斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

雨宮まみさんが亡くなられたことを知りました

私は、現実の人の死にショックを受けたり、悲しむことはまずありません。ドラマや小説やマンガの登場人物の死で泣くことはあっても、現実の人の死で泣いたことは、ここ15年ぐらいでたぶんありません。 

 

 

 

昨日の午後インターネットを見ていて、雨宮まみさんが亡くなられたことを知りました。11月15日の朝、亡くなられているのが発見されたそうです。

雨宮さんには、一週間前にFacebookで連絡を取ったばかりでした。私が紙の本を出すことになったことをご報告し、せっかくなので献本を受け取っていただけないかをお願いしたところ、雨宮さんは、おめでとうございます!と仰られて、献本を心よく受けて頂けるということでした。

献本は11月15日の午前に到着するよう手配していました。

 

 

 

私は1976年生まれという設定です。

これは雨宮さんとHagexさんが1976年生まれだったからです。雨宮さんはHagexさんのブログでその存在を知りました。

 

2013年に雨宮さんからFacebook上で友達申請を頂きました。

ちょうどその頃、雨宮さんはマイナビで、おかざき真里さんによって漫画化もされた『ずっと独身でいるつもり?』(ずっ独)を連載されていました。雨宮さんのフィード経由でこの連載を知った私は毎週更新が楽しみで、Facebook上で感想を書くようになりました。いくつか抜粋してみます。

 


2013年6月11日

f:id:topisyu:20161117225525p:plain

ずっと独身でいるつもり? (41) "普通"になりたい | マイナビニュース

 

2013年7月9日

ずっと独身でいるつもり? (45) 「幸せ」という名の暴力 | マイナビニュース

雨宮まみさんのこのコラムに関係して少し。

一般的に、「結婚」というのは幸せなことだと考えられています。「結婚したい」と言う独身の人も、どのような結婚を望むか、結婚に何を求めるかは人それぞれであっても、「幸せになりたい」という思いは共通ではないでしょうか。

私はこの連載で、「結婚したい」と何度も書いてきました。その結果というか、「幸せになってほしい」「幸せになってください」と言われることもときどきあります。そう言われると、「こんな私の幸せを願ってくれるなんて!」と、とてもうれしくなります。しかし、ごくまれに小さな違和感を抱くことがあります。

「娘さんを幸せにします!」「娘を幸せにしてくれ!」という義理の息子と娘の父親との結婚の挨拶の際のやり取りは古典的なものとして浸透していますが、これには昔から違和感があります。

雨宮さんも仰るように、そもそも結婚しようがしまいが幸せであることは可能なのに、こんな言葉を使うのは結婚を機会に幸せになれる/できるという発想があるわけで、これが大変おこがましく感じるのです。結婚をしない人間は不幸せであるということになってしまう。ここは「これまで以上に幸せにします!/不幸になるリスクを減らします!」として欲しいところ。

雨宮さんのコラムで、「結婚したい」に対し「幸せになってほしい」「幸せになってください」と言ってくれる人々が登場しますが、この人たちには、結婚しなければ幸せになれないという価値観があるわけですよね。先ほどの義理の息子と娘の父親と会話の前提にあるものと同じ。

結婚してご本人がどれだけ幸せかは分かりませんが、大変上から目線ですし、事実として不幸せな結婚が存在することについて目が向いておらず、危うい物言いだなと思うわけです。

「幸せになってほしい」という腹の足しにもならない、キラキラワードをほざいてる暇があれば、相手を紹介するか、マーケティング戦略構築のお手伝いをするか、無言で応援する方が誰にとっても幸せだと思うのは自分だけでしょうか。(小町話法)
まあ、言っている方は、「人に幸せになってほしいという余裕の持った言葉を吐ける私って偉い!」とそっちの方が幸せ気分を味わえるんでしょうが。

 

2013年9月18日

毎週恒例ずっ独への感想。 

ずっと独身でいるつもり? (55) 結婚がわからない | マイナビニュース

今回は雨宮さんが結婚ののろけエピソードをご所望ということで、ちょっと我が家のことを書いてみます。

羨ましさで気絶しそうになってもいいから、もっとのろけて、結婚生活がどんなに楽しく、苦しく、充実していてやりがいがあり、はりあいがあるのか聞かせてほしい……。私はそう願わずにはいられません。

うちは、割と早い時期に結婚していますが、時が経っても、子供ができて以降も夫婦だけの会話がなくなっていません。今でも一日一時間は話しています。もっぱらゲス話ばかりですが。

「○○さんの家は、介護費用が嵩んでいたから、あのタイミングでお姑さんが亡くなって良かったね」「そうだね、介護費用だけで月○○万円かかっていたもんね。一人息子だから相続も揉めないし」

「あの家があの値段で売りに出てるけど、あれじゃ買い手つかないでしょ」「無理な値付けして売れないようにして息子夫婦と同居するための作戦では?」

「あそこのお宅のお子さんは自分がお金持ちの家の子って気付いてるのかな」「子供って貧しさには気付けても、裕福さはなかなか理解できないかも」

結婚前までは、ゲスな話はパートナーには歓迎されず付き合った相手と話すなんてもってのほかと思っていました。二人で発言小町やHagexにハマっていったことで、罪悪感なく楽しめています。友達と話すのもいいものですが、制約が少なくていいですね。

もちろん、違う人間ですから、物の見方は必ずしも同じではないので、子育ての方針や家のリフォームプランでは激論を交わします。それでも、意見を戦わせると結果的により良い形で決まることが多いとお互い信じています。

子供が出来てから変わったのはセックスの頻度です。子供が小さいうちは目が離せなくてセックスに集中できないし、大きくなったら大きくなったで見られて、聞かれていないかと気になる。子供が出来る前は週2日はセックスしていたのが、子供の人数が増える度に頻度が減り、月1ぐらいになるときもあります。それでもスキンシップは欠かさないようにしていて、我が家ではどちらかが外出する時は、相手に必ずキスをするようにしています。

後は一日一回相手のことを褒めるというのもルールにはなってますね。「好きだよ」「愛してる」は当然、「今日の格好似合ってるね」「これ美味しい」などでもOK。

書いてはみたのののこれが雨宮さんが求めるものなのか……。

 

2013年10月1日

毎週恒例雨宮さんのずっ独への感想。 

ずっと独身でいるつもり? (57) 家族っていったい何? | マイナビニュース

父親は「俺は家族のためにこんなにがんばって働いているのに、誰もそれに感謝してくれない」という不満を抱え、母親は「私はみんなのためにいろいろがんばって我慢しているのに、誰も協力や感謝をしてくれない」という不満を抱え、子供は子供で「うちの親はわかってない」「愛情が足りない」という不満を抱えているのを見ていると、「どうしてこんなことになってしまうんだろう」と思わずにはいられません。

こうなるのは話は簡単で家族間での会話が足りてないんですよね。家庭内トラブルは大体会話不足で自分の不満を人に伝えられない、人の不満を聞こうとしないというコミュニケーションに齟齬があって生じます。小町で相談しても結局そういう結論。

お互いに相手が仕事のお客さんだと思えばいいんですけどね。客なら誤解があれば訂正しようとするのに、家族だとできない。みんな仕事では誰かが働き方を教えてくれるのに、家庭は先生がいない。そうすると、つい自分が子供の頃の親との接し方をパートナーともやってしまって、お互いの無遠慮に腹が立つ。

家族を作って維持することには絶えまぬメンテナンスが必要であることを結婚前に知る機会があるといいんですけどね。だから、自分は結婚前の友人に小町を推奨しています。

 

2013年10月23日

結婚のための条件を挙げまくるのは結婚に向いていないということか - 斗比主閲子の姑日記

※ブログに出張させました。

 

2013年10月29日

毎週恒例ずっ独への感想。

ずっと独身でいるつもり? (61) 結婚したい? したくない? | マイナビニュース

「愛情のために行動を制約されるのが、サマンサにとっては『自分らしく生きていない』と感じられることだったのだ」

下手をすると、愛情がないのに行動を制約され、ライフスタイルの変更を余儀なくされますからね、結婚は。特に、子供ができる、姑と同居するなんてことになると最悪です。

などと、書いてしまうと、

それでも、ひとすじの希望や、「結婚って良さそうだな」と思う気持ちは、持っていたいのです。経験したことのないことへの尊敬の気持ちとともに。

という希望を踏み躙ってしまうので、結婚して良かったことをブログでまとめてみます。

※このFacebookの記事から出張して、この記事『結婚して良かったこと、死んだ時のことを話せること』を書きました。 


 

『ずっ独』の感想を2013年10月頃からFacebookではなく、ブログで書くようになってから、方向性が徐々にはっきりしてきて、2013年11月頃にこのブログを本格稼働することになりました。

 

雨宮さんはエゴサーチの先輩でもありました。

Janetterは今でも愛用しています。

 

雨宮さんとやり取りをしていて、「ネガティブな感情は、表現活動にぶつけると飛躍を得られることがある」というお話を聞いたことがありました。私も思い当たるものがあり、このネタをブログに書いていいか雨宮さんの了解を得た記憶があります。いつか書こうと思っていたものの、この話に触れたのは今が初めてです。

 

 

 

私は雨宮さんが亡くなられたことを知っても悲しみませんでした。ただ、昨日は、雨宮さんと様々な接点があったことが思い出され、斗比主閲子というキャラクターの大きな部分は『雨宮まみ』によって出来上がっていたのだなと確認していました。

 

亡くなられたことについて、悲しんでいないのに哀悼の意を表明することは不適切だし、Facebookでの感想でも書いたように「幸せになってください」と言うのも違和感があるのでご冥福のお祈りもしません。

 

 

 

お疲れ様でした。