるようなやつですね。

 

ここまでのはっちゃけでなくても、パートナーに聞かずに、法事への参加をOKしたり、自宅への招待を決めたりといった、親子だからこそのフランクさによる独断専行というのはあるものです。

 

もちろん、それが実子一人に関係することならいいけれど、家族を巻き込む話であれば準備だ何だで予想以上の手間がかかることがありますので、我が家では、実子が実両親の窓口をやるのは原則として、実両親から話を聞いた時には、

  • 返事を即答しない
  • 聞いた話は背景含めてパートナーと共有する

といった手順は極力踏むようにしています。やむを得ない個人の判断は尊重しますけどね。

 

面倒なルールだけど……あった方がいい

独り身の時にはこんなことを考える必要がありませんでしたから、結婚してこういうルールを作ったり、手間をかけるのは、面倒だとは思うことはあります。

 

ただ、夫婦というもの、家族というものは、他人との一番小さな共同体で、その組織運営では自治会や会社にあるような最低限の役割分担・情報共有体制があったほうがトータルでは家族仲が上手く回るということをお互い分かっているので、続けられています。

姑と変なTシャツ

この日記は、姑に子供を預けられるまでの、それまでの姑との思い出を語るものです。

 

このエピソードは、姑と子供の話し始めの続きのようなものです。

言葉を覚え始めた子供に皆さんがさせることと言えば、姑の悪口を吹き込むことですよね。姑の写真を見せて「ばあばじゃなくて、鬼婆(おにばばあ)だよ」などと覚えさせて、パートナーの歪む顔を見る。

もちろん、これは冗談で、我が子に汚い言葉を積極的に覚えさせるような親はいません。覚えてもらっては困る言葉は子供が勝手に覚えてしまうものです。

 

うちの子が覚えてしまった言葉は、「変なTシャツ」でした。姑から貰ったけれどあまり好きではないTシャツを見せて「この変なTシャツで今日は出掛けようか」と何の気なしに言ったら、彼女の頭の中では、このTシャツが「変なTシャツ」と刷り込まれてしまいました。

そのTシャツを自分で着ている分には変だとは指摘しないのですが、着させようとしたり、鏡に映ったそのTシャツを見たりすると、「変なTシャツ!」と楽しそうに叫びます。

確かに、変なTシャツですが(とあるポップスターの顔が正面にばっちりプリントされたピンクのTシャツ)、あげた姑はそれが似合うと好意でくれたものですから、孫に「変なTシャツ!」と言われたら、気分が悪くなるのは必然です。当然、topisyuが変だと思っていることも同時に伝わります。姑の心の中に広がるだろう黒い感情を妄想するのを楽しみながらも、これ以上「変なTシャツ!」と言うのを止めるというミッションが発生します。

 

小さい子というのは意識を意図的にそらすと、その前までに考えていたことを切り替えるもの。それからしばらくは、その変なTシャツを着させる度に、他の衣服を「可愛いキュロット!」「その帽子似合ってる!」などと褒めるようにしました。結果、1週間で、そのTシャツを見ても、「変なTシャツ!」とは言わなくなりました。一安心です。

 

これに懲りて、子供がいる前では姑に関するレビューは一切口に出さないことを肝に命じました。二世帯住宅で、スピーカーが身内にいるなんてヤバすぎます。

  

以上、姑と変なTシャツでした。

姑に子供を預けるまでにはまだまだ長い道のりがあります。

姑と姑の姑(前編)

この日記は、姑に子供を預けられるまでの、それまでの姑との思い出を語るものです。

 

以前、id:yuta25さんと、id:tamansaさんにご希望頂いたエピソードです。この一連の姑シリーズでは一番強烈なエピソードの一つとなりますので、ぜひ楽しんでください。

 

以前、姑のことを、

姑が頭がおかしいのは初見で分かりました。

姑との出会い - 斗比主閲子の姑日記

などと酷いことを書いてしましました。初めて会った時の偽らざる本心であるものの、今となってはそんなことを思ったのを申し訳なく思っています。なぜなら、姑の頭のおかしさは、姑の姑に比べればまだ大したことがなかったからです。

 

姑には何度か挨拶をしてから、いよいよ結婚ということになり、姑の姑に会うことになりました。姑の姑とは、つまり舅の母。パートナーの祖母です。姑夫婦の家は、この姑の姑が複数持っている土地の一つに建てられていました。そうなると、topisyuがその土地に一緒に住むということは、姑の姑の土地に住まわせていただくということになります。ここまで書けば分かりますよね。そうです。姑の姑の許しがなければtopisyuは二世帯住宅をすることさえできなかったのです。このため、姑の姑に会って、人となりを認めてもらう必要がありました。

 

姑の姑については、お嬢様育ちであること、趣味は馬術であること、弁護士に幅広いコネを持っていること、年の割には頭が回っていること、一見すると柔和であること、常に言葉には皮肉と悪意が込められていることという情報を事前にパートナーからインプットされていました。最後のが凄いですよね。孫が実の祖母を評する言葉ではない。

 

立派な門扉のある、庭が建屋よりも広い、純和風家屋(つまり豪邸)である姑の姑宅で、初めて顔を合わせた時の印象は、品の良い小柄なお婆さんでした。「初めまして、○○さんとお付き合いをさせて頂いていますtopisyuです。今日はわざわざお時間頂きありがとうございます」「ああ、あなたがtopisyuさん。初めまして、○○の祖母です。以前からお話は聞いていますよ。今日はわざわざありがとうね」と玄関で挨拶をし、応接に向かいます。

 

「思っていたよりもいい雰囲気ではないか」と最大限のよそ行きの笑顔で、パートナーとのなれそめのことなど会話を和やかに進めていました。にこやかに頷いていた姑の姑が、最初に自分にした質問が、「topisyuさん、私の誕生日を当ててみてくれる?」でした。

パートナーからの事前情報は、先に書いたもの以外では、姑の舅の出会いのエピソードぐらいです。「生年月日は聞かなかった。失策だったわー」と後悔しつつも、頭をフル回転させます。「わざわざ誕生日を聞いてきたということは、分かりやすい誕生日なのだろう」「この意地が悪いけれども、プライドが高い人間がわざわざ質問するということは、自慢ができる誕生日でそれにちなんだ話しでもしたいのだろう」と考えます。結局、三回目で当てました。

姑の姑はそれに対して「あら、最初に当てられないのね。勘が悪いんだから」と言います。 彼女が本心では「私の誕生日ぐらい事前にリサーチしておきなさいよ。これから上手くやっていくつもりなら、これぐらいできなければ認められないわ」と考えていることぐらいは分かります。完全に油断していました。

 

続いて彼女が質問してきたのは、「topisyuさんはどちらの大学をご卒業されたの?」です。「○○大学です」と答えると、すかさず「○○大学と言えば、私も知り合いがいるわ。あの人、勉強はできたみたいだけど、使えない人だったわね」と今度は共通点を探した上でのマウンティングが始まります。普通は、質問して共通点を見出すのは、相手と仲良くなるためにするものです。しかし、姑の姑は違いました。相手を否定するために、相手の情報を自分のネガティブな情報と結びつける。

 

延々とtopisyuと同じ大学出身の人を探し出しては、その人たちを貶す発言を繰り返す姑の姑。さすがに、これはまずいと思ったパートナーが「お祖母ちゃん、その辺にしておいたら。早速、嫌われるよ。ただでさえ、お母さんから『早く死ぬとといいのに』って言われているのに、これ以上身内に敵を作ってどうするよ」と助け船を出してくれました。家族間での人間関係が一瞬で説明できる"いい"発言に小躍りしましたが、姑の姑は、この種の仲違いを(現時点では)他人であるtopisyuに見られるのは恥ずかしい世代であろうと、「そんなこと言っちゃいけないよ。○○さん。お母さんもこの前『お祖母ちゃんがいるから生活に張りが出る』って言ってたじゃない」とフォローのフォローに入ります。姑から聞いた発言は、正しくは「あの人が何にもできないお嬢さんだから、炊事洗濯掃除は全部私がやってるの。しかも、異常に細かいし。口を開けば皮肉しか言わないから、ほんと一緒にいて緊張するわ」です。姑の姑によって生活に張りを持てているのは事実です。嘘ではない。

 

ここまでで一時間が経過していました。この後topisyuも攻勢に出るのですが、気が付いたら2000字を超えていましたので、続きは後編として書くことにします。

 

以上、姑と姑の姑(前編)でした。

 

姑に子供を預けるまでにはまだまだ長い道のりがあります。

姑と子供の話し始め

この日記は、姑に子供を預けられるまでの、それまでの姑との思い出を語るものです。

 

以前に希望頂いているエピソードを書こうと思ったものの、たまたまFacebookで拝見した方の日記を読んで、思いついたことがあったので、先にこの話を書かせていただきます。子供の話が一切出ないといつまで経っても、姑に子供を預けられませんし。(このブログを終えられないし。)

 

一般的に姑が孫の成長について必ずチェックする項目といえば体重ですよね。標準体重の範囲で下位にあれば「おっぱい足りてないんじゃないの?」「好き嫌いがあるのは料理に問題があるんじゃ」と言われ、標準体重より多ければ「インスタントみたいな脂っこいもの食べさせてるんでしょ」「マンション住まいだから子供の運動が足りてないんじゃない?早く家を買ったら」などと言われるものかと思います。そして、もう一つ姑が気にするのが学力です。さすがにIQスコアを気にする人は少数ですが、語彙が多いかどうか、敬語を使えるかどうかなど、話し方には厳しいチェックをしています。(たとえ、本人の前ではそうとは言わずとも。)

 

子供の話し始めは、喃語で口の動かし方を覚え、続いてパパママジジババなど身近な人物を指し示すようになり、マンマやブーブーやワンワンなど幼児語を覚え、自らの名前や年齢を問われたら回答できるようになり、二語文が使えるようになって……とある程度段階的なプロセスを経て発達していきます。

 

こういうことは別に今も昔も変わらぬ知識としてあります。うちの姑もかなり進んだ教育ママだったようで、この辺は豊富な知識があります。そうすると、自分の子供(つまりtopisyuのパートナー)と孫(つまりtopisyuの子供)を比較してくるんですね。

「○○さんはこの時期には自分の名前を言えたわよ」(ちゃんと私が教えこんだから)
「近所でも賢い賢いって評判だったんだから」(ちゃんと私が教えこんだから)
「○○ちゃんはまだ2語文言えないの?困ったちゃんだわね~」(あなたが教えこんでないから)
「少し語彙が少ない?子供の目線で話しかけてる??」(あなたが教えこんでないから)

※()内はtopisyuが頭の中で勝手に挿入している姑の心の声です。

 

姑がこの心の声を発することはありません。直接()内の言葉を投げかけてくる舅姑が世の中に存在していることは知っていますので、それに比べたら全然いいのではないか?と言われそうですが、それでも何度も繰り返し言われれば、言われた方の頭の中では葛藤が生まれます。自分の子育てに問題があるのではないかと。

 

姑から上記のようなコメントを言われて、ちょっと腹が立った時には、以下の様なことをさらりと言っていました。

「あれ?お義母さんがせっせと育て上げた、自慢の子供である○○さんも子育てに関わっているのに、どうしてうちの子は語彙が少ないんでしょうね」

喧嘩を売っているのは分かっているので、そう何度もやりませんでしたけどね。

 

子供の言語発達については姑には本当によくお話させて頂きました。一応の到達点として、

  • 成長には個人差があること
  • よく喋るからよい子になるということではないこと
  • 子供の前で、子供を誰かと比較するような発言はしないこと
  • 子供の成長に本当に何か問題があるとしたら、それを外野から指摘するだけではなく、一緒に解決する方法を考える姿勢を見せること

は、お互いに共有しています。こういうこともあって、今はあまり子供の成長を比較するような発言を聞くことはありません。言われたら、例の「あれ?お義母さんがせっせと育て上げた……」をやるだけです。

 

以上、姑と子供の話し始めでした。

 

姑に子どもを預けるまでにはまだまだ長い道のりがあります。

姑と卵2

この日記は、姑に子どもを預けられるまでの、それまでの姑との思い出を語るものです。

 

以前、姑と卵というエピソードを書きました。今日何気なくパートナーに、「卵の話は怖かったよね」と話したところ、「そうそう、怖い怖い。いつも一触即発で、見てると怖い」とちょっとズレたことを言ってきたので、

「え、何のこと?」「あれでしょ?お母さんが固茹でが好きなのに、閲子が半熟が好きな事でしょ?」「え?」「え?」

と、ネットでよくあるコントみたいな会話を繰り広げてしまいました。よくよく聞いてみるとこういうことだそうです。

 

姑は卵をトロトロな状態で提供するなんて言語道断で、年に3回は「卵にしっかり火を通さず食べるなんて卵の本当の美味しさを台無しにしている!」と激昂するぐらい、卵の固さには拘りがある。(まったく知りませんでした。ちなみに、サルモネラ菌を気にしてということではないそうです。)

対して自分は卵は半熟で調理します。年に5回は「この卵の半熟具合、完璧。タンパク質が凝固するギリギリの温度で仕上げるのが腕の見せどころ」と誰彼に自慢するぐらい拘りがあります。(海外にいるときにはサルモネラ菌に注意して、十分加熱するようにしています。)

二世帯住宅にしてから、姑は除いて、義実家家族に、半熟のオムライスや親子丼を提供したことは何度かあります。姑がそれに口出ししていた記憶はありません。

パートナーとしては姑と自分の好みのことは当然知っているわけです。どちらの料理も食べたことがあるし、どちらの発言も聞いたことがある。「いつもヒヤヒヤして見てたけど、これまで卵の好き嫌いでぶつかっていないんだから、自分の影での立ち回りが上手くいっていたんだな」と。

そうか、そうだったのか……!

やはり、二世帯住宅が上手く行くには、実子による、見えるところ見えないところでの働きが必要だと再認識しました。

いつもありがとうございます。見えてないことも多くてごめんなさい。

これからは(少なくとも)卵の調理方法についてはこちらの方でも発言、行動に気をつけるようにします。

 

以上、姑と卵2でした。

 

姑に子どもを預けるまでにはまだまだ長い道のりがあります。

姑と社交ダンス

この日記は、姑に子どもを預けられるまでの、それまでの姑との思い出を語るものです。

 

先日、この日記でこれから書こうとしているエピソードを紹介したところ、何名かの方からこれが気になる!というご要望をいただきました。皆さん、ありがとうございます。ということで、一番最初にリプライをいただいたyukonnさんご希望の話のうち、

まずは姑と社交ダンスを書くことにします。

 

姑は、長身、黒髪ロング、背中はものさしが入ったように真っ直ぐ、プロポーションも綺麗で、原色系の若々しい格好をしています。後姿だけでナンパしてくる男性が後を絶たないそうで、世間で言うところの美魔女、小町で言うところの『年の割には若く見える人』です。

彼女が若さを維持している要因は、元モデルであること以外に、40代から始めた社交ダンスの影響も大きいそうです。

社交ダンスは短大の同級生と一緒に始めたと聞いています。しかし、今ではその同級生は誰もいない。

プロポーションがよく見映えがいい、運動神経抜群で飲み込みが早い姑に、先生が熱心に指導していたのを見て、友人連中の嫉妬を買ったそうです。社交ダンス教室の主要顧客には主婦層が多く、中にはホスト感覚で貢ぐ人も多い。金で先生を買うのが半ば常識の世界で、実力で先生のハートを掴んだ姑がやっかみを受けるのは必然だったのでしょう。でも、そのやっかみも姑が全く意に介さず、10年、20年と続けているうちに、友人たちが先に根を上げていったそうです。実力は、プロの大会に出場するレベルではなく、あくまで趣味の範囲。

最近、ご近所の年代が近い方も教室に通い始め、その人は初孫フィーバーに浮かれ、「西松屋ってあるのね?赤ちゃん本舗がいいのかしら?」と仲間意識で親しげに話しかけてきたものの、あまりダンスが上手ではないことから、姑としては仲良くしたくなく、困っているそうです。


という話を姑から三回ぐらい聞いています。自分は初めて会った時に質問され、「社交ダンスは全然知らないですね~」と答えています。こちら側から社交ダンスの話題を振ったことは一度もありません。話している最中に質問もしませんので、上記は全て姑が一方的に話している内容となります。

以上、姑と社交ダンスでした。

姑に子どもを預けるまでにはまだまだ長い道のりがあります。

姑シリーズ

今のところ書こうと思っている話はこんなところです。

 
姑と味噌汁
姑と自転車
姑とちらし寿司
姑と風邪
姑と車
姑と社交ダンス
姑と映画
姑と着物
姑と舅
姑と姑の姑
 
これが読みたいというものがあれば、それから優先して書きます。コメント欄、ブクマ、Twitter等でリクエストしていただければ幸いです。

姑とパスタ

この日記は、姑に子どもを預けられるまでの、それまでの姑との思い出を語るものです。
 
話は前後しますが、結婚する前のこと。初めて姑に挨拶に行った時のエピソードは以前に紹介しましたが、その後も何度か打ち合わせもあって姑に会う機会はありました。
 
その度に、料理をふるまわれるものの、特にパスタが自分の口には合いません。よくある他人が作ったものが食べられないという生理的嫌悪感があるというわけではなく、純粋に味付けの問題です。
 
姑は、食が人の健康を作るという信条の下、食材は生協で国内産のものしか買わず、レシピについても外食した際に美味しかったものを自分で再現しようとする、大変料理に拘りがある人です。分かりやすい例として、一食にキノコを平均して三種類は入れます。
 
このように拘りがあるのは、パートナーから聞かずとも棚の料理本などからも分かっていたので、本人に直接「口に合いません」などと言うことは考えませんでした。そんな喧嘩を売るようなことはまだできない。
 
ただ、姑宅(現我が家)からの帰路で、「お義母さんのパスタ、自分の口には合わないんだよね……」とポツリとパートナーに愚痴を言ってしまいました。
 
これは今となれば失敗と分かりますが、当時は何が起こるか分かってなかった。
 
次の機会に姑宅を訪問すると、出来合いのお菓子だけで料理は出てきません。「あれ?」と思って帰り際に、「なんで今日はご飯出なかったんだろうね?他の家族が帰るの待ってたとか?」と聞くと、パートナー「だって、前、口に合わないって言ってたでしょ?伝えておいたよ」との返事。
 
これには一瞬血の気が引きました。次に、「なんてことをしでかすんだこいつは」と腹が立ち、パートナーに「そういうことは言わないこと、言うにしても言い方があること」を丁寧に説明した上で、「お義母さんの料理、嫌いじゃないですからね!ただ、ガラムマサラが苦手なだけです」とフォローの電話をしたのは皆さんのご想像の通りです。(もちろん、ガラムマサラが苦手なわけではありません。)
 
一応事なきを得たものの、今でも姑がパスタをふるまってくれる時には何か後ろめたい気持ちがあります。
 
今なら失敗と分かると書きましたが、食べてきた料理というのはその人自身を作っている文化の一つなんですよね。「口に合わない」なんて言ってしまったらパートナーのバックグラウンドも否定することになる。当時はそんなことにも思いが至っていませんでした。そして、親切心がある人なら、そのまま伝書鳩として働いてくれることも想像できていなかった。
 
その後は、単なる愚痴を言うのは止め、「これは、こういう風に解決するから、お義母さんに話すとしてもこう伝えて」と色々策を練ってパートナーには話すようになりました。
 
姑はそういうこと含め、全て察していると思いますけどね。
 
以上、姑とパスタでした。
 
姑に子どもを預けるまでにはまだまだ長い道のりがあります。

姑と手すり

この日記は、姑に子どもを預けられるまでの、それまでの姑との思い出を語るものです。

以前、本Blogでこんな釣り相談を書きました。

トピを開いていただきありがとうございます。トピ主さくらです。

 我が家は夫の両親との二世帯です。義理の両親には私が仕事で帰りが遅くなるときに子供を幼稚園まで迎えに行ってもらうなど頼りにしています。

ご相談は、2人目の出産祝いについてです。出産を機に辞めた元の会社の上司から結婚祝いに何が欲しいか聞かれたが、第一子で一通りの物が揃っているから特に今のところ必要な物はないと断ったと義母に雑談っぽく話したところ、義母が突然怒り出して、「なぜ、貰えるものを貰おうとしないのか!費用はいくらぐらい?数万円でもいい??それなら、私たちが赤ちゃんを見るために二階への行き来がしやすいよう、階段の手摺りの工事をしてもらえばいい!」と言い出しました。

自宅に手摺りを設けるのを会社の元上司にお願いするなど非常識ですと伝えたのですが、「どうせ、子供に還元されるものなのだから、同じではないか!」と取り付く島もありません。

夫は、「母さんの言うことも一理あるな。上手く○○さん(元上司)に話せないものかな」と言っています。

私が非常識なのでしょうか。

[釣り]出産祝いに手摺りを買えと言う義母

これは、実話をベースにしたと書きました。何が実話かというと、姑が「会社の人間に出産祝いで手すりを買ってもらえば」と言った点です。それ以外は全て創作です。

最初この発言を聞いた時は耳を疑い、「このおばさん、まともに働いたことがないとは思っていたが、ここまでズレていたのか」と頭を抱えました。

ただ、ここで絶句してはダメだと、姑の顔色を伺いながら「さすがに、職場でそういうお願いをするのは厳しいですかね。そもそもお祝いの品って祝いたい人が選ぶことが多いものですし、それをこちらが指定した上で、しかも、手すりとなると、出産祝いの品としてはちょっと離れすぎて違和感があるかも。代金がいくらかも分からないし、その支払いや業者の選定なども関わってくると、それに会社の人を絡ませるのはややこしいですしね。結果現金になっちゃいます」と説明すると、思ったよりもあっけなく引き下がってくれました。少なくとも、表面上は。

うちの姑は口調が強く、信念のあるような顔つきで喋るので、ついついそのまま受けてしまいそうになるけれど、そこで怯まず、理由を話せばこちらの意見を受け入れる素地があるというのが、この手すり論争に限らず姑と話をしていて徐々に分かっていきました。

以上、姑と手すりでした。

姑に子どもを預けるまでにはまだ長い道のりがあります。

姑と卵

この日記は、姑に子どもを預けられるまでの、それまでの姑との思い出を語るものです。

本日、フォロワーさんのTweetでこの記事を読みました。卵の黄身の色は、鶏が食べる飼料によって変わるものという実験です。
http://d.hatena.ne.jp/ohira-y/20130821/1377091297

これを読んで思い出したのが、姑との卵論争です。

舅が定年退職後手伝っている会社から卵を貰ってきた時の話。卵の殻は綺麗なオレンジ色、黄身の色もオレンジ色の、化粧箱に入った見事な赤玉でした。

舅は、姑の顔色をうかがいながら「美味しそうな卵だよね」と言います。ここは姑にいつも虐げられている舅をフォローするところだなと、「うわー、高級そう。これ、市販だったら高いんじゃないですか」と自分はコメント。そうしたら、姑、「殻の色は単に鶏の羽根の色の違いだし、黄身の色も簡単にコントロールできる。そんなにありがたがるものではい」とピシャリ。

舅やパートナーが沈黙する中で、せっかく舅さんが貰ってきた卵になんてこと言うんだと、こっちは完全にスイッチが入ってしまいました。「そんなことないでしょう。殻の色は地鶏系だから赤いかもしれないし、食べるもので色の差が出るだろうから、栄養価に影響は与えるはずでは?」と、それに対して、姑「この前、ラジオで言っていたのだから間違いはない」との切り返し。

こういった話になるとこじれたままで終わってしまうことが多いんでしょうが、我が家では自分が検索魔であることは周知なので(姑は姑の友人に「この人、何でもすぐに調べちゃうの。東京タワーの横を通ったら、ライトアップの色を見て、月に何回こういうライトアップがあるのかその場で調べてくれたの!」とよく自慢?しています。)、すかさず自分が検索。結果、殻の色も、黄身の色も味や栄養価にはほとんど影響がないことが分かりました。アメリカでは確かに黄身の色はレモン色だったなと思い出し、「わー、お義母さんの仰った通りでしたね。知らなかった!」と、姑持ち上げ路線に変更です。

これで解決と思いきや、姑はその後も「別に赤玉だからってありがたがる必要はないのよ」と舅の前で何度も繰り返します。舅をフォローするはずが結果余計なことをしてしまい、以降舅フォローは慎重に行うようになりました。

以上、姑と卵でした。

姑に子どもを預けるまでにはまだまだ長い道のりがあります。

姑と焼き肉

この日記は、姑に子どもを預けられるまでの、これまでの姑との思い出を語るものです。

 
姑は焼き肉を外食でも食べませんし、家庭でも作りません。理由は、「焼き肉は料理ではない」からだそうです。ただ、焼いて食べるだけでどうして料理なのかと、料理好きの姑としては焼き肉が許せないようです。
 
このため、自分が家に入る前は、自分のパートナー含めて姑家族は焼き肉を食べたのは30年間で一度もなかったそうです。
 
では、「お寿司はただ切って乗せたようなものと言えますが、どうなんですか?」と聞いてみたところ、普段は食べないもののハレの席の食事としては認めているため、そういった行事用に出前でとることはあるそうです。ただし、回転寿司や宅配専門の出前寿司は使いません。近所の、顔の知れた、カウンターで握るお寿司屋さんが姑のお気に入りです。
 
話は元に戻って、焼き肉の話。自分はお肉の美味しい食べ方として焼き肉は十分料理として呼べると信じています。美味しんぼじゃありませんけど、「今度、本物の焼き肉屋に連れて行ってあげますよ」と宣言して、某所にある隠れ家風の焼き肉屋さんに一緒に行きました。
 
そこは、大将が少し変わっていて、姑と噛み合うかが心配ではあったものの、きっぷのいい大将を姑が偉く気に入り、注文しないでも出てくる、A5牛の特殊な部位に、「美味しい、美味しい」と大変満足していただけました。
 
未だに、姑は「焼き肉は料理じゃない」と言って憚りませんが、自分の顔を見ると「あのお店は良かったよね」と言ってくれる優しさはあります。
 
以上、姑と焼き肉でした。
 
姑に子どもを預けるまでにはまだまだ長い道のりがあります。

姑との出会い

パシフィック・リムを見るために子どもを姑に預けたという記事を書いたところ、そういう話がもっと読みたいというお話があったので、本Blogの趣旨とは合わない、私的なことをこちらのはてなブログに書くことしました。

※ハンドルネームは、ネット上のゲス仲間にいただいたもので本名ではありません。

いかにして姑に子どもを預けたかを書く前に簡単にうちの姑を紹介します。

端的に言えば、かなり特殊な人で、近所からは「あの人は凄いわよね」と何が凄いか分からないけれども、畏敬と畏怖の念を持って語られる人物です。

結婚前から、かなり飛んでいる人であること気付いていたものの、この年齢にしては話が通らないこともないこと、新たに家に入る自分という人間に対して心配りをしていただいたことから、問題なかろうと二世帯住宅の最終決定を致しました。

姑が頭がおかしいのは初見で分かりました。

初めて家に挨拶に行った時に、徹子の部屋がかかっていて、それに対して姑は「この俳優の○○さんは凄い活躍してるよね!」と客の自分を気にせず盛り上がっていました。

自分もその俳優は劇団在籍時代から知っていたために、「お義母さんも○○さんがお好きなんですか?」と話を振って、セコく共通点を作り出して上手く懐柔してやろうとしたところ、

「全然知らない。この前、永さん(永六輔)が紹介してたからたまたま見てるだけ」とテレビを見ながら言いのけてきたのでした。

そもそも、その程度の興味の対象でしかない俳優を見るために、初めての挨拶のタイミングでテレビをかけ続けるのはどうかと思いましたが、ファーストコンタクトから「それならテレビを消しましょう」といつものようにやるのも得策ではないと引きました。

そのような出会いではあったものの、後々、姑が毒蝮三太夫を大変お気に召されていることが分かり、自分の素を徐々に出していき、現在の気の置けない関係を築き上げていったのですが、それはまた後の話です。

子どもを姑に預けるにはまだまだ下拵えが必要となります。