日々生活していると「こんな時にリーダーシップを発揮する人がいてくれたら……」と思うことはありませんか?
義実家のリフォームでも、PTA活動のリストラでも、会社の新規プロジェクトの立ち上げでも、様々な要素が絡んでくる複雑で不透明なイベントごとほど、意見を集約し、方向性を伝えるリーダーの存在が欲しくなります。
ただ、リーダーというのは一日で出来上がるものではなく、個人の資質に加え、ある程度環境的に育成する必要があり、望んだからといってすぐ登場するわけではありません。リーダーが育ちにくい、生まれにくい環境というものがありまして、そういう環境だと待てど暮らせど、リーダーは現れない。
この記事では、どういう環境だとリーダーが生まれないか個人的な経験から書いてみます。
※米軍がFlickrに画像提供しているの!?
失敗が許されない、失敗は全てリーダーの責任となる環境
リーダーシップを発揮するということはその人物に何がしかの責任や成功がついて回ります。
どんなプロジェクトでも失敗する可能性はありますし、特に不透明でリスクが高いプロジェクトほどリーダーが必要とされるものです。一度の失敗でそのリーダーに全て責任があったということにして、そのリーダー候補を使い捨てるようだとリーダーは育ちません。
失敗や成果がフェアに評価されない環境
失敗を許容し、プロジェクトの成功の手柄もある程度リーダーが受け取ると、リーダーに嫉妬する人々が現れます。「あの人ばっかりチヤホヤされて」と。
本来であれば仕事の評価が適切になされてリーダーの手柄分が明示されればいいわけですが、こういう仕組みがなかったり、仕組みがあってもそれを評価する教育が行われていないと、「リーダーは不当に高く評価されている。フェアではない」という批判的な声が強まり、『出る杭を打つ』機運が高まります。
リーダーシップを発揮した人物が全て責任を負わせられる前例の積み重ねがある環境
こうして、失敗が許されず、出る杭が打たれる状況が長く続くと、リーダー不毛の時代に突入します。
ここで、育成するのを諦めて外からリーダーを連れてくることをやるわけですが、この失敗が許されない、フェアな評価がなされない環境がある限り、外様リーダーも上手く成果が出せず(出した扱いにされず)、失敗だったということにみなされがちです。結果、外様リーダーを連れてくる行為自体が批判され、組織はリーダーを持つことができなくなります。
締め
一度こういう環境が構築されるとなかなか簡単にこの形は崩れません。それこそ、革新的なリーダーが登場し環境自体を変えるか、リーダーが育ちにくい環境が醸成されていることに少なくない構成員が自覚するか、構成員が全ていなくなるか(そして誰もいなくなった)。
ここまで書いてきましたけど、リーダーが必要かという議論もありますよね。そもそも、こういうリーダーが育ちにくい環境があるのは、構成員がリーダーを望んでいない結果とも考えられますし。