タイトルは、ジェフリー・ディーヴァーの『ウォッチメイカー』(原題:The Cold Moon)文庫版398ページで、尋問のエキスパート"キャサリン・ダンス"が、四肢麻痺の鑑識の天才"リンカーン・ライム"に言ったものです。(以下、本文から抜粋)
電話を切って、ライムに向き直った。「お子さんは?」
「私かね?いない。子どもの扱いが得意なほうだとは自分でも思えない」
「自分の子を持ってみるまでは、みんな苦手なものよ」
小説自体は、残忍な方法で人を殺すシリアルキラー"ウォッチメイカー"を主人公"リンカーン・ライム"が捜査するというミステリーで、この抜粋した部分は進行上重要な箇所ではありません。
ただ、この部分を読んで、「ああ、自分もそうだったな」と小説を読む手が止まり、自分の子供を持つまでと持ってからの子供の扱い方の変化が頭のなかでグルグルしました。それを書いてみるのがこの記事です。
『ウォッチメイカー』についてはほとんど触れません。今度レビューを書くかもしれませんが、先にお勧めしておきます。『羊たちの沈黙』や『デクスター』が好きなら楽しいはず。(ミステリー本の紹介記事をきっかけに、いくつかミステリー小説を読んでいます。)
子供を持つまでの子供の扱い方
topisyuは人を理解するために最初は聞き手に回るようにしてます。ある程度話を聞いて、相手の興味や行動原理が理解できたら、それに合わせるか、合わせないか方針を決めてコミュニケーションをします。(だから、キャサリン・ダンスの姿勢には大変共感が持てました。彼女が主役の本もあるようなので読みたい。)
子供はそういうやりとりを許さずに、一気に詰め寄ってきて、「遊んでー」「これやってー」と絡みつくことが多く、苦手意識がありました。考えてから対応するのだとタイミングが合わないんですよね。そして、子供が理解できるような(自分からすると)大げさな反応をするのが恥ずかしかった。(黙ってじっとこちらを見ているタイプはまだ扱いやすい。)
子供を持ってからの子供の扱い方
自分の子供を育ててからは、自他問わず、子供の直球のボディランゲージや体当たりには、すかさずオーバーリアクションを取り、一緒になって身体を動かすようになりました。「オバケだぞ~」とか言って追い掛け回す。男児は大体これ。
会話は、子供が話してきたことを基本的にはオウム返しするか、聞いていることをアピールする相槌を言葉に出して「うん、うん」と繰り返すことで、子供の承認欲求を満たすようにします。女児は大体これ。
年齢が上がると大人相手にやっているコミュニケーションを混ぜます。
こういうやり方は、できる人ならすぐにできるものでしょうが、自分は子供を持ってから時間をかけて身に付けました。自分の何が変わったかと言えば、子供の前では脳内での自尊心スイッチのオン・オフができるようになったということでしょうか。
子供相手では自尊心スイッチをオフ
自尊心スイッチとは、要は、自分を認めて欲しい、こう見て欲しいというスイッチですね。
コミュニケーションは自尊心を満たすために行う部分が大きいですが、子供を持つ前は、子供相手でも、どうやって自尊心を満たすかを考えていたわけです。子供の評価を気にしていた。
それが、子供を持って、「子供を使って自尊心を満たそうとするなんて間違ってたわ。子供の自尊心をこちらが一方的に満たす方針にしたほうがいいな」と切り替えて、自尊心をどう満たすかのスイッチをオフにして接するようになりました。「いないいないばあ」の素振り100回を半年やっていれば、周りの目も気にならなくなる。
締め
リンカーン・ライムは子供を扱うのが得意か得意でないかを気にしていますけど、自分が親になってみるとそんな得意不得意をいちいち考えていられないんですよね。不得意だから子供を持たないという発想は自分には元々ありませんでしたし。
今の自分が子供の扱いが得意なほうかは分かりませんが、自分もパートナーも子供も家族関係でのストレスはないようですし、「なんとかなってるな」と思います。
結論として、「私ができたんだから、あなたも大丈夫ですよ」という話ではありません。たまたま、小説を読んで自分の子育てスタイルの変化に思いが及んだので書いてみました。やってみて分かることはたくさんありますね。