斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

「長年付き合った彼氏と破たんしているのを認められない友人Aが、別の友人Bが前彼と別れてすぐに結婚したのを快く思っていません。AによるBへの悪態をできるだけ想像してもらえますか?」

タイトル通り、

長年付き合った彼氏と破たんしているのを認められない友人Aが、別の友人Bが前彼と別れてすぐに結婚したのを快く思っていません。AによるBへの悪態をできるだけ想像してもらえますか?

という依頼があったので書きます。

 

Aからの悪態(想像)

Bへ。

結婚おめでとうと言いたいけれど、私は素直にはおめでとうと言えないな。だって、Bが人として信用できないし、この結婚は不幸になるのが決まっているから。

前彼とは長く付き合ってたんだよね? なのに、その彼と別れたらすぐに結婚するって、軽すぎない?? 前彼のことをもっと大事にしてほしいし、別れてすぐに結婚なんて、前彼はショックに決まってる。そうやって、私との友人関係も、簡単に切って、他の人に移るんでしょ。

そんな人として信用できないあなたが結婚したって上手くいきっこないじゃない。だから不幸だって言ったの。あなたも不幸になるけど、可哀想なのはあなたと結婚することになっちゃった人だね。ほんと、かわいそう。

長く付き合ってきた人とはそれだけお互いにいい部分や悪い分を共有できてたはず。結婚だって同じこと。清濁併せ呑むことが人付き合いでは大切なんだよ。結婚して、嫌なことがあったら、また前彼みたいに逃げ出すの? それが簡単には許されないことだって分かっているよね。

私はこれまであなたを応援してきたのはなんだったのかな。あなたのためを思って、前彼と上手くいくようにアドバイスしてきたのに。結局、私のこともそれだけ軽く見てたってことだよね。それなのに結婚のことだけわざわざ報告するのってどういう神経しているのかな。私が喜ぶと思っていたとしたら、それ、あなたが傲慢なだけだから。

はー、嫌なこと聞いちゃった。

Aより

 

コメント

冒頭に紹介した依頼をもらったとき「一体、何が目的なんですか?」と依頼者さんには確認しました。目的によっては依頼を断るというつもりはなく、依頼者さんが実はAさんで、Bさんに不幸の手紙を送る代筆でも頼まれていたとしたら、なかなかレベルが高いと思ったので。

よくよく聞いてみると、BさんはAさんからすでに微妙に悪口は言われているみたいで、依頼者さんとしてはBさんがこれ以上傷つかないように、予行演習ため、私に悪態を想像してもらって、それをBさんに読ませようとしていたとのことです。

個人的にはそんな予行演習はあまり効果的ではないと思いますし、私が書く想像の悪態が、リアルなBさんによるAさんへの悪態を上回れるかというと怪しい。これで足りないようでしたら、発言小町で、

20代のBと申します。

長年付き合った前彼から乗り換えて、今年結婚することになりました。前彼は年収も低かったし、マザコンだったので別れてせいせいしています。幸せの絶頂なのに、一つだけ頭に引っかかっている友人Aの存在です。

Aにも長年付き合った彼氏がいます。私からすると終わっている関係で比較されるのも嫌なのですが、私のことを同類だと思ってこれまでずっと「一緒に結婚できるといいね!」と言ってきていました。

私から彼女には「私は前彼とさくっと別れて結婚したよ。あなたもあなたの彼氏との関係は終わっているから早く別れたほうがいい。そのほうが絶対に幸せだから」と正直にアドバイスしたところ、「そんなこと言うなんて信じられない!あなたの結婚だけは祝ってあげない!!」と怒られてしまいました。

結婚したら祝うことは当然ですよね? みんなに祝福してほしいので、どうにかしてAにも私の結婚式に参加して欲しいのに、Aから返事が来ません。どうしたら、彼女が私のことを祝ってくれるでしょうか。

というトピを立てると、きっと常人では想像がつかない悪態をコマッチャからもらえるはずです。これは半分冗談だとして、悪い予行演習があまり得策ではないというのは本心です。

 

ちょっと話は変わりますが、子育てをしていると、「社会はもっと厳しいんだぞ!」と子どもを厳しく叱ったり、子どもに苦難を遭わたせたりすることをポリシーとする人に出会います。この辺、日本の悪しき根性主義だなと私は思っていまして、自分の子どもにはあえて無駄な苦労はさせようとは考えていません。

厳しく育てられて認められることが少ないと、子どもは自己肯定感を獲得できず、実際に厳しい状況に放り込まれると、折れちゃいます。

一度折れてからまた元のように戻れるかといえば、人間の心は複雑にできていて、失敗したことが脳内に強烈に刷り込まれます。一度うつ病にでもなれば、再度うつ病になるリスクは格段に跳ね上がります。

当たり前のことを当たり前にできる基礎力があれば人間それなりに生きていくことはできるし、苦難もそれなりに対応できます。応用問題は基礎があるからこそ解くことができます。

 

この例と元の依頼は直接は関係ないですが、嫌な話ばかり受け取り続ければ、嫌な話に慣れるようになるというのは、あまりよろしい方向での慣れだとは私は考えていません。リーズナブルな批判ならまだしも、悪態は慣れるものではなく受け入れないのが自然なことです。

BさんがAさんから悪態をつかれたときダメージが少なくなるようにしたいのであれば、悪態をつくAさんの存在を認めることが第一だと私は考えます。「Aさんが私のことを祝ってくれるはず」「友人だったのにこんなこと言うなんて酷い」と期待するから、Aさんの悪態が気になります。

長年付き合った彼氏と結婚したくてもできず、同じような状況にあったBさんが結婚したのだからAさんがBさんに悪態の一つでもつくのは致し方ないことと考えられます。致し方ないことだから悪態を素直に聞き入れろというのではなく、今はそういう状態なのだから、Aさんが悪態をつくのは当然と考えることです。一時的に距離を取ってもいい。

友達だからといって何でも共有できるわけではなく、価値観が合わなくなることもあります。何でも共有できる人、私のことを分かってくれる人と思ってしまうから、悪態をもらったときのダメージが大きくなります。

 

極度の嫌悪感や怒りというのは、まったくどうでもいい人には抱かないものです。愛情の裏返しは無視であり、憎悪は愛情の歪んだ姿です。AさんにとってBさんがどうでもいい人であれば悪態も出てこないとも考えられます。

 

相手の悪態を物理的に遮断できるなら、今はお互いに合わないものとして遮断する。できないのであれば相手が悪態をしてくるのは当然と受け取り、友人だからと期待しすぎない。悪態の予行演習より、こちらのほうが有効だと私は考えます。

 

結婚さえできればいいと思っていたけど (幻冬舎単行本)

※結婚さえできればいいわけじゃないが、結婚だけが唯一のゴールに見えることがある。