斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

「父は蒸発、母は私の奨学金でロレックス……。私は家族のゴミ箱でした」

紙の本が出る記念に、今日から3週間は秘蔵の読者のほっこりエピソードを紹介します。今日は、これまでいただいたものの中でベスト5に入る、心温まるものです。

かなりほっこりされることを予想し、気楽に読めるように人物名を多少親しみやすいものに変えています。頭の中でキャラクターを考えながらお読みください。一万字ぐらいありますので、お昼休みにじっくりどうぞ!

ゾルディック家 - Wikipedia

 

 

Q1. 話を聞いてもらえますか?

斗比主閲子様

初めまして。キルアと申します。

いつも貴ブログを楽しく拝読しています。topisyuさんのブログは勉強になることばかりで、そのロジカルで知性あふれる語り口とともにとても好きです。

さて、じつは私自身もモヤモヤを聞いていただきたく、メールをさせていただきました。議題は『母親と絶縁したい』です。しかしながら、絡む物事が重すぎて……申し上げてよいかどうか迷いがあります。精神障害、生活保護、新興宗教(創価学会)の絡む家庭です。私自身は創価学会を脱会していますので、入会や投票などの勧誘はいっさいいたしません。

濃すぎるほどのこってり仕上げの家だと思いますが、お聞きいただくことは可能でしょうか?

キルア

 

A1. もちろんお聞きします!

キルアさん

メールありがとうございます!モヤモヤはどうぞどうぞ。

濃すぎるほどのこってり仕上げの家だと思いますが、お聞きいただくことは可能でしょうか?

どんな話題でも美味しくいただきますよ!

方法としては、短い文章を何回か送っていただきその都度こちらから質問するのもいいし、長い文章を一気に送って頂くのでも、どちらでも大丈夫です。一番ご自身がご負担がかからず、楽しい方法でお送りください。それではモヤモヤお待ちしています!

topisyu

 

Q2. 創価学会員の母(と弟)と絶縁したい

topisyuさん

こんにちは、キルアです。迅速なご返信をありがとうございます。

モヤモヤをお聞きくださるとのこと、本当にありがとうございます。「楽しい方法でお送りください」とうかがいまして、気持ちがホッとしました。ではお言葉に甘えて、私の生い立ちを書かせていただきます。とても長文になりますこと、はじめにお詫び申し上げます。

 

登場人物

・キルア:私。アラサーの高卒パート主婦。子無し。子供のころからの夢である仕事を自宅でしている。一年前に創価学会を脱会した。

・ゴン:キルアの夫。アラサー。 創価学会を嫌っているが、神社や仏閣が好き。

・カルト:キルアの三歳年下の弟。発達障害。高卒。創価学会を信じているらしい。子供のころから空気が読めないのか、周囲の大人を怒らせることがなんどもあった。高校時代に鬱になり、不登校状態に。それからというもの一度も働いていない。もちろん彼女もいない。毎日ゲーム三昧の模様……。

・キキョウ:キルアとカルトの母。境界性人格障害。創価学会。「キルアが帰省しない」と親戚に愚痴っていたらしい。

・シルバ:キルアとカルトの父。創価学会嫌い。キキョウいわく「私を水商売ではたらかせ、お金を全部奪って遊びに使った。家にも帰ってこなかった。私にはボロを着せて、自分はアルマーニのスーツを着ていた」「子供を創価学会に入れるのは辞めろと言った。大人になってから決めさせろ、と。何もわかってない父親」……キキョウからは「最低男」の烙印を押されている。私自身、長年そのように思っていたが、最近になって母の言葉を思いだしてみると、「本当はそうじゃなかったのではないか」という疑問がわいてきた。キキョウが言うには、シルバが多額の借金をつくって蒸発したため離婚した。

数年後に行方が知れたときには偽名で生活していた(これは私も覚えています)。現在はふたたび行方がわからなくなっている。私は父親の存在に関心がないので、探したい、会いたいとはまったく思っていません。

・ツボネ:キキョウの妹。キルアの叔母。創価学会に籍を置き、家に仏壇もあるが、活動はまったくしていない。

・ゼノ:故人。キキョウ、ツボネの父。キルアの祖父。統合失調症になった妻(キキョウ、ツボネの実母。キルアの実の祖母)を見捨て、愛人宅に転がり込んだ。妻が入院してからは愛人を家に呼び、結婚、同居。キルアはその愛人を「おばあちゃん」と呼んでいた。

・創価学会:いわずとしれた(?)大勢力を誇る新興宗教。……(topisyu注:創価学会の心温まる解説をいただきましたが、みなさんご存じでしょうから、詳細は省略します。)……たかだかいち宗教であるが、ここを脱会するときには親子の縁を切る覚悟が必要。

創価学会を信じて、祈って、活動(選挙活動をする、人に創価学会を勧めるなど)をすると、「功徳」がたまって「福運」がつくらしいです。創価学会を辞めると、その功徳も福運も使うばっかりになるので、人生がいっときはよくなったように見えるそうです。でもけっきょく福はなくなるばかりなので、いつかかならず絶対に不幸になるらしいです。本人にその不幸が出なかったとしても、本人にとっていちばん大切なものに不幸が出ると聞きました。

私は最近長年の夢を叶えてとある仕事をしていますが、それもけっきょくは「福運大放出!」の一環だと実家には思われていることでしょう。たしかに人にはどうにもできない運というか、神様が操っていらっしゃる部分もあるとは思います。全部が自分の力だとは言いません。けれども人の成功に対して「すべてを学会に、ご本尊様に、池田先生に感謝せよ」、「その恩に報いましょう」と言う創価学会には腹立たしいものがあります。辞めた人間のことを、「地獄の業を背負った」「不知恩(ふちおん。恩知らず)の輩」と彼らは言うのです……。

 

父の蒸発

私・キルアが三歳のときに父・シルバが借金を作って蒸発しました。それをきっかけに、母・キキョウと父は離婚しました。

母はしばらく実家──私の祖父宅にあたります──にて、私と弟・カルトを育てようと思ったようです。しかしもともとネグレクトだった祖父・ゼノはとたんに家にお金を入れなくなりました。この家を維持するため、母は昼夜を問わず働かねばならない状況になりました。

妹・ツボネからお金を借りた母・キキョウは、私とカルトを含めた家族三人だけで住めるようにと引っ越しました。生活保護を受けはじめたのは同時期のことです。母はこのころにはかなり精神的におかしくなっていて、精神科に通院しはじめていました。

母・キキョウの不可思議な行動をいくつか見た記憶があります。叫んで暴れているのをお寺で「狐憑きだ!」といわれてお祓いをされたりしました。また、いまは亡き祖父・ゼノ宅を含む私の生家は創価学会の会員です。その仏壇にお経を唱えながら錯乱してわけのわからないことをわめく母の姿も覚えています。このころの診断名は「うつ病」だったのですが、自分なりに心理の本を読んだりしたいまとなっては「絶対ちがうだろ!!」と全力でツッコミたいです。「境界性人格障害」の病名をもらったのは、最近のことです。

 

全知全能の母

精神病で家事などほとんど手につかない母・キキョウからたいへんに頼られる娘として、私は成長しました。父・シルバの悪口を際限なく聞かされながら「父親の恩は山よりも高く、母親の恩は海よりも深い」と厳しく教えられました(これは創価学会の教えです)。

反抗期はなく、母を全知全能だと思っていました。カウンセラーのように、ときには母親のように、母のすべてを受け入れました。言うことを聞かない弟・カルトへの悪口、そのほかにもいろんな愚痴や過去の苦しかった話──統合失調症で寝たきりだった実の祖母(母の実母)、愛人のもとにいったまま帰ってこない祖父・ゼノのネグレクト話など──を聞いては母の存在を肯定してきました。母に喜んでほしくて、創価学会の活動もがんばりました。

いい大学にいき、いい仕事に就いてお金持ちになることが夢でした。「私がお金持ちになって、お母さんとカルトといっしょに三人で住むの!」とよく言ったものです。廃墟みたいにゴミとがらくたに埋もれて足の踏み場もない家で、「お金さえあれば幸せになれる」と心の底から信じていたんです。母・キキョウは鬱がひどく寝ているばかりで、いちど寝込んで次に起きると季節が変わっているなんていうのはしょっちゅうでした。

家族みんなお風呂は二、三日か一週間に一回で、服はよれよれだし、部屋はごみまみれです。うじのわいた卵やスープの固まったラーメンを片づけることを強いられる(私がしなければ誰もしない)子供時代でした。

 

私が母と弟の盾になる

調子がよいときの母は彼氏をつくりました。この彼氏は何度か変わっています。「いっしょにお菓子をつくろう」と約束していた日に連絡なしで帰ってこないときもありました。付き合っているらしいやくざ風の男性が「(キキョウは)どこにいるんや!?」と家に怒鳴りこんできたこともあります。このときは弟・カルトが私を盾にしたので、私がひとりで応対しました。

家族のご飯を調達する役目を負ったのは、たしか小学校に入ったころです。母・キキョウもカルトも、「お腹すいた」と私に言います。近所のコンビニで惣菜パンを買ってくる食料調達は、「コンビニにパシリに行く」と家では表現されていました。あまりにも敬意がなさすぎますよね。「なんてひどいことをされていたんだろう」と、いまになって感じずにはいられません。

電子レンジがないにもかかわらず、温めねば食べられない肉まんを買って帰ってきたときなど、母から「こんなもの食べられないだろうが! 返してこい!」と怒鳴られました。泣きながらお店に返しに行ったこと、そのときのお店の店長さんの顔まで、その商品を見かけるたびにいまも思い出します。

 

私の奨学金を使い込んでいた母

創価学会の仏壇にお経を唱えているときだけはどれほど不機嫌な母でも怒らなかったので、私はますますその活動にのめりこみました。学校での成績はよく、高校では学年のベストテンに入るくらいでした。指定校推薦は選び放題で、「さあ、どの大学にしよう」というそのとき、母・キキョウは「おまえは大学にはいけない」といきなり言いだしました。お金がないというのです。そのときの私は大量の奨学金を借りていたので、そのお金を貯めて進学資金にするのだろうと高校の先生は思っていたようです。母・キキョウは「キルアの奨学金を生活費にあてていた」といいました。そのくせ腕に光るのはロレックスの腕時計……。

このときの母は病状が以前より重くなっており、主治医が私を呼び出して責めました。「あんたがお母さんをなんでもかんでも肯定するから、お母さんの病気が重くなったんだ!」

大学に進学できないどころか、けっきょく学校からの就職試験にも落ち、進路が決まらないまま高校を卒業しました。「とりあえず働かないと」と、近所のスーパーでアルバイトをするようになりました。その給料はいわれるがまま全額、家に入れていました。生活保護家庭の場合、働いて収入を得てもその八割は市に持っていかれるのだと母は力説していました。このときの私は服にも化粧にもなぜかまったく興味がなく、べたべたした髪(お風呂に入っていない)の肥満体でしたので、お金がほしいともさほど思わなかったのです。

 

二十歳のとき家を出る

実家を出たのは二十歳のときです。たしか叔母・ツボネのすすめだったのですが、何がきっかけだったのか思い出せません。このときくらいから私は希死念慮と抑鬱症状に苦しみはじめました。精神を病んだ母・キキョウの姿を見慣れすぎていたためか、それがおかしいとさえ最初は思いませんでした。しかしその数年後、「感情の起伏が激しすぎるから医者にかかったほうがいい」と、創価学会の先輩からアドバイスを受け、「私っておかしいんだ」とやっと自覚したしだいです。

医者はカウンセリングをしてくれるわけではありませんし、カウンセラーにかかるお金はありませんでした。「抑鬱症」の診断名だけ医師からもらった私は、創価学会の活動を休んで、抑鬱状態になるのはどうしてなのかを少しずつ調べはじめました(『毒になる親』のほかには加藤諦三さんの著作をとくに読みました)。そして自分が本当は創価学会を大嫌いなこと、家を恨んでいることを知っていきました。いままでほとんど麻痺していた感情と本心を見つめる作業は本当につらくて、まるで戦場のようでした。

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

それでも母から離れることはなかなかできず、「こんなことがあったよ」と、私は母にコミュニケーションを求めてしまっていました。電話せずにはいられない、話さずにはいられなかったんです。三千円のファッションリングひとつ買うことさえ自分で決められず、お店で母に電話する始末でした。

 

夫との出会い

そのすぐあとに出会った夫・ゴンとはとんとん拍子に話が進み結婚しました。このとき、母・キキョウはなにかにつけて「私はどんな服を着たらいいの!? どうやって振る舞ったらいいの!?」と私を頼るばかりでした……。新生活に向かって励まされたことなど記憶にありません。

ツボネを含む母の親族たちは「もっとお母さんのことを考えなさい」という内容の年賀状や手紙を送ってきたりしました。悪い人ではないのかもしれませんが、祖父の墓守を「結婚しなさそうだからキルアにさせたらいい」とツボネ叔母がいっていたり、私に関する母からの悪口を鵜呑みにしているふしがあるので叔母たちのことは信用できません。いまでは「キルアから何かいってくるまで、キルアのことは他人だと思っておく」とさえ、ツボネ叔母は言っているようです。ツボネ叔母に危害を加えた覚えはないので、いったいどうしてそんな怒りを買っているのか私としてはまったくの謎です……。

母・キキョウは「自分が死んだら、あんたが喪主をして創価学会のお葬式をやって」と私に頼んできます。それを全力で拒否するためにも創価学会を脱会しました。

また、三歳年下の弟・カルトは高校卒業以降、引きこもりで、いちども働きに出ぬままいまだ実家にいます。カルトは私を見下しているのか、喧嘩のさいには包丁を向けられたこともありますし、正社員の事務職が決まった私に「それは創価学会のご本尊様の力だ、キルアの力じゃない」と言ったこともあります。成人後、少々丸くなったのか話が通じそうだったので、「実家がしんどい」と漏らしたところ、それが母・キキョウの知るところになり、「なんてこと言うの! ひどい!」と母から苦情のメールが来たこともあります。カルトは発達障害で、母子癒着があると診断されていると聞いています。

 

母親と絶縁したい

結婚をきっかけに私は母から本格的に距離をとりました。一年で唯一の帰省だったお正月も行くのをやめたので、もうしばらく帰省していません。帰省をすると体調を崩しますし、母・キキョウに対しても弟・カルトに対しても、ときたま来るメールの返事をするだけで鬱に近い状態になるのです。

かといって無視をしても罪悪感で押し潰されそうになります。「病気の母親を見捨てるなんて人でなしが! 育ててもらった恩も忘れて!」と罵る声が聞こえてくるようです。母はひどいだけではなかったんです。私と弟にそろばんやピアノを習わせたり、離婚した父・シルバもまじえてディズニーランドに行ったこともあります。しかし同時にいまでもふとしたことで母からされた仕打ち、言われたことを思い出して胸がしめつけられることがしばしばあります。とくに料理をしているときに思い出して苦しいです。

夫・ゴンは、実家と絶縁することに反対はしていません。

実家のことさえ忘れていれば楽しい日々です。いまが人生でいちばん穏やかです。毎日お風呂に入れるし、まともなご飯が食べられるし、創価学会の活動をさせられることもありません。絶縁を覚悟して脱会したことに後悔はありませんし、「もっと早く脱会すればよかった」と思うばかりです。

 

topisyuさん、どうか許されるなら、「母親と絶縁してもいい」と背中を押してくださいませんでしょうか。

 

「親と絶縁したい」「境界性人格障害の親 子供」「お正月 帰省しない」など、誰かに肯定してもらえることを求めてGoogle検索に頼りつづけることにも疲れてまいりました。私は実家の一族のこと、母も弟のことも全部忘れて生きていきたいんです。この先なにがあっても、実家にだけは絶対に頼りたくありません。子供をもつことになっても、実家には教えたくありません。それは許されることなのでしょうか。

長々としたメールをご覧くださり、ありがとうございました。

キルア


A2. ベスト5に入るほっこり具合ですね!

キルアさん

メールを拝見いたしました。とてもほっこりしました。こう言っていいか分かりませんが、これまで頂いたメールの中では、ベスト5に入るほっこり具合ですね!

topisyuさん、どうか許されるなら、「母親と絶縁してもいい」と背中を押してくださいませんでしょうか。

背中を押せということであればいくらでも押します。どうぞどうぞお母さん、そして弟さん、そして叔母さんとも絶縁してください。 

叔母さんが、

ツボネ叔母に危害を加えた覚えはないので、いったいどうしてそんな怒りを買っているのか私としてはまったくの謎です……。

という反応をするのは、(お母さんから何か悪い話を聞かされている可能性に加えて)叔母さんがキルアさんのお母さんたちの世話をするのが嫌であるのもあるかもしれませんね。扶養義務としてはまずツボネさんにかかってくるものもありますから。

それにしても酷い大人ばかり登場しますね。特に、

このときの母は病状が以前より重くなっており、主治医が私を呼び出して責めました。「あんたがお母さんをなんでもかんでも肯定するから、お母さんの病気が重くなったんだ!」

この医師は酷い。医師が未成年の娘であるキルアさんに責任転嫁するなんて。ご苦労様でした。

また、

かといって無視をしても罪悪感で押し潰されそうになります。

罪悪感が出るのは仕方ないですよね。これだけ長い間お母さんの言うことをそのまま受け止めていれば、お母さんには自分しかいないと思ったことも何度もあるでしょうし、そう簡単には抜けないですよね。

既に『毒になる親』をご覧になられているのであれば、ご自身で対処できている部分も多いでしょうが、お母さんの嫌なところについて、まだまだ話足りないのであれば、もっと送っていただいても結構ですから。

私は精神科医でもカウンセラーでもない、ただのほっこりエピソード好きでしかありませんが、大抵のエピソードを美味しくいただくことはできます。

取り急ぎ!

topisyu

 

Q3. カウンセリングを受ける決心をしました

topisyuさん

こんばんは、キルアです。

先日はお返事をありがとうございました。「これはカウンセリング案件ではなかろうか」と送信してから思い至り、ひょっとしてうんざりなさっていたらどうしようかと思っていました。おいしく召し上がってくださって嬉しいです。

ベスト5に入るほっこり具合とのこと、たいへん光栄です。(喜んでいいのかどうかわかりませんが……・笑)

 

ホッとしました

絶縁についても明るく背中を押してくださり、なんだかホッとしました。思えば、家庭環境についてここまでハッキリと一気に申し上げたのは初めてのことです。聞いてくださってありがとうございます。

ツボネ叔母は将来、母たちの世話をせねばならないことを心配している可能性があるんですね……。おっしゃっていただき、ハッとしました。渦中にいるとわからないものですね。
子供のときに感じていた「優しかった(決していま優しくなくても)叔母さん」のイメージがいまも鮮明です。彼女が怒っているのは自分が悪いからなのではないか――つい、そのように感じてしまいます。

主治医はひどいですよね……そうなんですよね……。私はそのへんの感覚がかなり麻痺していたようで、彼女のことをひどいと感じたのは、自分が二十代になってからのことでした。「母が尊敬している人のことを悪く思っちゃいけない」と考えていたからです。

 

私は家族のゴミ箱

罪悪感が出るのはあきらめて受け入れるしかないのかもしれませんね。「お母さんには自分しかいない」――おっしゃるとおりです。またそれ以上に「私にはお母さんしかいない」とも思っていました。「お母さんが死んだらどうしよう、お母さんが死んだら私は生きていけない」と、本気で思っていました。

子供のときには本当にいろいろありました。お言葉に甘えて少しお話させていただきますと、私は弟と比較されながら育ちました。「たくさん食べなさい、もっと食べなさい」と、小学校低学年のころくらいからよく言われるようになり、実際、たくさん食べると喜ばれました。質の悪い炭水化物……菓子パンばかりを食べて、その結果、肥満児になりました。
対して弟はあまり食べない子供でしたので、まるで子役モデルみたいに細くて、手足が長く背も高い。周りの大人たちはこぞって弟を褒めたたえました。「カルトちゃんは格好いいね、モデルになればいいのに!」

姉弟で久しぶりに会う親戚もみな、口をそろえてそう言ったものです。細くてかわいらしいカルトは、変質者に追い回されたりもしました。弟を守るボディーガードとして、私は必要とされていました。カルトが下校するころ、弟の学校に迎えに行き、教師たちには「ボディーガード!」と笑われて……。実際、カルトと歩いていると「保護者」「親御さん」と本気でなんどか勘違いされたものです。見た目で優勢になれないからこそ、当時の私は家族のゴミ箱として進んで存在したのかもしれません。

 

精神病院の不快な思い出

母の通っていた精神病院にも愉快でない思い出がいくつかあります。電車で一時間くらいのところにその病院はありました。いつ精神状態が変わるかわからない母にとって、「電車で一時間」は決して近い距離ではありませんでした。体調の悪い母が外出できないとき、その病院まで私が薬をもらいに行くことがしばしばありました。ふだんは誰にもとがめられず、薬をいただいていました。

ところが、主治医が不在で別の男性医師に代わりに会うことになった日、当時十一歳くらいだった私を彼は叱りました。「どうして一人で来たんだ!? 患者がいないのに薬だけ出すなんておかしいだろう!? おまえは風邪のとき、誰かに『薬だけもらってきて』なんて言うのか!?」このような主旨のことを言われ、当時は医師が怒る意味もよくわからなくて、たいへんショックを受けたことがあります。「『どうして一人で来たんだ』なんて言われても、『ひとりで行ってきて』とお母さんから言われたから来たのに……」と。大人になったいまではその医師の言いたいことの意味もわかるのですが、それは小学生の女児に言うことじゃないのでは……とツッコみたくなります。

「それにしても酷い大人ばかり登場しますね」のお言葉にたいへん癒されました。「ああ、そうか、私の育った環境はひどかったのだ」……やっと、実感した気がいたします。

 

じつはtopisyuさんにメールをさしあげたあとから(精神的な)体調を久しぶりに崩しました。過去を一気に思いだし、それを聞いていただいたのは初めてだったからかもしれません(夫には少しずつ打ちあけていったので、衝撃も和らいでいたのかもしれません)。これをきっかけに、カウンセリングを受ける決心がつきました。

今後のことを考え、カウンセラーも在籍している心療内科・精神科にしました。先日病院には行ったものの、担当カウンセラーとはまだ会っていないのでこれからどのように進展していくかはわかりません……が、ずーっと決めかねていたことが決められたのはtopisyuさんのおかげです。

モヤモヤを聞いてくださってありがとうございました。

 

A3. フォローのコメントをします

キルアさん

いえいえ、メールのやり取りで楽しんでいただけたのなら本望です。いつくか、フォローのコメントをします。 

ツボネ叔母は将来、母たちの世話をせねばならないことを心配している可能性があるんですね……。

子供のときに感じていた「優しかった(決していま優しくなくても)叔母さん」のイメージがいまも鮮明です。

彼女が怒っているのは自分が悪いからなのではないか――つい、そのように感じてしまいます。

あくまで可能性の話ですからね。ツボネ叔母さんは本当にキルアさんとキルアさんご家族を心配している可能性もあります。ただ、キルアさんにだけ一方的に怒っているとか、キルアさんがわがままだとか、我慢すればいいとか、そういうことを言っているなら、彼女がキルアさんのことを想って発言している可能性が低くなるということです。(お母さんにコントロールされている可能性もある。)

見た目で優勢になれないからこそ、当時の私は家族のゴミ箱として進んで存在したのかもしれません。

お疲れ様でした。 

大人になったいまではその医師の言いたいことの意味もわかるのですが、それは小学生の女児に言うことじゃないのでは……とツッコみたくなります。

そうですね。それは薬を取りに行かせた親と、これまで処方してきていた人間に対して言うことですよね。子どもに言うことじゃない。

「ああ、そうか、私の育った環境はひどかったのだ」……やっと、実感した気がいたします。

すいません、直球で書きすぎました。あまりにほっこりしたので……。

ちょっと、

じつはtopisyuさんにメールをさしあげたあとから(精神的な)体調を久しぶりに崩しました。

こうなることも危惧していたのに、上手くソフトランディングするお手伝いができていませんでした。ごめんなさい。 

先日病院には行ったものの、担当カウンセラーとはまだ会っていないのでこれからどのように進展していくかはわかりません……が、ずーっと決めかねていたことが決められたのはtopisyuさんのおかげです。

たぶん、ご自身の中で進める力がようやく溜まったからかなと思います。たまたまモヤモヤを表現したことで、上手く発散できて、いい方向に進む推進力になったという感じでしょうか。

また何かありましたらどうぞ気軽にメールしてください。いつでも歓迎します!

topisyu

 

締め

これは私が何かコメントするというより、淡々とモヤモヤを吐きだしてもらうみたいな感じでしたね。話が重たい部分がかなりあったため、あえてフラットに返事をするように心がけました。こちらも一緒になって重たくなっちゃったら潰れちゃうし、相談もしにくいですしね。

その後、この相談者さんからはカウンセリングに通い出し、以前より明るくなったと言われるようになったとご報告いただいています。

 

ちなみに、紙の本でも、宗教がらみでは、

Q10. 結婚予定の彼のご両親がある宗教を信仰しています。私や将来の子どもも入信を求められるのではないかと不安です。

というお悩みへの回答を書いています。これ、お題を考えたの編集者さんで、私からは「宗教の話は政治の話と同様に燃える話題ですよ?大丈夫ですか??」と確認したんですが、「一般論だから大丈夫です!」ということでした。本当に大丈夫なんですかね! 

私って、甘えてますか?

私って、甘えてますか?

  • 作者: 斗比主閲子
  • 出版社/メーカー: 総合法令出版
  • 発売日: 2016/11/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)