斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

「母は生後10月で離乳を強行した」(文藝春秋、神戸連続児童殺傷事件家裁審判「決定」全文より)

この記事で、

元少年Aの手記の出版 - キリンが逆立ちしたピアス

実は、4月にこの事件について井垣康弘が文藝春秋に神戸家裁の決定全文を公開している。井垣さんは、裁判官で神戸連続児童殺傷事件の審判を担当し、医療少年院送致を決定した。

ということを知りました。少年審判の判決文は非公開であるのに、それを判決があった1997年から18年経って、当時の担当裁判官(現弁護士)の方が月刊文藝春秋で公開したというものです。

この記事は、その決定全文についての個人の感想です。 

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※画像は、文藝春秋2015年5月号 | バックナンバー - 文藝春秋WEBより

 

はじめに

本文に入る前にいくつか前提を書きます。

まず、この決定全文は、文藝春秋5月号を図書館で入手して読みました。本来こういう類のものは、お金を出すようにしていますが、

神戸新聞NEXT|社会|神戸家裁が文芸春秋に抗議文 神戸連続児童殺傷事件の決定全文掲載で

 「文芸春秋」編集部のコメント 神戸連続児童殺傷事件は、今日も続く重大な少年事件の原点ともいえる事件で、その全貌を知ることによって、社会がくみ取ることができる教訓が多いと考え、掲載を決意しました。

文藝春秋の編集部はこのように社会で共有するべきという公益性を考えて掲載したもののようですし、そうであるなら図書館で借りて読んでレビューをしてもいいかなと判断しました。

そして、この記事では、

文芸春秋、家裁決定全文を掲載 神戸児童殺傷:朝日新聞デジタル

井垣弁護士は朝日新聞の取材に対し、「提供した情報の中には個人の特定につながるようなものは含まれていない」と主張。「元少年の成育歴を知ることは、『事件を二度と起こさぬためにはどうすればいいか』を考えるきっかけにもなる」と述べた。

元担当裁判官の方のコメントにもある、決定全文における成育歴の部分に対して言及するものです。なお、自分が成育歴に触れることについては、加害者両親及び加害者元少年がそれぞれ手記を公開しており(2001、2015)、関係者によって後から公知になっている部分が多く、少年法に反するものではないと考えています。

また、決定全文の公開については、被害者の遺族が、

文芸春秋、家裁決定全文を掲載 神戸児童殺傷:朝日新聞デジタル

一方、次男(当時11)を亡くした土師(はせ)守さん(59)は「この事件は経緯が特殊で、教訓になる部分は多くないと思う。遺族への配慮のない掲載で信じがたい。興味本位で読まれるのはつらい」と取材に語った。

このようにコメントされています。

自分は一親として、元担当裁判官の「成育歴を知る意味がある」という言葉を受けて、親視点で成育歴に限定して興味を持ったため当該決定全文を読むことにしました。

このような背景から、実際の犯行である非行事実について決定全文に書かれている内容については、本記事では触れません。

最後に、引用に際しては、引用の要件を満たすようにしています。

著作権なるほど質問箱(文化庁)

以上が前提です。

 

決定全文で書かれている成育歴

ここから本題となります。

成育歴の中で、特に気になった箇所を以下引用します。コメントは別途します。

少年は、会社員の父と専業主婦の母との間の長男として、待ち望まれて生まれた。1年4月後に二男が、3年2月後に三男が生まれた。近くに住む少年の母方祖母が手助けをしてくれた。

少年は、母乳で育てられたが、母は生後10月で離乳を強行した。具体的な事は分からないが、鑑定人は、1才までの母子一体の関係の時期が少年に最低限の満足を与えていなかった疑いがあると言う 

……母は、少年が幼稚園に行って恥をかくことのないよう、団体生活で必要な生活習慣や能力をきっちり身に付けさせようと、排尿、排便、食事、着替え、玩具の後片付け等を早め早めに厳しく仕付けた。 

「幼稚園年長組」

少年は、幼稚園での場合と異なり、家庭内では、玩具の取り合い等で毎日のように弟二人と喧嘩をした。……下が泣くので必然的に兄の少年が叱られることになった。……母親が中心となって少年には厳しく叱責を続けた。……体罰と言っても、社会常識を逸脱するような程度のものではなかったが、少年は、親の叱責がとても恐ろしく、泣いて見せると親の怒りが収まると知って、悲しいという感情がないのに、先回りして泣いて逃げる方法を会得した。 

「小学校1年」

……母と祖母はしょっちゅう少年の前で言い争いをしていた。少年は、泣くか、祖母の部屋に逃げ込むことにより、母の叱責を回避していた。 

「小学校3年」

……本当の情緒が育っていない。母親は「スパルタで育てました」と言っていた。少年の家庭は気取らず下町的な感じで、友人もよく遊びに行っていた(学校)。 

母の過干渉による軽いノイローゼと診断され、……母は、その後、押しつけ的教育を改め、少年の意志を尊重しようと心掛けた。 

「小学校卒業後中学校入学まで」

グループで万引きが流行った。少年は専らナイフを盗んだ。……両親は、それまで少年を「素直で優しく、隠しごとをせず、長男の自覚がある」と評価していたが、万引き事件で「意志が弱い。表と裏がある」とショックを受けた。 

「中学校1年」

小学生の自転車をわざとパンクさせたり、女子同級生の体育館シューズを隠し、焼却炉で燃やしたことで、学校から児童相談所へ相談に行くよう勧められたが、母親は少年を病院へ連れて行った。診断の結果、医師は母親に対し、発達障害の一種の注意欠陥(多動)症で認知能力に歪みがあり、コミュニケーションがうまく行かないので、過度の干渉を止め、少年の自立性を尊重し、叱るよりも褒めた方が良いと指導した。

母がその指導に従った結果、表面上少年は落ち着きが出て、学校からも、……よく成長したと評価された。 

「中学校2年」

母親が少年に将来の希望を聞いても、「何もない。しんどい。」としか言わず、母親は少年の気持ちがわからなくなった。

※途中の……は筆者による省略。

ここまでが成育歴の中で自分が気になった箇所です。決定全文ではこの後、鑑定主文、非行事実、判断、処遇について掲載されています。繰り返しですが、こちらには触れません。

 

全部母親が悪い?

元担当裁判官が「成育歴を知る意味がある」としていたわけですが、成育歴としては引用箇所を読んで分かるように母親による躾の厳しさが羅列されています。成育歴を知る意味があるいうことは、この裁判官は、母親の教育方針に問題があってこのような事件に至ったということを言いたいのかな?と思いました。

ただ、この元担当裁判官が書いた決定文の個々のコメントをよく検討してみると、どうもそうとは言えないところがあります。

 

生後10ヶ月で卒乳するのが"強行"?

例えば最初の方のこの記述です。

少年は、母乳で育てられたが、母は生後10月で離乳を強行した。具体的な事は分からないが、鑑定人は、1才までの母子一体の関係の時期が少年に最低限の満足を与えていなかった疑いがあると言う

離乳を"強行"と表現し、悪いことのように書いています。

そもそも、10ヶ月での卒乳は異常ではないですし、

 少年は、会社員の父と専業主婦の母との間の長男として、待ち望まれて生まれた。1年4月後に二男が、3年2月後に三男が生まれた。近くに住む少年の母方祖母が手助けをしてくれた。

ここにあるように1年4ヶ月(16ヶ月)後に二男が生まれています。ということは、少年が誕生してから6ヶ月後には二男を妊娠しているわけです。母親は二男の妊娠4ヶ月まで少年の授乳を続けたことになります。

きょうだい同時授乳(タンデム授乳)については医師の診察を受け、切迫早産といった状況でもなければ母子への影響は大きくないというのが今は主流になっていると思いますが、少年が生まれた1980年代前半はどうだったでしょうか。

今でも産科医の中にはタンデム授乳にネガティブな人もいますし、妊娠5ヶ月ともなれば授乳が面倒になってきます。

この時期に卒乳をしたことが、問題行為のように紹介されているのには疑問を感じます。

 

そこまで酷い躾なのか?

それ以外にも母親による躾に問題があったように取れる記述が多くあります。ただ、その内容もそれほど酷いものなのか。

例えば、

……母は、少年が幼稚園に行って恥をかくことのないよう、団体生活で必要な生活習慣や能力をきっちり身に付けさせようと、排尿、排便、食事、着替え、玩具の後片付け等を早め早めに厳しく仕付けた。 

どれくらい早めに躾を開始したか分かりませんが、幼稚園入園前に排尿、排便、食事、着替え、玩具の後片付けをできるようにするのは特におかしなことではありません。幼稚園に入る前の手引きでは、こういうことを家庭で身に付けておいてくださいとして指導があるぐらいです。

また、

「幼稚園年長組」
少年は、幼稚園での場合と異なり、家庭内では、玩具の取り合い等で毎日のように弟二人と喧嘩をした。……下が泣くので必然的に兄の少年が叱られることになった。……母親が中心となって少年には厳しく叱責を続けた。……体罰と言っても、社会常識を逸脱するような程度のものではなかった

男兄弟が喧嘩をして兄が叱られることもありがちな話です。少なくとも、今より家父長制が残る1980年代前半であれば、上の子どもを厳しく躾けるというのは一般的ではなかったでしょうか。しかも、体罰があったとしても、社会常識を逸脱するようなものではなかった。

他にも、

「小学校3年」

……本当の情緒が育っていない。母親は「スパルタで育てました」と言っていた。少年の家庭は気取らず下町的な感じで、友人もよく遊びに行っていた(学校)。

学校側のコメントで母親のスパルタ精神について触れられていますが、合わせて家庭は気取らず下町的で、友人も遊びに行っているとしています。

下町の、長男に厳しい、友人もよく遊びに行ける家庭。これらから、自分に思い浮かぶのは『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の両津勘吉の親です。

1997年当時の裁判官個人の価値観で1980年前半の子育てについて検討したものについて、2015年の現在で見直しているので、なかなか複雑ではありますが、自分の感覚からすると、母親の躾が飛び切り問題があったとは思えませんでした。

 

父親不在と発達障害について検討しないのか?

このように母の躾が少年に影響を与えたと伝えたいと考えられる記述がある一方で、父親についてはほとんど言及されていません。父親がどのように関与したか、もしくは全く関与していなかったことには触れず、悪影響を与えたと示唆されるエピソードに登場するのは基本母親です。

もちろん、1980年~1990年当時の専業主婦には子どもの教育が主に割り当てられていました。審判をする上でも母親による影響に重きを置いたのは当時の感覚からするとおかしいことではないでしょう。

ただ、この決定全文が公開されたのはこの2015年です。父親による育児への参加が当たり前のように議論されている現代で、母親に全て責任があったかのような決定全文をわざわざ公開するのですから、その点について、何らかのコメントがあってもおかしくないと思いますが、この文藝春秋の5月号には触れられていません。

 

一方で、決定全文の序章として同じ文藝春秋5月号に掲載されている、共同通信編集委員 佐々木央さんのコメントでは、少年の発達障害については少しだけ触れられていて、

中一で発達障害と診断されるが、周囲の誰も少年の内面に踏み込めなかった。

としています。この点については、引用箇所で既に紹介している通り、

学校から児童相談所へ相談に行くよう勧められたが、母親は少年を病院へ連れて行った。診断の結果、医師は母親に対し、発達障害の一種の注意欠陥(多動)症で認知能力に歪みがあり、コミュニケーションがうまく行かないので、過度の干渉を止め、少年の自立性を尊重し、叱るよりも褒めた方が良いと指導した。

母がその指導に従った結果、表面上少年は落ち着きが出て、学校からも、……よく成長したと評価された。 

両親は医師の医師の診断を受け、医師の指導に基づいて少年に対応するようにし、学校からも評価をされています。

小学校3年時点でも、

母の過干渉による軽いノイローゼと診断され、……母は、その後、押しつけ的教育を改め、少年の意志を尊重しようと心掛けた。

教育方針を変更しています。親として努力をしていないようには読めません。

 

発達障害は今でこそ理解が進んでいますが、発達障害者支援法が施行されたのは2004年で、知的な遅れのない発達障害も含まれた形での特別支援教育が実施され始めたのは2007年です。1980年代前半であれば親に発達障害への理解はまずありませんし、少年が発達障害と診断された中学校1年生であった1995年前後でも微妙なところでしょう。

日本の発達障害支援の歴史と現状|PDD ASD 研究 乃 卵

1999年には「自閉症は基本的には知的障害福祉施策の中で対応しているが、(中略)生活に困難を有する発達障害については今後さらに心理的・社会的な処遇方法の開発など施策の充実を図る必要がある」と提言されている。(高木隆郎他 (2006) 自閉症と発達障害研究の進歩 Vol.10、清和書店、419-412)

 

こういう話をするのは、少年が発達障害だったからこういった事件を起こしたと言いたいからではありません。少年に発達障害があったとすれば、発達障害の子育てに関する知識が少なかった1980年代での子育てには苦労する部分があっただろうし、それについては親としてある程度できるだけの努力をしているように見えるのではないかということです。

もちろん、これは後付けの推論です。

ただ、これも後付けで、元担当裁判官が「成育歴を知る意味がある」として、母親の教育方針に問題があったように読める内容の決定全文を公開しようとし、それに文藝春秋からすれば外部の人間である共同通信編集委員が、

中一で発達障害と診断されるが、周囲の誰も少年の内面に踏み込めなかった。

このような周り(特に親)が何とかできたというように思わせるコメントが掲載されています。このことに、文藝春秋の編集部の方は誰も違和感を覚えなかったのでしょうか。

 

締め

長くなりましたが、自分の結論としては、この決定全文で触れられている成育歴を読んでも、同じような事件の再発防止に役立つとは受け止められませんでした。むしろ、「母は生後10月で離乳を強行した」など、母親による育児に対して不要なプレッシャーを与える、害の方が多い文章です。なぜ、これを今公開する必要があると考えたのか、文藝春秋の判断については理解に苦しみます。

以上です。以下、余談です。お好きな人だけどうぞ。

 

 

 

余談

加害者少年が今年手記を発表したことについては冒頭で少し触れました。これについては、月刊文藝春秋を発行する株式会社文藝春秋の週刊文春がこんなことをスクープとして公開し、

元少年Aは幻冬舎に手記出版を持ちかけていた! | スクープ速報 - 週刊文春WEB

手記『絶歌』を太田出版から刊行した神戸連続児童殺傷事件の犯人である元少年A(32)が、当初は幻冬舎から出版する計画だったことが、週刊文春の取材でわかった。

(中略)

しかし、今年に入って見城氏は出版しないことを決断し、3月に太田出版を紹介。見城氏は「切なさと同時に安堵の気持ちがありました」と振り返った。

『絶歌』刊行の詳しい経緯が明らかになったことで、手記出版の是非はさらに論議を呼びそうだ。

加えて、最新号では、こんな特集を組んでいます。

今年3月に太田出版が紹介され、6月に刊行となったわけですが、月刊文藝春秋で今回紹介した決定全文が公開されたのは今年4月です。

月刊文藝春秋が何の脈絡もなく4月に決定全文を掲載し、6月に少年の手記が太田出版から発売され、同じく6月25日に週刊文春で全真相と題して特集が組まれる。

ただの偶然でしょうけどね。

同じ会社の他の媒体が神戸家裁や遺族から抗議や非難を受けるようなことをしていて、一方で他の会社の出版物について他人事のように"さらに論議を呼びそうだ"と言うのは、美しいジャーナリズム精神だと思います。